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2007年7月16日 (月)

記事タイトル

シルクロード写真展

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 先日のシルクロード取材をアテンドしてくださった写真家・ 石嘉福氏が昨年シルクロードを舞台に開催した写真撮影ツアーの展覧会が開催される。

 参加者はシルクロード初体験という人もいるが、30年以上もこの地で取材経験を持つ
石氏のレクチャーを受けながら撮られた作品は、大判に引き延ばされ、シルクロードの自然のダイナミズムと繊細な文化を精緻に伝えている。

 中央アジアの雄大な自然とそこに育まれた文化に興味のある方は、ぜひ!!

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写真展 『シルクロードへ』
○2007年7月19日 - 7月31日
○銀座スペース5ギャラリー
 〒104-0061
 中央区銀座2-8-19 SUMIビル1F(日本発色)
 TEL:03-3562-5471
○月-金10:00-19:00 日曜休館 土・最終日は17:00まで
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2007年7月14日 (土)

記事タイトル

タクラマカン砂漠の砂

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 シルクロードの旅から戻って、東京の湿度の高さに喘いでいたら、日本の自然を思い出させようかとでもいったように、台風の洗礼。

 どうやら関東は避けて東の海上に遠ざかっているようだが、湿度0%の乾燥地帯とはまったく異なる湿潤気候の典型を感じさせられた。

 タクラマカン砂漠では、親しい友人への土産と自分の思い出にと砂を採取してきた。均一な微粒子で、 このまま砂時計に使ったら良さそうにサラサラと流れる砂は、日本の海岸などでは見られないものだ。

 これはちょうどタクラマカン砂漠を縦断する「砂漠公路」の真ん中、砂漠のど真ん中で採取したものだが、 黄色い砂とともに雲母の破片のような黒い粒とキラキラ輝く石英がかなりの割合で混ざっているのがわかる。

 この砂漠の下には莫大な石油が眠っていて、今、盛んにそれを採掘しているわけだが、この砂を眺めていると、 この死を連想させるモノトーンの世界が、鉱物的には豊かな土地であることを実感させてくれる。

2007年7月11日 (水)

記事タイトル

遙かな旅路を経た天の珠

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 一昨日、天山、タクラマカン砂漠を巡るシルクロードの旅から戻ってきた。

 2週間あまりで、5000km以上を車で走り、3000m以上の標高差を越えて、気温変化も10℃~52℃、 ユーラシア大陸ど真ん中の自然はダイナミックで、変化に富み、たくさんの刺激を与えてくれた。

 総集編は後にお送りすることにして、これから数回にわたって、この旅にまつわるエピソードを紹介してみたい。

 まず、写真のブレスレットだが、これはチベットで魔除けとして珍重される「天珠」 という装飾された瑪瑙の珠をブレスレットにしたもの。模様によって魔除け、財福などを表す物だが、チベットでは、 ふつうこの珠を一つ用いて装飾品にする。

 タクラマカンを巡るシルクロードでは、インドを起点にして仏教が東へ伝えられていったが、 仏教の流れの一つはインドからヒマラヤを回り込んで、チベットへと伝えられ、 ここで独自の密教であるチベット仏教(ラマ教)として完成された。

 さらにチベット仏教は、正統派の仏教が東へ向かったのに対して、北上するルートをとって、チベット=青蔵高原から青海、 タクラマカンを経てモンゴルへ達する。そのため、今でもこのルート上でチベット仏教と出会った遊牧民たちの間で、ごく一部だが、 その信仰が伝えられている。

 天珠は、チベット仏教における重要な呪具なのだが、北へと伝えられる中で、遊牧民たちの装飾=デザイン感覚によって、 珠を繋ぐこのようなブレスレットの形となった。

 世界の屋根チベットから、青海高原、灼熱のタクラマカン砂漠を越えてチベット仏教の思想とともにもたらされた天珠は、 その遍歴ゆえに、また貴重であるがゆえに、本場のものよりも珍重されている。

