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2007年5月31日 (木)

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久高オデッセイ

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 沖縄本島の東、世界遺産の一つである斎場御嶽(セイファウタキ)の沖合に久高島が浮かんでいます。以前、沖縄御嶽探訪記でもご紹介しましたが、 ここは、沖縄創生神話にまつわる「聖地」として知られています。

 女神が拓いたとされる久高島。その女神に仕える「ノロ」と呼ばれる巫女たちが、独特の宗教文化を形作っています。

 恵まれた自然の中にあって、必要なだけのものを戴き、恵みに感謝して、祈りを捧げる生活。それは、 自然と穏やかに共生するための智慧だったことがよくわかります。そして、大量消費社会の現代にもっとも欠けているものであることが……。

 久高島に伝わる「イザイホー」と呼ばれる祭りは、12年に一度、島のノロが総出で行う久高島でもっとも重要な祭りですが、 それが1978年を最後に後継者がいないために途絶されています。

 80年代初頭に500人を越えていた人口が、今ではその半分。ノロの後継者も減り続けています。

 78年の最後のイザイホーを取材し、久高島の歴史と文化を掘り下げることをライフワークとしてきた比嘉康雄さんという方がいました。 この記録映画は、2000年に亡くなられた比嘉さんへのオマージュでもありました。

 今回、ぼくが観た上映では、その比嘉さんの最期の半月あまりを追った『原郷のニライカナイへ』も併映されました。

 末期ガンで余命半月と告げられている比嘉さんは、重病であることなど微塵も感じさせない矍鑠とした姿で、懐かしい久高島を訪ね、 久高島の東にある彼岸=ニライカナイへ向かって、静かに祈りを捧げます。

 自宅の書斎に戻って、淡々と久高島の信仰について語り、最期に監督が「死を目前にして、どのような心境ですか」と、 残酷ともいえるような質問をします。

「不思議なことにね、もうすぐ死ぬということがわかっていても、私は怖さを感じないんですよ。逆に、 自分の人生が久高島とそこに住む人たちに出会えたことで、とても幸せだったと思えるんですね。久高島の信仰では、 肉体は死んでも魂は不滅だとされています。健全な魂はニライカナイへと旅立ち、そして、自分の孫に転生して戻ってくると」

 比嘉さんは、にこやかに笑いながらそう答えます。

51SD2VE5SYL._SS500_   「沖縄でもね、琉球政府が父性原理を持ち込んで、 社会を合理化しようとすると、無駄な争いばかりが増えてしまい、競争社会になってしまった。だけど、 久高島の母性社会に身を置いてみると、自然への感謝の気持ちを持ち続けて生きていれば、 戦争なんて起こるはずがないことがよくわかるんですよ。新しい世紀を迎えて、私たちが滅びずに、幸せであるためには、今一度、 母なる自然に対する感謝の気持ちを取り戻さなければいけないのではないでしょうか……」

 そんな言葉は、まさに辞世となりました。

 比嘉さんは、メッセージとともに、「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 という素晴らしい著作も残されました。

「私は、ジャーナリストでもなければ研究者でもない。私は、人はどうして生きるのか、人が生を受けたことの意味は何か、 ただそれだけが知りたくて、ずっと旅を続けてきただけなんです……」

 そんな言葉も、深く心に残りました。

 『久高島オデッセイ』は、自主上映という形で、全国各地で上映されています。ぜひ、検索で調べて、近くで上映されていたら、 観に行ってください!!

2007年4月27日 (金)

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由布岳

由布岳
湯布院と別府の間に聳える由布岳です。今回は登りませんが、次の機会には。

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湯布院

湯布院
ちょうど新緑が盛りで、爽やかです。

2007年4月26日 (木)

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阿蘇に来てます

阿蘇に来てます
初夏の風が気持ちいいです!

2006年12月20日 (水)

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沖縄御嶽探訪記 その6 --アマツヅ御嶽・藪薩御嶽--

 これまで5回にわたって沖縄の自然信仰を象徴する御嶽巡りを紹介してきました。 アウトドアブログにどうして宗教的なことを紹介するのかという疑問を持たれた方も多いかとも思いますが、ぼくは、 アウトドアアクティビティも自然と対峙する中で、自然に対する畏怖を根底に抱いてこそ、 ほんとうの意味でアウトドアを堪能できると思っています。

 「自然を大切に」とか「サステイナビリティ」、「エコロジー」といった言葉が安易に飛び交う世の中ですが、 自然から疎外されている現代人にとっては、単なるトレンドな言葉であって、そこにはなかなか実感が伴っていないような気がします。

 古の人たちは、自然のリズムに自分たちが合わせて暮らし、自らを生かしてくれる自然を崇め、大切にして生きてきました。 その世界では「自然を大切に」といったお題目は、あまりにもあたりまえすぎることで、浮かんでもこなかったでしょう。

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**冬至間近の太陽がスーフカの中に落ちる。アマツヅ御嶽**

