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2008年1月31日 (木)

記事タイトル

江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界

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 竹中平蔵氏が主催するライフスタイルサロンで、江戸時代を題材にした小説や文化論、 エネルギー論で知られる石川英輔氏の講演を聞いた。

 「ダモクレス」 、「earth」 でも触れたように、地球温暖化による人類存亡の危機が刻々と迫る中で、江戸時代の洗練されたリサイクル社会についての石川氏の紹介は、 とても刺激を受ける内容だった。

「ハイブリッドにしようが、電気にしようが、クルマほど無駄な移動手段はありません。だって考えてもみなさい、 私は体重68kgですけど、その自分の体と、ちょっとした荷物を運ぶために、1tとか2tの『物体』を動かさなければならないんですよ。 電気だろうがガソリンだろうが、2000kg-68kg分のエネルギーは、まったくの無駄になっているわけですからね」

 といった調子で、身近なものの事例をたくさんあげて、現代がいかに非効率な社会で、 リサイクルやサステイナブルからいかに遠いかを教えてくれる。

「昭和35年くらいまでは、江戸率は70%くらいだったんですよ。この当時は、 日本人一人当たりのエネルギー消費率は1万キロカロリー/日で、今の10分の一以下。それが大阪万博の頃には、5万キロカロリー/日で、 今の半分のレベルになる」

杉の風呂桶」 でも書いたように、ぼくが子どもの頃は、ペットボトルなどなくて、市販の飲料は、すべて使いまわしできるガラス瓶に入っていたし、 着るものは天然素材のものがほとんどだった。小さな畑で祖母と野菜を育てていたが、 それだけで一家五人が食べる野菜の半分以上はまかなえていた。手漕ぎの井戸から溢れる水はとても冷たくて、旨いミネラルウォーターだった。 田んぼや畑には、下肥が使われ、畑に踏み込んで遊んでいると肥溜めに落ちたりしたものだった。

 子どもの頃の朝のぼくの日課は、味噌汁に入れるためのニラやらほうれん草やらを畑に取りに行き、鶏小屋に入って、 けたたましく威嚇してくる雌鳥を半泣きになって追い散らして、生みたてのタマゴを強奪してくることだった。

 あの頃は、たしかに石川氏が言うように、「江戸率=リサイクル率」がとても濃い時代だった。

 便利になったようで、逆に、物事の意味が希薄になり、いつも気ぜわしく追い立てられている今に生きていると、一つの理想郷として、 子ども時代が思い起こされる。

 今と比べて、何か不自由だったかという、とくに思い至らない。あの頃は、もっと季節感がはっきりしていて、人の生き方も、 季節の変化との一体感があった。

 江戸時代に逆戻りして、質素で穏やかな暮らしができればいいとは思わないし、それが可能だとも思わない。 車がここまで普及した世の中では、それを一気に公共交通機関や自転車に切り替えようというのも現実的ではないし、 より燃費のいい車に切り替えたり、代替燃料を使ったりすることもとても大切だと思う。

「私が住んでいる家は、もうだいぶ古くて、この前、タイル張りの風呂が壊れてしまったんですけど、昔の家は、 最初に風呂を作ってから周りを造作していくから、今までの大きさの風呂は入らない。

 そこで、建物を壊さずに入れられる風呂にしたら、これがもう、座棺のように膝を曲げないと入れなくてね。最初は、 風呂で足を伸ばすこともできなくて情けないと思ったんですけどね。

 使う水が少ないから、風呂はすぐ沸いて、ガス代も浮くし、もちろん水道代も安くなった。洗濯機に残り湯を移すと、 風呂桶の1/3くらいは使うので、水を有効利用している満足感もあってね、逆に楽しくなってきたんですよ」

 『風呂は、手足を伸ばしてゆったりと浸かりたい』といった、価値観というには大げさだけれど、 当たり前のように思っているイメージをいったん払拭して、小さい風呂ならではの利点を見つけ出して楽しむように、生活の様々な局面で、 『足るを知る』といった視点でライフスタイルを見直していけば、案外、楽しく生きていけるし、それが波及すれば、今、 人類にとって差し迫った課題になっているサステイナブルな世の中というのが、実現できるのかもしれない。

2008年1月29日 (火)

記事タイトル

杉の風呂桶

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 『考える人 2008冬号』を読んでいたら、大貫妙子がエッセイで、ヒノキの風呂桶を自宅に入れたと書いていた。