 今回は、そんな遊牧民たちの天珠と出会い、いくつか譲ってもらってきた。

 チベットに発して、中央アジアにもたらされ、そして今度は海を越えて日本に届いた「幸運の天珠」。 ぼくは装飾品を身につけることはあまり好きではなかったが、この天珠はなぜか、自分の腕にいい感じにしっくりと収まった。

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**天然石に素朴な装飾がされた天珠は、一つ一つの「手作り感」が、       また可愛らしい**

 

2007年7月 7日 (土)

記事タイトル

火炎山

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**孫悟空が芭蕉扇を奪う、西遊記のクライマックスシーン。その舞台が、       ここ火炎山**

 砂漠公路を抜けた後、トルファンに泊まって、火炎山を訪ねた。

 ここは、20年前にも訪れて、オフロードバイクで走り回ったところだが、今は観光地として整備されて、 むやみに立ち入ることはできない。もっとも、地元のガイドによれば、裏側から回り込めば、この山の頂上に出られるとのことだが。

 鉄分の多い土質のこの山は、侵食された跡が火炎が立ち上るように見えるので、この名がつけられたが、 何よりも西遊記のクライマックスの舞台として知られ、中国国内はもとより海外のビジターに人気がある。

 20年前は、もっと土の色が赤く、今よりずっと「火炎」の雰囲気が強かった。今は、砂嵐が多く、表面に砂漠の砂がついて、 下地の赤が消えてしまっているのだという。たまたま最近、砂嵐があったのかと思ったが、そうではなく、年間を通して頻度が高くなっていて、 一年に数度だけ、雨が降って砂が流されたときだけ下地が見えるのだという。

 タクラマカン砂漠の際にあって、そんな話を聞くと、砂丘は美しいけれど、「砂漠化」が進行している現実を突きつけられた気がする。

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**この日、火炎山の気温は50℃を突破。今はオフロードバイクで走り回るといったことはできないが、       ラクダに乗っての周遊は可能**

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**トルファン郊外にある交河故城。20年前、この古代都市の中を歩き回っていると、       路地裏から子供でも飛び出してきそうな白昼夢に襲われたが、今は木道が整備されて自由に歩き回ることはできなくなった。       ユネスコの世界遺産への登録申請を行っている**

2007年7月 6日 (金)

記事タイトル

タクラマカン砂漠縦断

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**「そこに一度入ったら、二度と出てこられないという意味の「タクラマカン砂漠」。       この砂だけのピュアな世界が、刺激を与えてくれる**

 ウルムチを出発してから一週間、天山山脈を越えて、タクラマカン砂漠の北縁を西へ向かって、さらにその縁を南へ。

 タクラマカン砂漠の南を通る「西域南道」の中心都市であるホータンにまで達した後、 キャラバンはタクラマカン砂漠の中心部を縦断する「砂漠公路」に入った。

 この道は南のホータンと北の輪台(ルンタイ)を結ぶ850kmあまりの道のりのうち、550kmを占め、 そのうちの400kmが延々と砂丘が続く風景の中を行く。

 ホータンを出発してから100kmあまりは、崑崙山脈とタクラマカン砂漠に挟まれた比較的水もある場所で、 土漠と草原が交互に現れる光景が続くが、進路を北にとってしばらくすると、道の両側に乾燥に強い胡楊の林が続くようになり、さらに、 その胡楊の枯れた荒涼とした風景から、砂丘地帯へと移り変わっていく。

 実際に訪れる前は、道の両側は見渡す限りの砂丘が続いているものと思っていたが、 イスラエルから技術供与を受けたというパイプを使った感慨施設によって、丈の低いタマリスクの防砂林が何列も続いていく。

