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« 久高オデッセイ | メイン | 身延町でホタル見物 »

2007年6月 1日 (金)

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世界遺産・熊野古道を巡る Vol.4 --那智大社と熊野本宮--

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■捨身修行が行われた那智の滝■

DSC_0230  熊野には主要な神社が三つあり、それを熊野三山と呼称します。      三山の中心ともいえる本宮大社、前回紹介した速玉大社、そして那智大社。

 次に向かったのは、那智大社。ここは滝をご神体とする神社で、まさに自然信仰をそのまま残しています。

 山道を登り詰めていくと、山を埋め尽くす濃密な緑の中に、一筋の白い線が見えます。近づいていくと、 それは信じられないほどのスケールとなり、滝の下に立つと、そのスケールとともに優美な姿に言葉を失ってしまいます。

 緑一色の中に、熟練の画工が全身全霊を込めて一筆で描き下ろしたような、見事な筆筋の白。     かつて熊野の果無しの深山に分け入り、長い困難な旅の末にここにたどり着いた人たちは、この光景を前にして、「神」    がこの風景を描いたと思ったに違いありません。

DSC_0191  遠景でも、近景でも心を打つ「絵」を見せるこの滝は、      まさに自然の造形の妙であり、あまりにも完成されたその美しさには、やはり神の存在……      滝そのものが神の化身であると信じさせずにおかなかったでしょう。

 かつて、吉野から熊野に抜ける「奥駆け」と呼ばれる山岳修験者(山伏)たちの修行では、「捨身修行」 がこの滝で行われたと伝えられています。捨身、つまりこの滝の上から身を投げて、即身成仏を図るというものです。

 もっとも最近は、明治17年に実利上人が千日篭りの修行を満願成就した後、那智の滝に捨身入定したという記録が残されています。 その後は、捨身修行の禁止令が出て行われなくなりました。

 しかし、捨身といったあからさまなものではなく、命を掛けた修行が最近まで行われてもいました。

 1995年の夏、実利上人と同じように、一人の山岳修験者が熊野の山奥に篭り、孤独な断食行を行っていました。熊野の山は、 夏の初めはいつも厚い雲に閉ざされ、人を寄せつけない独特の霊気が山を覆って此岸と彼岸の境目に位置するような幽玄さをたたえています。 ところが、その夏は眩しい蒼天の元で果無く続く山襞が輪郭を際立たせ、まるで行者を胸襟を開いて受け入れたかのようでした。

DSC_0201  伊富喜秀明行者は、そんな熊野には珍しい乾いた夏の初めに山に入り、      秋を迎える60日後に満願成就を果たして下山する予定でした。

 ところが、満願までもうわずかという55日目、師は絶命入定してしまいます。

   伊富師は、    初めから入定するつもりで山に入ったのではありません。 60日間の満願成就の後には下界に降り、    再び俗世に身を置いて普通の暮らしに戻る予定でした。でも一方で、 自分の修行が命を掛けたものであることをよく理解し、もし    「その時」が訪れれば、それに従う覚悟もできていました。

 伊富師のもっとも尊敬する修行者は、ほかならぬこの実利上人でした。師が山篭した堂には 「実利行尊者」 の文字が掲げられ、伊富喜行者を見守っていたそうです。 自分が尊敬する実利上人と同じく熊野に入定した師の最期は至福だったのかもしれません。

 奈良、平安の昔から、現代まで、熊野にその身を捧げて仏となった人間は数知れません。捨身入定した者、 補陀洛舟に乗って大海原へ漕ぎ出していった者、あの空海が入定した高野山も、熊野に連なる土地です。

 この世とあの世の境界に位置する、そんな熊野の雰囲気が、 人の彼岸への憧憬をどうしようもなく掻き立ててしまうのでしょうか? 必死で救われたいと願って遍路をする四国に対して、人間であること、 肉体という制約を超越したいと願い、潔く実践してしまう熊野……同じ「巡礼」でも、対極にあるように思えます。

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**那智の滝を見下ろす高台に位置する「那智大社」。隣の「青岸渡寺」       と一対を成している**

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**境内の片隅にあるタブノキの巨木。中が洞になったこの巨木の胎内を通り抜けることで、       生まれ変わりを象徴する。この胎内巡りも熊野古道のルートになっている**

 

■熊野本宮■

DSC_0255   那智大社からいったん新宮に戻り、熊野川沿いのR168を北上。      蕩々とした清流の熊野川は、筏下りやカヌーツーリングが盛んですが、今の時期は水量が少なく、      広々とした白い河原のほうが目につきます。

 和歌山市でトレッキングやシャワークライミング、カヌー、    シーカヤックのガイドを主とするアウトフィッターを立ち上げた友人がちょうどこの川を下っているところなのですが、    本当は熊野本宮のあたりからエントリーしたかったのに、艇が底をついてしまうので、少し下ったところからエントリーしたとのこと。    

 和歌山から「中辺路」の熊野古道メインルートを辿り、さらに本宮から新宮までをカヌーで下る、 なかなか魅力的なコースです。

DSC_0258  さて、R168は北上するにつれ、なお一層山深くなり、      果無山脈の中心に向かっていることを実感させます。その最奥部ともいえる場所に、熊野本宮が鎮座しています。

 今では、サッカー日本代表の守護神としてポピュラーな八咫烏が出迎える参道を登っていくと、 落ち着いた趣の社殿が現れます。熊野三山の他の二社が竜宮城を思わせるような鮮やかな朱が印象的なのに対し、 こちらはモノトーンの落ち着いた雰囲気で好対照を成しています。

 じつはこの社殿は明治22年に十津川から本宮を総ナメにした大洪水までは熊野川の中州にありました。今では、 大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中州の旧地には大鳥居と社殿の跡が残るだけとなっています。

 現在の社殿は、参道のすぐ横を熊野古道が走ることでもわかるように、    かつての熊野古道上に新たに創建されたものです。

DSC_0259   明治の洪水では、      上流の十津川村では村の半数以上の世帯が田畑やいえる場所押し流され、住むところを無くして、北海道へ移住しました。      今の新十津川村が、その移住先で、洪水から北海道移住後の苦難は『新十津川物語』という長編小説にまとめられています。

 さて、この日は熊野本宮に詣で、その後は河原に湯が噴き出していることで有名な川湯温泉のキャンプ場に泊まる予定だったのですが、 だいぶ陽も傾いてからキャンプ場まで言ってみると、もうそこはテントが軒を接する「難民キャンプ」状態。さすがに、 ゴールデンウィークの最中で、人気のキャンプ場となると、避けられないものなのでしょう。

 さすがに、この人混みの中に分け入っていく気力は起きず、この日は熊野川中流の道の駅まで引き返して、 その片隅で車中泊ということにしました。

DSC_0244
**満員御礼の川湯キャンプ場。これでは落ち着かない**

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**川湯の隣にある湯の峰温泉は小栗判官の物語でも有名。       源泉に卵や芋などを浸して茹でて食べることができる。我々もさっそく、キャンプ用に持っていた食材を使って、       源泉で昼食を調理**

 

honguu

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

 

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