 20年前に葉山に自宅を建てたときに、ヒノキの風呂桶を奮発して、それがかなり草臥れたので、新調したのだという。 値段が20年前の二倍になり、材の厚さが5mm薄くなったと嘆きつつも、それが運び込まれただけで、 家全体がヒノキの香りに包まれて、幸せを感じたという。

 そして、古いヒノキの風呂桶は解体して、大きくとれた材はテーブルにでもして、 あとは薪ストーブを入れたときの燃料にするのだと。

 そんな文を読んで、幼い頃に実家にあった杉材の風呂桶を思い出した。

 昔の田舎の家では割とポピュラーだった、町の風呂桶屋さんが作った楕円形の風呂桶。今、思い出すと、 あれはたしかにいい香りがして、湯はまろやかになり、冬でも湯温が下がらなかった。

 小さな子どもにはちょっと深くて、湯に馴染まされた桶の内側がツルツルと滑って少し怖かったが、あの柔らかい湯の感触は、 いまだにはっきりと覚えているし、どんな温泉でも、あのときの湯の気持ち良さにはかなわない。

 ぼくは、まだ学校に上がる前から、風呂焚きをまかされて、庭で薪を割って、新聞紙を丸めて火付けにして、 割った薪をくべて湯を沸かした。父が珍しく早く帰宅すると、うれしくなって、盛大に薪を燃やし、火吹き竹で、 小さいほっぺたを一杯に膨らませてフーフーやって、「そんなに燃したら、熱いだろ」などと叱られたものだった。

 杉の風呂桶が二代目になったとき、大貫さんが書いたように、家中が杉の香りに包まれて、 なんだか幸福な気分になったことも覚えている。

 一代目の風呂桶は、そのまま庭の片隅に置かれて、大きな水槽となった。

 雨水が溜まるにまかせたその水槽は、父が丹精込めていた植木の水遣りのために使われ、夏場は、 ボウフラ退治がぼくの役目だった。

 ある年の春、近くの池でたくさんのオタマジャクシを捕り、それを風呂桶水槽に放しておいた。すると、 それから一月あまりした梅雨の最中に、一斉にカエルになって、風呂桶から飛び出し、強い雨が降りしきる中、実家は、 トノサマガエルの大合唱に包まれた。

 二代目の風呂桶は、何年持ったのか……それが杉板を箍でとめた安いものだったせいか、 大貫家の20年持ったヒノキとは比べものにならないくらいの短さで、湯船に木っ端が浮かぶようになってしまい、それは、 たしか廃棄された。

 代わりに風呂はタイル張りの浅いものになり、薪から石油での焚きつけに変わった。

 タイルの風呂は冬場はとても冷たく、すぐに湯が冷めてしまって、それを機に、ぼくは風呂嫌いになってしまった。

2008年1月26日 (土)

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ダモクレス

 AFPが北極海全域で環境変動の調査を続ける「ダモクレス」の2007年度調査の概要を伝えた。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2341476/2558568

 2005年から2007年の2年間で、北極の海氷面積は530万平方キロメートルから413万平方キロメートルに減少。 さらにその減少速度は加速していて、この夏にはさらに110万平方キロメートル減少すると予測している。

 すでにフランス国土の2倍、日本国土の4倍近くの海氷が失われて、このままでは、北極の氷は4年後には完全になくなるとの予測だ。

 earthでは、 かつては氷の世界で、悠々と暮らしていたシロクマが、氷の消えた海を獲物を求めて力尽きるまで泳ぎ、 最後にはセイウチに負けて死んでいく姿が映しだされていた。

「人類滅亡」などというと、SFの中の遠い未来の話のように感じていたが、「それ」は、密かに……あるいは、 愚かな人間が隠蔽し続けるうちに……着々と進行し、気がついてみれば、目の前に突きつけられていたものとなっていた。

 シロクマの絶望的な死は、明日のぼくたちの死だ。

 これを防ぐためには、いったい何をすればいいのか……もはや、大地にとっての「癌」となってしまった我々は、 地球の怒りを素直に受け止め、切れ落ちてくるダモクレスの剱を、潔く心臓に受け止めるべきなのかもしれない。

2008年1月23日 (水)

記事タイトル

SERENGETI POLAMAX

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 オゾンホールの影響で、アウトドアでは危険なほどの紫外線を浴びる南半球では、あまり肌を露出しないことと、 適切なアイウェアを身につけることが当たり前になっている。