 だが、車を止めて、防砂林を越えてみると、そこには、砂のモノトーンの世界が果てしなく続いている。

 昔、同じように砂漠を渡っていく車中で、地元のガイドに、「海を見たことがあるか」と尋ねたこがある。

 彼は、「教科書で習ったけど、見たことはありません」と答えた。

 ぼくが、「この砂全部が水なんだよ」と説明すると、「そんなことはありえない」と、彼は高笑いした。

 逆に、砂漠に馴染みのない我々にとっては、海の水がすべて砂の世界といっても、イメージがピンとこないだろう。だが、 この砂丘の連続は、まさに太平洋のような広がりを持って、砂の波頭が続いているのだ。

 砂と空以外に何ものもないシンプルな風景の中に置かれてみると、地球の自然の不思議と同時に、 生命とは何だろうという根源的な疑問がわきあがってくる。

 この砂の海の中では、もちろんそれに適応した生物もいるが、人間が着の身着のままで放り出されたら、数日で命を亡くしてしまう。 圧倒的に無慈悲ともいえるこの景色の中に佇むと、このまま、自分も砂屑になって、 風に飛ばされていったら気持ちいいだろうなという気にさせられる。

 タクラマカンとは、地元の言葉で「一度そこに踏み込んだら、二度と抜け出すことはできない」という意味。

 古代、この砂一色の世界に身を投じていった先人たちの想いが、この風景を前にすると、リアリティを持って感じられる。

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**イスラエルの技術供与によってできたグリーンベルトが、タリム油田開発の拠点を結ぶ「砂漠公路」       に伸びる**

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**ついにタクラマカン砂漠中心部に達する**

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**砂漠の周縁部には、胡楊の枯林が広がる。胡楊は、立って1000年、枯れて1000年、       倒れて1000年と言われる。実際には、朽ち果てるまで400年くらいだといわれる**

 

2007年7月 3日 (火)

記事タイトル

標高2000mの別天地

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**阿合奇の町へ向かう途中の桃源郷のような高原**

 30日早朝にアクスの街を出発したコンボイは、そのまま天山南路のメインルートを進むのではなく、途中から北に折れて、 天山山脈の南端をかすめ、キルギス共和国との国境地帯へと向かった。

 造山活動の跡が褶曲した地層として残り、生々しい地球活動を感じさせる山の間をどんどん高度を上げていく。それにつれて、 気温も下がり、風が気持ちよくなっていく。

 アグチ(阿合奇)の町は、雪山を間近に仰ぐ標高1600mの高原地帯にある。ここは、キルギス族の町で、 特別にしつらえられたユルト(彼らの遊牧時の移動式住居)で昼食の歓待を受けた。

 その後、キルギス共和国との国境近くの山岳地帯を下って、再びテン間南路のメインルートに合流。アトシュの町に入った。

 今回、我々のバスのスルーガイドを務める黄さんは、アトシュの山岳地帯の出身で、先のアグチの町へ向かう途中に、 自分の故郷を案内しながら、子供の頃の話をはじめた。

 彼の生まれ育った村は貧しく、彼は子供の頃、靴を履いたことがなかったという。「だから、ぼくの足は、 こんなに大きくなってしまったんです」と、笑いながら語っていた彼だが、その目から、大粒の涙がこぼれだし、すすり泣きしながら、 片道30kmの道を歩いて小学校に通ったことや、神民族ながらウイグル族の学校に2年間通ったこと(普通、 漢民族は少数民族系の学校には通わない)、彼の村からウルムチの大学に入った第一号となったことなど……快活で、素直で、 そして勉強熱心な彼が、そんな苦労をしてきたことに、バスのみんなは絆されてしまった。

「がんばったねぇ、これからも、がんばれよ!!」

 自分も涙を浮かべながら、シャーさんがそう叫けぶと、日本人も台湾人も、香港人も、そしてウイグル人も、みんな一斉に、 「がんばれー!!」の唱和が起こった。

 黄さんは、現代の都会に生きるぼくたちが忘れてしまった、とても大切なことを思い起こさせてくれた。

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**阿合奇の町で大歓迎を受ける**

2007年6月30日 (土)