 今回、沖縄創生にまつわる7つの御嶽を巡り、最後に南城市玉城にあるアマツヅ御嶽を訪れた際に、とても印象的な光景に出会いました。

 小高い丘に築かれた城(グスク)全体が御嶽となっているアマツヅ御嶽へと石段を登っていくと、一の郭の門(スーフカ)が現れます。 下から見上げた岩をくりぬいたスーフカのその向こうに、日没寸前の太陽が輝いていました。

 このスーフカは、こちら側から見ると、冬至の太陽が沈む向きになっていて、 城内から見ると夏至の太陽が昇る方向に合わせて設計されているのです。

 冬至は、太陽の力がいちばん弱まるとき。世界各地で行われる冬至祭は、死にゆく太陽の再生を願って行われたものでした。 また夏至祭は、ピークを迎えた太陽の力をもらい、無病息災と繁栄を願って祝われたものでした。ちなみに、 クリスマスはキリストの誕生日を祝うものとされていますが、実際には古代の冬至祭の名残りだという説もあります。

 このアマツヅ御嶽から見ると、久高島がちょうど夏至の太陽が昇る方向に当たっています。自分たちに恵みを与えてくれる自然と、 その自然を育む太陽、それら全てを崇め、恵みを感謝する。それが理屈ではなく、素朴な信仰として、生活の中にあたりまえにとけ込んでいます。

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**藪薩御嶽から久高島を遠望。創生神アマミキヨが降り立った島をいつも意識し、 自分たちのルーツを敬うことで、子孫へも文化や自然を大切に残していこうという意識が高まる**

 御嶽巡りを終えて宿に戻った晩は、ちょうど満月でした。その晩は、 御嶽ではノロやユタたちが満月を臨んで祈りを捧げているのだそうです。女性は、月の満ち引きに合わせた体のリズムを持っています。 それを月を崇めることでさらに実感し、感謝する。女神の島ならではの風習だなと、あらためて感じ入りました。

 沖縄の御嶽は、変に様式化されることなく、古代の人たちが自然を崇めたそのままの姿で残されています。そして、今でもここを訪れて、 自然の恵みに感謝する沖縄の人たちがたくさんいます。

 アウトドアアクティビティの対象として、大自然に立ち向かうのも楽しいものですが、 こうして身近な自然の中で穏やかで感謝の気持ちを捧げるのも大切なことだと実感した数日間でした。

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**沖縄南部の御嶽は、すべて、久高島を意識した配置になっている。首里森御嶽からは久高島は望めないが、 首里城正殿と首里森御嶽を結ぶラインは久高島を向いている**

2006年12月18日 (月)

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沖縄御嶽探訪記 その5 --久高島・クボー御嶽--

 先にも少し触れましたが、沖縄創生神話では、ニライカナイという神の国からやってきたアマミキヨという女神が、 初めに沖縄本島の南島に浮かぶ久高島に降り立ち、そこから本当に渡って、沖縄が拓かれたとされています。

 前回紹介した齋場御嶽はその久高島を本島の側から遠望し、拝む形になっています。

 齋場御嶽がある山から眼下に見下ろす安座間港から小型のフェリーで20分あまりで久高島に渡ることができます。

 ほんのわずか海を隔てただけなのに、気候は本島よりもさらに南国的で、時間もさらに流れる速度を落として、 12月だというのに真夏日の太陽に照らされていると、まるで夢の中を漂っているような気分になります。

 上陸すると、まずはレンタサイクルを借りて、小さな食堂で食事。 さらにこれまた民家の納屋で営業しているようなストアでソフトドリンクを買って、島の探訪に出かけます。

 南北に長い久高島は、南端から北端まで縦断しても自転車で30分あまり。港のある南部に小さな集落があるだけで、北に向かうと、 すぐに両側にジャングルが広がる真っ白い未舗装の道となります。

 12月の夏の日差し(!?)に焼かれながら、クボー御嶽へ。ここは、ノロといわれる島の巫女たちがアマミキヨを祭る聖地で、 男子禁制となっています。本土の神道や密教関係の山岳道場のほとんどは女人禁制とされているのに対照的です。

 今回は、男二人の取材だったため、このクボー御嶽は入口のみであきらめ、のんびりと島を巡ることに。

 島を取り巻く海は青々として、入り江はどこも白い砂の目の覚めるような美しい海岸になっています。 シーカヤックで一周するにもちょうど良さそうなサイズの島なので、今度は外周を漕ぎ行きながら、 気に入った浜に上陸してのんびりするのもいいかなんて思いました。

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**安座間港と久高島を15分で結ぶ高速船**

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**島での足はレンタサイクルがベスト**

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**港周辺の整然とした石垣の町並み**

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**島の北へと向かう道は未舗装だが、フラットで自転車でもスイスイ**

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**女神の島らしく、聖地は男子禁制。ここは入口のみで参拝**

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**島の外周は静かなビーチが点在。次はシーカヤックで海から巡ってみたい**