 ニュージーランドでシーカヤックガイドをしている友人によると、欧米人は、アウトドアアクティビティを楽しむ際に、 目を保護するサングラスの着用が、子供も含めてほぼ100%なのに対して、アジア人、とくに日本人は非常に着用率が低いという。

 雪山では、「雪目」といって、裸眼で強烈な紫外線に晒されて、一時的な視力低下と激痛に見舞われることがある。 海で一日紫外線に晒されても、同じような症状に見舞われることがある。

 本来は、人間は環境に適応してきたわけだから、環境のほうに変化がなければ、特別にサングラスを着用しなくても、 そんな症状は起こさないはずなのだが……。

 ぼくがこの数年愛用しているのは、アメリカのガラスメーカーとして有名なコーニング社が自社ブランドとして発売している 「セレンゲッティ」のサングラスだ。

 多彩なラインナップの中で、ポリカーボネイト製の偏光レンズを採用した"POLAMAX"というモデルを使っている。 夏場や冬のフィールドではスモークレンズのものを、比較的日差しが弱い時期にはブラウンのレンズのものをと使い分けている。

 このサングラスは、非常に軽く、長時間着用していても疲れないのがいい。さらに、 最近のスポーツグラスに見られるラウンドシェイプを採用していて、レンズは小振りながら、広く視界を覆うので、 映り込みもないゴーグル感覚の自然な世界が見られるのがいい。

 その名にあるように、偏光レンズなので、雪や海面のギラつきを押さえると同時に、クルマのガラスの乱反射も防ぐので、 ドライビング時にも重宝している。

 今、もっともお薦めのアイウェアの一つだ。

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2008年1月21日 (月)

記事タイトル

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 洋画を日本語吹き替え版で観るということは滅多にしないのだが、今回はドキュメンタリーのナレーションということで、 かえって画面に集中できるだろうと日本語版を選んでみた。

 「50万年前、巨大な隕石が地球に衝突した。この衝突により、惑星は23.5度も傾いてしまった。しかし、この傾きこそが、 奇蹟ともいえるこの星の命の豊穣を作り出したのだ……」と始まる渡辺謙のナレーションは、淡々としていながらも、 気持ちがたっぷりとこもって耳に心地よく、テーマ性の高い内容が、すんなりと染みこんでくる。

 北極に春が訪れ、長い冬ごもりから抜け出すシロクマの母子。その愛らしい姿から、南極へ向かって、映像の旅が始まる。

 白い氷の世界から、徐々に緑が目立つようになり、ツンドラから広大な針葉樹の森「タイガ」へ。その雪原には、 動物の痕跡が極端に少なく、じつはあまり多くの命を育むことのできない不毛の地だと知って、意外に思う。

 カメラが南下していくにしたがって、徐々に見慣れた温帯の広葉樹林へ。ここでは、 定点カメラが四季の移ろいをまるでリアルタイムで季節が変化していくかのように映しだし、その色彩の目の覚めるような変化に、 あらためて四季を持つ土地で生まれたことの喜びを噛みしめる。

 生命の坩堝、熱帯のジャングル。一年のうちに乾期と雨期の極端な環境変化を見せるサバンナのその変化の激しさと、 水を求めて移動する動物たちの「生」への闘いに胸を打たれる。

 あまりにも無機質で、だからこそ美しく、そして恐ろしい砂漠。天を突くヒマラヤの峰々を渡っていく鶴の神々しいほどの姿……。

 陸から離れたカメラは、赤道の海に遊弋する鯨の親子をとらえ、この二頭の南極への旅を克明に追っていく。

 この地球上で、こんなにも多彩な光景が展開され、そこにまさに奇蹟のような生物の営みが織り込まれている。頭で理解していても、 このearthが見せつけてくる映像の迫力に、ただただ唖然とし、自分が生きる、この地球のことについて、知っていたようで、 そのほんの断片しか理解していなかったということに気づかされる。

 そして、果てしない地球の美しさと命の輝きに圧倒された後、それらが、人類による文明の犠牲になりつつあることを突きつけられる。

 自らが生きる「氷」というステージを失い、飢えて死んでいくシロクマ……その姿からは、「果たして、 ここまで環境を破壊してしまって、今さら間に合うのだろうか」と途方に暮れてしまう。