記事タイトル

新疆国際旅行祭 vol.4 天山最高峰

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 昨日は、早朝にクチャを立って、キジル千仏洞、天山神木園などに立ち寄って、アクスの町に深夜に到着した。

 連日、12時間を軽く越える行動で、さすがに疲れがたまってきているが、様々な表情を見せてくれる自然が、 そんな疲れも一気に吹き飛ばしてくれる。

 天山神木園に向かう途中で、懐かしい山容が姿を現した。天山山脈最高峰の「トムル峰(7435m)」。20年前、 この山の麓でキャンプをした。幻の花といわれる雪蓮が咲き、これも幻の動物といわれる雪豹が生息するといわれる秘境。

 20年前、そのピークを目の前にして、いつか必ず頂上に立つと決めたが、なかなか実現できずに長い年月が流れてしまった。でも、 またこうして対面できたということは、この山にぼくは呼ばれているということだろう。

 今度は、この山に登るために再訪しよう。

 バスの中では昨日の記事で紹介した「コックス& キングスパキスタン」社長のシャーさんと、天山を間近に拝んだことをきっかけに、山の話で盛り上がった。

「5月と10月がね、フンザから見るカラコルムが最高なんですよ。ベースキャンプ近くのホテルからだと、ベッドに入ったまま、 目の前に7000m峰がたくさん見えますよ。この時期は、空の色も最高で、天国にいるみたい。ぜひ、いらしてください」

 フンザは、新疆のカシュガルからカラコルムハイウェイを越えて、パキスタン側に入った高原にある街。20年前には、 中国とパキスタンの国境となるクンジュラブ峠まで入って、その先は想像するしかなかったが、今は、 ここも自由に行き来できるようになっている。

 10月のフンザ行き、シャーさんと会って、こんな話をするのもご縁だから、ぜひ実現させたいと思う。

DSC_0042 **キジル千仏洞**

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**荒野の中を行くコンボイ。この風景の中に突然現れたホテルは「中国石油」関係者のためのもの。時々、       石油の掘削精製施設が現れる。タイム油田開発によって、新疆経済は一変した。現在は、上海まで伸びるパイプラインが建設中で、       これが完成すれば、より一層、開発に弾みがつくだろう**

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**左:夕暮れ迫るタリム盆地に向かって、天山から下っていく。右:砂漠の中に忽然と現れるアクスの街。       西部開発の西の拠点となっている**

2007年6月29日 (金)

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新疆国際旅行祭 vol.3 旅の仲間

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**20年前に、初めてシルクロードに同行したときに写真の取り方から歴史のレクチャーまで、       何から何までお世話になった石嘉福氏。今回、20年ぶりにシルクロードの旅が実現できたのも、       石氏のおかげだ**

 28日は、クチャ滞在二日目。今朝は、朝から歓迎のセレモニーがあり。クチャの目抜き通りを封鎖して、 両側で多彩な少数民族が踊りを披露する中を、ぼくたちが行進するという「逆パレード」状態(笑)。

 ひな壇に座らせられて、目の前を通り過ぎるパレードを見送るよりは退屈せずに済んだのはありがたかったが、こうした公式訪問では、 自由気ままに動き回れずに、スケジュールがびっしり決められてしまっているのが厳しい。

DSC_0036  午後は、仏教遺跡として名高い「スバシ古城」へ。ここは、      玄奘三蔵も足跡を残した古い仏教都市遺跡で、川(ふだんは水がなく、広大な河川敷様になっているが)を挟んで、      東西に特徴的な仏塔が残る都市遺跡がある。

 日干し煉瓦を積んで、その上にさらに泥を塗り固めた建物は、半ば朽ち果てて、往時を偲ばせる痕跡はほとんどないが、 天山山脈の前衛の乾いた山を背にして、眼下には地平線まで平坦な灼熱のゴビが続く風景の中で、人が生活を営んだ痕跡が残っている、 そのことだけで奇跡のように思える。