 しかし、荒れ狂う南氷洋で、互いにはぐれまいと、必死に位置を確認し合い、支え合いながら進んでいくザトウクジラの親子の姿に、 こうした命の営みを守り続けるためにも、ここで諦めてはいけないと思い知らされる。

 earthが語っているのは、この地球が人類だけのものではないということ。だからこそ、人類は、 ここまで病ませてしまった責任を取って、地球を元の姿に戻すように努力をしなければいけないということが、お仕着せの環境論などよりも、 遙かに深く、重く、迫ってくる。

■earthオフィシャルサイト■

2008年1月18日 (金)

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白馬スノーフィールド その3

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**雪原を突っ切って、小さな丘を回りこむと、そこはまぎれもないバックカントリー。 こうしたところを自由に進む快感は、ゲレンデでは味わえないだろう**

 今回の白馬では、バックカントリースキー修行の第一弾として、クラシカルスタイルのテレマークスキーに挑戦したわけだけれど、 これが、じつはなかなか思うように操れない。

 自分のイメージ通りにまったく動かせないという経験は、もう30年以上も前に初めてバイクでオフロードを走り始めたとき以来で、 苦痛というよりも、「まだまだこの世には、初歩から覚えていかなければいけないものがたくさんある」とうれしくなった。

 前回は、クロスカントリーコースで、クラシカルテレマークを初体験したわけだが、それから二日おいて、今度は、 白馬で何度もお世話になっている北野建設白馬支店の下川さんに、貴重な休日の時間を削っていただいて、 バックカントリーでコーチしてもらった。

 じつは、バックカントリーといっても、国道沿いにある下川さんの奥さんが経営されている喫茶店「ぷぅ」 の目の前の雪原(春から夏の間は畑)から、裏山にかけての「里山」ともいえるところ。

 でも、一歩踏み込めば、アニマルトラッキング(動物の足跡)が雪の上に残り、カモシカにも出会える、 まぎれもないバックカントリーとなる。

 わざわざ東京から何時間もかけて雪山にやってきた身としては、 自宅からスキーを履いてそのままバックカントリーに踏み込んでいける環境というのは、まさに羨望で、「はやく内田さんも、白馬に移住して、 この生活を楽しみましょうよ」と下川さんに誘われると、明日にでも荷物をまとめてやってきたくなる。

 子どもの頃から冬はスキーを履いて、通学の足代わりにもしてきた下川さんは、クロスカントリー用のエッジのない細い板で、 何の苦もなく滑って行ってしまうのだが、ぼくは、難渋してようやくついていく。

 それでも、4kmほどのコースをアニマルトラッキングを追いかけたり、 夏場には下川さんがテンカラ釣りを楽しむ沢に沿って滑ったりしているうちに、だいぶコツがつかめて、楽に進めるようになってきた。

「スタート時点とは、見違えるほどに慣れて、自然になりましたよ。この感覚を忘れないように、間をおかずに練習しましょう!!」

 そう、励まされて、さて、次は来週にでも時間を作って、また白馬に行かなければと、算段している。

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**春から秋にかけては畑が広がるこの場所が、冬場は大雪原に**

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**白馬でいつもお世話になる下川さん。 子どもの頃からスキーを履いてきた下川さんのように滑れるようにはなれるはずもないが、この冬は、白馬に通いつめて、 なんとか形になるようにしたいと思う**

 

2008年1月15日 (火)

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白馬スノーフィールド2

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 この時期、平日の白馬は、海外のスキーリゾートかと錯覚するほど「外人率」が高くなる。そのほとんどは、 オーストラリアとニュージーランドからの客で、通りを歩いていても、居酒屋へ行っても、共通語は英語というくらい密度が濃い。

 ぼくがお世話になっているペンション 「ミーティア」でも、オーストラリアからの家族連れが賑やかに団らんしていたり、 ニュージーランド人のスキーとスノーボードのガイドがお客さんとツアーの打ち合わせをしている光景が、当たり前の日常のようになっている。

 海外客の多いスキーリゾートといえば、ニセコが思い浮かぶが、ニセコは香港資本が入り、その主導で開発が動き出したために、 南半球の客をたくさん送り込んでいたカンタス航空の直行便がなくなり、成田から便利な送迎タクシーが使えたり、新幹線で長野まできて、 そこから30分あまりの白馬へとシフトしてきたのだという。

 もっとも、最大の魅力は、ダイナミックな3000m峰をバックにした多彩なゲレンデと、高度によって変わる雪質で、それは、 海外のスキーリゾートでも他に類をみないもので、それに気づいたスキーファンの間で、評判が広がっているというのが実情のようだ。

 わざわざ海外のスキーリゾートに行かなくても、白馬へ行けばそんなリゾート気分が味わえるというのは、ちょっとお得な感じだ(笑)。

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2008年1月13日 (日)

記事タイトル

白馬スノーフィールド

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**スノーシューコースのクライマックス。圧巻の大雪原**

 白馬といえば、八方尾根や五竜遠見といった大規模スキー場を擁する二本でも屈指のスキーリゾートのイメージがある。でも、今は、 スキー人口そのものがかつてに比べて激減し、一頃の賑わいはない。

 今は、白馬といえば、オーストラリアやニュージーランドからのスキー客のほうが多いような現状で、実際、ホテルやペンションも、 さらに飲食店でも、街角でも、外国人客が目に付く。

 ぼくは、高校時代から登山は楽しんできたが、どうもスキーには縁がなく、 ゲレンデスキーを楽しむために白馬を訪れるといった発想はもともとなかった。

 それが、数年前からスノーシューで雪山を巡るようになって、もっと冬のバックカントリーを楽しみたいと思うようになった。 そんなところへ、白馬と不思議な縁ができて、地元のペンション「ミーティア」にご厄介になり、 オーナーの福島氏にテレマークの教えを請うこととなった。

 今回は、まず「クラシカル」と呼ばれる細い板と革のブーツの組み合わせで、足慣らしをすることに。 10年前の長野オリンピックのクロスカントリーコースとして使われて、今は一般に開放されている「スノーハープ」で、 基礎から教えてもらった。

 さらに、その後、スノーシューに履き替えて、GPSを片手に雪原、樹林を縦横無尽に縫っていくコースを設定。

 テレマークは、今後、白馬に通いつめて、しっかりバックカントリーを滑れるようになりたいと思っている。

 また、スノーシューは、昨年から取り組んできた「ツリーイング」と合わせて、雪山で木に登り、 スノーキャンプを楽しみたいと思っている。

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**はじめは、クラシカルテレマークで歩くスキーを楽しむ。序盤はわりと快調だったのに、 緩い斜面でコントロール効かず、転倒を繰り返す(笑)。写真は、マンツーマンでコーチしてくれたペンション「ミーティア」 のオーナー福島さん**

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**午後はスノーシューフィールドの開拓**

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**グリセードならぬ「尻セード」で、急斜面を駆け下りる**

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2008年1月12日 (土)

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雨から雪へ

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 昨夜、白馬は雨になった。今年は寒い冬が予想されていたのに、正月に大雪が降ってから後はまったく降らず、どんどん溶けていて、 さらに雨が追い討ち。

 でも、夜半から雪に変わって、積雪を取り戻しつつある。

2008年1月11日 (金)

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穏やかな天気

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 本日は穏やかな晴天。いざ、雪原へ!!

2008年1月10日 (木)

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初雪

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 東京でも今週末は初雪が降るかもしれないとの予想だが、一足お先に、初雪を堪能しに、白馬にやってきた。

 雪不足だった去年とは大違いで、まさに「雪国」らしい風景。

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2008年1月 7日 (月)

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東国三社巡り その3 息栖神社とまとめ

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 東国三社のうちでも、他の二社に比べて地味な存在なのが、息栖神社だ。鹿島と香取に祭られる二神が、 武神でありその神剣であるのに対して、息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」という地味な存在の神が祭られているせいかもしれない。

 しかし、個人的には、鹿島と香取の両神宮が、豪壮ともいえる派手で大掛かりな作りなのに対して、息栖神社は、いかにも「鎮守様」 といった風情のこじんまりとして、地元に根付いた雰囲気に好感が持てる。

 鹿島、香取両神宮は、ともに要石と呼ばれる、古代の巨石信仰を今に伝えるご神体が崇められているが、この息栖神社では、 井戸がご神体とされている。

 神社が向くその先には、利根川の支流の辺に立てられた大きな鳥居があり、その支柱の両側に、小さな鳥居が立てられている。 その鳥居の下に、泉が湧いている。

 利根川河口に近いこのあたりは、海水と淡水が交じり合う汽水域となっているが、この井戸は、 その汽水の中に湧き出す非常に珍しいもので、 「忍潮井(忍塩井)=おしおい」 と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられている。