 シルクロード沿いには、こうした仏教遺跡が多く残るが、中には、まだきちんとした調査をされず、人知れず眠っている遺跡もあって、 そこには、極彩色の壁画なども現存しているという。

DSC_0126  それは、車が入れる場所から徒歩で何時間も、あるいは何日もかかる場所にあるという。       いずれ、タクラマカン砂漠を舞台に、ラクダのキャラバンを組みたいと思っているが、そんな歴史探検の要素も交えれば、      面白いものになりそうだ……歴史的に価値の高い文物だから、それを荒らさない工夫や、逆にそうした埋もれた文物に目を向かせて、      保存運動に結びつけるといった社会的な目的も持って行う必要があるとは思うが。

 スバシ古城の後に、同じようなロケーションの場所にある漢代の狼煙台を見学する。 さえぎるものの何もない場所で太陽に焼かれていると、カメラなどすぐに触っていられないほどに熱を帯びてしまうが、 木陰に入るといきなり涼しくなって、快適に過ごすことができる。

 ちょうど関東は梅雨の真っ只中でさぞかし蒸し暑いと思うが、あの暑さを思うと、乾燥地帯のここのほうが、 まだ過ごしやすいのかとも思ってしまう。

 炎熱の砂漠の中の遺跡からクチャの市内に戻り、今度は、バザールやかつての王宮を訪ねる。

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**クチャのウイグル族バザール。ちょうど、フルーツの季節で、スイカや瓜などがたくさん並ぶ。       クチャの特産は白いアンズで、とても甘い**

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**フルーツの季節は花の季節でもある。左は、旧王宮の中庭。クチャに伝わるキジ楽は、       雅楽の原型ともいわれるもので、ちょっとした催しでは、かならず奏でられる**

 ところで、今回は多国籍な取材者ということで、各国語の通訳がスルーガイドについたバスで移動している。

 ぼくが乗っているバスは、日本語のできるメンバーと香港からのメンバーの乗り合いだが、ウルムチからずっと一緒の四人は、 すっかりこの旅で仲良くなって、和気藹々と楽しんでいる。

 今回、ぼくがこの旅に参加できるように手配してくれたのは、20年前にやはりこの同じ新疆を一緒に旅して、 まだ駆け出しだったぼくに取材のイロハを教えてくださった写真家の石嘉福氏。 20年前のNHKシルクロードシリーズが始まる前からこの地方に分け入り、シルクロードシリーズでもコーディネーターを務めた大ベテラン。 その石氏ももちろん、同じバスに乗っている。

 それから、パキスタンで「コックス& キングスパキスタン」という旅行会社を経営しているシャー氏と、統括マネージャーの白井さん。シャー氏は京都に留学した後、 京都が気に入って、日本での自宅も持って御子息も京都の学校に通わせているという日本通。白井さんは、 クラブツーリズムの企画などを国内の旅行会社でされて、その後、シャーさんの片腕となって活躍している。

 シャーさんは、山もベテランで、日本山岳会の京都支部にも所属しいる。また、パラグライダーが趣味で、 カラコルムの空を飛ぶのが夢だという。

 コックス&キングス パキスタンでは、 カラコルムハイウェイを辿るバイクツアーなども企画しているとのこと。雄大な中央アジアの自然を舞台に、 いろいろなアクティビティを実現できる、頼もしいパートナーとなってくれそうだ。

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**「コックス&キングスパキスタン」の社長・シャーさんと、統括マネージャーの白井さん。       様々な話で盛り上がれる仲間がいると、俄然、旅が楽しくなる**

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**今回、我々のバスのスルーガイドを務めてくれているヌルビアさん。ヌルは光、ビアは輝くの意味。       その名の通り、明るい、カシュガル出身のお嬢さん**

2007年6月28日 (木)