 左右の泉は、 それぞれに女瓶、男瓶と呼ばれる瓶が据えられていて、その中から湧き出しているという。男瓶は銚子の形をしていて、 女瓶は土器の形をしている。

 その瓶は、 とびきり天気のいい水の澄んだ日にしか姿を現さず、その姿が見られると幸運が舞い込んでくるといわれている。訪ねた日は、 身を切るような北風が湖水を海のように波立たせていたが、空は晴れ渡り、泉は澄んで、はっきりと、その瓶を確認することができた。

 2008年は、 きっといいことが待ち受けているのだろう(笑)

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**利根川の支流に面した霊泉「忍潮井」。この日は、幸運にも、 泉の中に据えられた瓶を目撃することが出来た**

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**境内には、祭礼の際に若者たちが力比べをしたと伝えられる「力石」がある。これも、 古代の巨石信仰の名残だろうか? 樹齢1000年を越えるといわれる夫婦杉。こうした貴重な巨木が残されているのも、 日本人の魂の奥底に自然信仰がいまだに息づいていることの一つの証明だろう**

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**水郷地帯に点在する東国三社をめぐり終え、香取神宮の一の鳥居まで戻ると、見事な満月が登った。この鳥居は、鹿島神宮を向き、 12年に一度の神迎祭の際に、鹿島から神を載せた使者が湖を渡ってやってきて、ここから上陸する**

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**東国三社の位置関係**

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**鹿島神宮に見られる不思議な配置**

■レイラインハンティング■
鹿島トライアングル ―東国三社と巨石信仰の謎―

2008年1月 5日 (土)

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東国三社巡り その2 香取神宮

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 剣道や柔道の道場には神棚があって、「鹿島大明神」、「香取大明神」などと墨書された軸が掛けられていることが多い。それは、 先に紹介した「国譲り神話」で、オオクニヌシの次男であるタテミナカタを打ち破って、 天津神の地上支配の礎を築いた鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチと、それが手にした刀の神である香取神宮のフツヌシにあやかったものだ。 ちなみに、三社のもう一つ息栖神社は二神が乗った舟の神アメノトリフネ(天鳥舟)として知られる。

 じつは、このように、記紀神話に基づいた神を祭り、しかも記紀神話に語られる物語を大地に配置した神社というのは数多い。

 神社単体として見たら、「古くさい信仰」のような気がするが、ぼくがレイラインハンティングで実践しているGPSを使った神社巡りをすると、 古代の人たちが恐ろしく正確に神社や遺跡を配置して、太陽や星の運行を観測したり、 聖地どうしを有機的に結びつけていたことがわかって面白い。

 本当は、今回は自転車にGPSを装備して三社を回るつもりだったのが、準備不足ためにかなわなかった。もう少し暖かくなったら、 三社とともに、三社が位置する風光明媚な水郷地帯をサイクリングして巡ってみたいと思っている。

 さて、今回は、東国三社も二つめ、香取神宮を紹介してみよう。

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**千葉県の佐原市にある香取神宮。ここも広大な鎮守の森に囲まれている。 佐原は日本で初めて正確な地図を作った伊能忠敬の生地でもあり、街の中心部に記念館がある**

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**取材したときは、もう年の瀬だというのに紅葉の絨毯で、晩秋の趣。冬至の日差しも春のような温もり。 しかし、これは、麗らかに感じることはできない。自然のバランスが狂ってきていることの証だからだ**

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**境内には、年末らしく、大祓のための茅の輪が据えられていた。国津神=出雲系の神社は茅の輪を潜ったら、 まず右方向に回って八の字を書くが、天津神=伊勢系の神社では左回りから始める。香取神宮は天津神なので左周り。 このあたりにも、日本神話の面影が残っていて面白い**

 

2008年1月 3日 (木)

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東国三社巡り その1 鹿島神宮

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 未だに2007年の元旦の記憶が鮮明に残っているというのに、気がつけば2008年が明けてしまった。……まったく、毎年毎年、 時間の流れがどんどん加速していくように感じてしまうのは、やはり歳を取ったということだろうか。

 それはともかく、明けましておめでとうございます!!

 年が明けて、さっそく初詣を済ませた人も多いとは思うが、今回は、『東国三社』 と呼ばれる千葉県と茨城県に点在する三つの神社を紹介してみたいと思う。初詣がまだという方は、ぜひ、候補に!!