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新疆国際旅行祭 vol.2 開幕

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 昨夜、世界中から旅行関係者やジャーナリストが200人あまり、クチャの街に集結し、第四回新疆国際旅行祭が、正式に開幕した。

 これから、各地を巡り、新疆ウイグル自治区の観光資源調査が始まる。

 新疆はシルクロードの中心として、仏教伝来のルートでもあり、様々な歴史遺物がある。そして、アウトドアの観点からは、 世界の屋根ともいえる高山、砂漠、大河……様々な手つかずのアウトドアアクティビティ素材が控えている。

 これから本格的に始まる旅が楽しみだ。

2007年6月27日 (水)

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新疆国際旅行祭 vol.1 クチャへ

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**今回のフェスティバルの会場となるクチャに到着。       とりあえずクチャ飯店にて昼食**

 天山山脈、タクラマカン砂漠、コンロン山脈、パミール高原を抱え、 シルクロードの核心部として名高い新疆ウイグル自治区で開催される「第四回新疆国際旅行祭」に招かれて、現在、 クチャという町に滞在している。

 25日の早朝に成田を出て、ソウルでトランジット、北京に午後に到着し、フライトの遅れなどがあって、 新疆の首府であるウルムチに26日の2時(現地時間=日本-1時間)に到着。

 少し仮眠した後、ウルムチを8時に出発して、マイクロバスに揺られること12時間、タクラマカン砂漠の北縁にあるクチャに到着した。

 20年前にここを訪れたときは、北京からウルムチへ飛ぶ便が週に二便しかなく、新疆入りするまでに一週間近くかかったから、朝、 成田を出て、その日のうちにウルムチにつけるというのは、まさに夢のようだ(強行軍でかなりグロッキー気味だが=笑)。

 今回の国際旅行祭は中国内外から旅行関係者、ジャーナリストなどが200名近く集まる予定で、 マイクロバス20台あまりに分乗して大コンボイで移動する。

 今日の午後にクチャに集合して、正式にフェスティバルが開会するわけだが、ぼくたちは先行して、 ウルムチからその取材車両に乗り込んで移動した。

 ウルムチは天山山脈の北側、ステップ地帯にある。早朝出発して、天山山脈を越え、タクラマカン砂漠の北縁に出て、西へと移動。 新疆の古都、クチャに到着した。

 かつては、このクチャに着くまでに懸崖に挟まれた狭路を4輪駆動のクルマで激しく揺られながら何日もかかって着いたのだが、今では、 途中の新疆第二の都市、コルラまでハイウェイが通り、ハイスピードで結ぶことが可能となった。

 新疆は改革開放政策の「西部大開発」を旗印に大発展を遂げ、ウルムチやコルラは、見違えるような大都市となった。 クチャも日本で言えば「小京都」といったような趣のこじんまりしたオアシスだったものが、近隣の油田開発などを背景に、 大都市に変貌している。

 20年ぶりに訪れたぼくは、新疆の変貌振りにやや戸惑いながら、でも、民族衣装姿の人が行きかう通りや、街道を行くロバ車、そして、 何より、日本では味わえないダイナミックな自然に懐かしさを感じている。

 これから、ネット環境があるところから、このフェスティバルの模様を随時お伝えしていくので、どうぞお楽しみに。

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**新疆の首府ウルムチ。「離海最遠的城市」、海から最も遠い町とも呼ばれる、       ユーラシア大陸ど真ん中にある都市**

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**6月26日早朝、先行組がウルムチを出発**

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**市内からハイウェイに乗って南下する。       かつての難所であった天山越えもあっという間**

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**タクラマカン砂漠北縁に出る。このルートは「天山南路」。       かつて玄奘三蔵も辿ったルートだ**

 

2007年6月25日 (月)

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ウルムチへ

今朝、成田を経って、ソウル経由で北京に来ました。
ここは、蒸し暑く、人がごった返していて、目がくらみそうです。

これから4時間待って、国内線でウルムチへ。
ウルムチは、別名「離海最海城市」。海からもっとも遠い町といわれます。

ユーラシア大陸ど真ん中、天山の北麓にあります。

明日から、ウルムチを基点に、タクラマカン砂漠周縁のオアシスを巡ります。

通信のできるところでは、随時、レポートをアップしていきますので、ご期待を!!