 さて、本題に入る前に、まず一言。アウトドアのblogで神社を取り上げるというのも、おかしなことに思えるかもしれないが、 ぼくは、昔から、アウトドアのフィールドとしての神社の森と、そこに古来から伝わる自然信仰は、日本人の感性のコアにある「自然と共生する」 という感覚を端的に示すもので、まさに「日本的アウトドア」の原点ではないかと思っている。

 神聖であり不可侵である神社の森には、人を癒し、元気を取り戻させてくれる精気が満ちている。そして、 太陽の運行に沿った折節の祭りは、人が自然のリズムの中で生きていくことこそ、健康で幸せな生き方であることを思い出させてくれる。

 そんなわけで、ぼくは、日本的アウトドアの代表的なフィールドの一つとして神社を位置づけているのだ。

 さて、東国三社だが、これは記紀神話の中で語られる「国譲り神話」にちなんだものだ。

 太古、神々は、天に住む『天津神』の一族と、地に住む『国津神』の一族に別れていた(もっとも、神道では、 それを峻別しているわけではなく、間を繋ぐ神々や、どちらにも属さない神々もあるとしているのだが)。

 天を統べるアマテラスは、国津神の支配する地上をも統一しようと、その頂点にいたオオクニヌシの元に、「国を譲れ」 と迫る使者を送る。その使者が、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三神だった。この三神を祀っているのが東国三社だ。

 タケミカヅチを祀る鹿島神宮、フツヌシを祀る香取神宮、そしてアメノトリフネを祀る息栖神社が、東国三社と呼ばれて、 東関東の一角に大きな二等辺三角形を描くように配置されている。

 この天からの使者である三神を迎えたオオクニヌシは、国譲りを了承する。しかし、 それに反対する次男のタテミナカタがこれに抵抗して戦いとなる。

 武神の頂点にあった鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチとタテミナカタは壮絶な戦いを繰り広げた後、タテミナカタは敗走して、 今の諏訪地方にたどり着く。そこまで追撃したタケミカヅチは、タテミナカタが諏訪の地に永遠に留まるのなら許しを与えると約束する。

 そして、天と地は統一され、アマテラスがその頂点に立った。

 鹿島神宮は、堂々とした鳥居と山門を構え、それが不思議なことに西を向いている。ほとんどの神社は、 鳥居と本殿の向きは南を向いている。ごくまれに参道が東を向く神社もあるが、西を向いているというのは、鹿島神宮以外にほとんど例がない。

 じつは、この鹿島神宮の鳥居が向いている遙か先にはタテミナカタを祀る諏訪大社がある。鹿島神宮は、今でも、諏訪大社を睨み据えて、 牽制しているというわけだ。

 それ以外にも、鹿島神宮にまつわる面白い逸話はたくさんあるのだが、 それは神話学の話やレイラインと呼ばれる古代の工学の話になってしまうので、ここでは触れずにおこう(詳しく知りたい方は、レイラインハンティングへ)。

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**西を向く鹿島神宮の参道。この先には諏訪大社がある**

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**本殿は北を向いている。これも他に例を見ない配置で、鹿島神宮が朝廷の東国支配の拠点であり、 ここより北に住む「エゾ」をにらみ据えていたことを物語る**

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**鹿島神宮に伝わる七不思議**

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**奈良の春日大社は、鹿島神宮を勧請したもので、神の使いとされる鹿は、ここから連れて行かれた。 奈良公園の鹿は、元々、ここの鹿の地殻引いている**

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**2000年以上守られてきた広大な鎮守の森は、精気に溢れ、 心身とも癒してくれる**

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**鹿島七不思議の一つ「要石」は、この土地の地下に棲む大ナマズの頭を押さえていると伝えられている。 水戸黄門は、この石を掘り起こそうとたくさんの人足を使ったが、七日七晩かけても、ついに掘り起こせなかったという。 巨石信仰という一つの原始自然信仰の名残りを伝えるものでもある**

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**鹿島神宮の本来の参道は北から始まっていた。その起点にある御手洗池。ここも鹿島七不思議の一つで、 大人が入っても子供が入っても、その深さは乳の高さで一定していると伝えられる**

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**散策の仕上げは、御手洗池の畔にある茶屋で、名物の甘酒と団子を**

その2へ続く