2007年6月21日 (木)

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60CSx+worldmap

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 来週から出かける、中国シルクロード取材では、現地の観光資源調査が主な目的だが、必要なデータを収集するために、 GPSを用意した。

 もう10年近くの付き合いになる、GPSの老舗であるアメリカGARMIN社の日本代理店であり、 日本版GPSのプロデュースをしている「いいよねっと」の真鍋社長に相談すると、 60CSxとWORLDMAPの組み合わせがいいだろうとのこと。

 60CSxというモデルはSiRIF STARIIIという新世代の受信回路を装備していて、非常に感度が高く、 ビルの谷間や樹林帯の中、谷間といった、従来のGPSレシーバーが苦手とした場所でも、 ほとんど衛星をロストすることなく高感度で受信し続ける。

 今回は果てしなく開けた場所なので、受信状態に不安はないが、2週間で1万㎞以上もい移動するので、 ログをバックアップするのが面倒だし、不安だった。

 その点、このモデルなら内蔵メモリの他、MICRO-SDカードにもログを自動的に保存してくれるので安心だ。

 もともとGPSというツールは、日本の山のように登山道が整備され、 また山の形などからルートファインディングが比較的容易な地域で使用するのではなく、 北南米やアフリカなどの広大な砂漠やウイルダネスのような目標物が何もない場所で威力を発揮する。

 その意味では、日本列島が四つも入ってしまうタクラマカン砂漠では、かなり有効だろう。

 いずれ、GPSの活用法などを詳細にお伝えするつもりだが、今回は、戻ってきてから、GOOGLE EARTHとGPSログを組み合わせて、どんなことができるのかを紹介してみようと思っている。

■いいよねっと

2007年6月19日 (火)

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made in China

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 来週早々にシルクロード訪問を控えて、土産を準備した。

 今回は現地政府の招待ということで、レセプションやらパーティが控えていたり、 また現地の旅行社のお世話になったりするので、その時にこちらからも何か手土産を渡さなければならない。 ビジネスライクな訪問で土産持参というのも、日本や欧米ではもはや聞かない話だが、人の和を重視するお国柄とでも言おうか……。

DSC_0015  かなりの人数の関係者に会うだろうということで、      お土産の数も相当なものになり(写真はほんの一部だが)、これを持ち運ぶために、      かなり個人的な持ち物もシェイプアップしなければならない。幸い、今回はタクラマカン砂漠の周辺がメインで、      パミールや天山など寒い場所へは行かないので、衣類はミニマムで済みそうだし、キャンプをする予定もないので、      そういった装備も必要ないのが幸いだが……。

 今回、ぼくはアウトドア関係のアクティビティやツアーの可能性を現地の旅行社と検討するのも目的の一つで、 アウトドア方面の専門家ということで先方に紹介されているということもあって、お土産もアウトドアに関係するものがいいだろうと判断した。

DSC_0016 そこで、ネットで調べたり、      神田のアウトドアショップ街を物色していろいろ探してみたのだが、まず愕然としたのが、大部分の製品がmade in      Chinaであること。ある程度予想していたことだが、その予想よりも遙かに中国製のものが多かった。

 さすがに、中国を訪問するのに、日本からの土産が中国製では見栄えがよくなかろうと、適当なものを探したが、 製品の7割は中国製で、残りのほとんどはベトナム、フィリピン、マレーシア……といった新興アジア諸国製。 日本や欧米製にこだわっていたらモノも集まらないし、なによりべらぼうな金額になってしまうと、ある程度妥協することにした。

DSC_0014  そして、ブランド物なら中国製やアジア諸国製でも現地で出回っている物は少なかろうと、      四苦八苦して集めたものが写真のようなもの。それぞれ4、5点用意しているので、      ザックのほとんどはお土産で占められてしまいそうだ。

 しかし、「アウトドア関係の小物」という限定された分野だけ眺めても、made in Japanは皆無といってもいい状況は、 日本の製造業、ひいては、日本経済の先行きにとってどうなのだろうと、考えさせられてしまった。

2007年6月15日 (金)

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シルクロード

silkroad01_sum  1986年に訪ねて以来、20年ぶりにシルクロードを訪れることになりました。

 中国内陸部のタクラマカン砂漠の周縁を中心に、天山の南北麓を結んで、 20年前に2ヶ月かけて巡ったところ、 今回は2週間あまりの駆け足で辿る予定です。

 かつて、「シルクロード」という言葉には、エキゾチックで幻想的な響きがありました。

 残念ながら、今は微かなノスタルジーは感じるものの、かつてのような未知の世界へ旅立つといった高揚感はありません。

 20年という月日はあっという間だった気もしますが、世紀をまたいだこの20年の世の中の変化は凄まじいものがありました。

silkroad02_02  20年前、中国はまだ堅固な共産主義体制にあって、      外国人の西域=シルクロード入域もかなり制限されていました。その数年前からNHKが入って、あの大ヒットとなった      「シルクロード」シリーズが放映されていたわけですが、その時の映像も、見たことのない自然と文化に彩られていて、      実際にそこに身を置いてみるということに興味をそそられたものでした。

 あれから20年。中国は開放政策の波に乗って恐ろしいまでの進歩を続けています。 経済的にすでに日本を凌駕したといっても過言ではないし、 強大な経済力と市場としてのとほうもない可能性をバックボーンにして政治的にも大きな影響力を持つに至っています。

silkroad03_02  20年前、天安門広場には人民服を着た人たちの自転車が溢れ、      車は数えるほどしかありませんでした。西域のオアシスでは、ロバ車がのんびりと通りを行き交って、      朝夕はコーランの朗唱が日干しレンガの街並に響き渡っていました。

 ちょうど、久保田早紀の「異邦人」がヒットしていた頃で、そのテープを聴きながらタクラマカン砂漠を渡っていると、 幻想の世界に迷い込んでしまったかのようでした。

 20年前にシルクロードを訪ねる際には、事前に得られる情報は、それこそNHKの報道が全てといってもいいくらいで、後は、 近代に中央アジア探検を行ったヘディンや大谷探検隊の記録を紐解く程度が関の山でした。

silkroad04_01  それが、今ではGoogleEarthで、シルクロード主要都市の路地裏から、      タクラマカン縦断公路を走る車の一台一台までクローズアップして、      3D化した映像でそこにいるかのようにシミュレーションが可能になっています。ネット上には、      細々したオアシスの旅行記だけでなく、ライブ映像までアップロードされています。

 今回辿るルートは、すべて高精細の衛星画像でチェックできる上に、各オアシスではネット接続が可能となっていて、 またぼくが使っているDocomoのFOMA端末ではGSMをカバーしているので、そのまま現地で電話番号はそのままで着信できるし、 i-modeでの通信も可能です。

 20年前は、ホテルのフロントに日本までの海外通話を頼んでから通じるまでに優に半日は待たされ、その回線も雑音が多い上に、 途中で切れたりしてしまったものでした。

silkroad05_01  都市化の波に洗われ、「辺境」は急速に姿を消し……自分の中でも、かつて「シルクロード」       という言葉に抱いたイメージは消え失せ、代わりに何が見えてくるのか……。

 未知の土地への素朴な憧れや懐かしさではなく、世紀をまたぐ20年という時間が、何をどう変えたのか、 その背後にあるグローバリゼーションとは何なのか……そんなことが浮き彫りになってくるのではないかと、 そんな風に今度の旅では期待しています。