……続く

 

2006年12月14日 (木)

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沖縄御嶽探訪記 その4 --首里森(しゅりむい)御嶽--

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**首里城正門前にある首里森(しゅりむい)御嶽**

 安須森(やすむい)御嶽で岩山登山を楽しんだ後は、名護まで戻り、沖縄自動車道で一気に那覇まで。

 再建された首里城は沖縄いちばんの観光名所で、観光バスから吐き出される修学旅行生や観光客が波状攻撃に押し寄せて、 まるで新宿駅のラッシュアワーに揉まれているような気になってしまいます。彼らは、守礼の門で記念写真を撮り、 そのまま見向きもせずに主門を潜って主殿のほうに行ってしまいますが、主門の手前には、小さな森というか緑が残された場所があって、 それは石垣で囲まれてしっかり守られています。

 それが七御嶽の一つ首里森(しゅりむい)御嶽です。

 主門を潜って主殿に向かう参道は奇妙に斜めになっていますが、それは風水的に「直行する道は、魔をまともに呼び込む」 として嫌われたからだという説明が一般的にはされていますが、じつは、その斜めを向いた参道は、首里森御嶽と主殿を結び、 さらにその先に延長していくと、沖縄創生神話縁の久高島に届くという説があります。

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**首里城周辺にはじつは御嶽が数多くある。ここは守礼門近くの御嶽。岩と樹が一体となって、 何か人智を越えた存在がそこに宿っているような気分にさせられる**

 デジタルマップでラインを引いてみると、たしかに、この斜めのラインは、首里森御嶽と正殿、そして久高島を結んでいます。 琉球王朝は俗世の権力を王が握り、それと同列に聞大君という女性の司祭が精神文化を支えていました。 この首里城と久高島を結ぶラインというのは、久高島に降り立ち、本島にやってきたとされるアマミキヨという女神=聞大君のルーツを指して、 王権の影に同じかもしくはそれ以上の影響力を持っていた精神世界の存在を暗示していたのかもしれません。

……続く

 

 

2006年12月12日 (火)

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沖縄御嶽探訪記 その3 --安須森御嶽--

 不思議な夢を見ました。

 そこは確かに沖縄で、ぼくは今回が初めての沖縄のはずなのに、馴染みのぜんざい屋があって、 幅半間で奥行き二間ほどのその小さなぜんざい屋を切り盛りしているオバアもなぜか顔なじみ。

「今から美味しいぜんざい作ってあげるからねぇ。そこにおとなしく座って待っといてねぇ」
と、オバアが台所のほうに入ると、すぐに甘いぜんざいの香りが漂ってきます。

 ところが、その甘い匂いに混じって、なにやらきな臭い臭いが……。
 その臭いが表から漂ってくることに気づいて、飛び出してみると、店の傍らの斜面が地震でもないのに、ガラガラと崩れていきます。そして、 足の裏から腹の底に鈍い衝撃を感じたかと思うと、道を挟んで店の反対側にあった山が一つ丸ごと崩れて、 一瞬のうちに平地になってしまいました。

 そこで、目が覚めたのですが、気分は何故か爽快。それまで抱えていたストレスが一気に吹き飛んだような感じ……あるいは、 古い自分が瓦解して生まれ変わったような感じでした。

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**後に訪ねた久高島でも、食堂のメニューに、しっかり「氷ぜんざい」が**

 横で飛び起きたぼくに驚いて、取材の相棒も目を覚まして、「どうしたんですか?」

 夢の話をすると、「んー、なかなかシュールな夢ですねぇ。ぜんざい屋というところが、とくに秀逸だなぁ」と、妙に関心しています。

 ぼくも、どうしてこんなところで「ぜんざい屋」なのかと思っていましたが、それは、二日目の取材をスタートすると、 たちどころにわかりました……というか、謎はますます深くなったのですが。

 二日目の取材地、沖縄本島最北端の辺戸岬に向かって走っていると、沿道の食堂の軒先のほとんどに、「ぜんざいあります」 の幟や看板が出ています。

 沖縄ではぜんざいがポピュラーなことはそれでわかったのですが、昨日は、記憶にある限りでは、ぜんざいの文字は記憶していません。 沖縄経験4回目で、移住も考えている取材の相棒も、昨日は見た記憶がないし、そもそも、こんなにぜんざいの文字を目にするのは、 今回が初めてとのこと。

 結局、ぜんざいの謎を地元の人に聞くのを忘れてしまい、なぜ沖縄にぜんざいがというのは、いまだに謎のままです。想像するに、 北前船が九州から沖縄に昆布をもたらし、それが今では料理にふんだんに使われて、沖縄料理にはなくてはならないものになっていますが、 ぜんざいもやはり北前船に由来するものではないかと想像するわけです……どなたか、ご存知の方いらしたら、ぜひ教えてください。

 といったわけで、今回は、沖縄のぜんざいの謎ということでした。

 なんて、終わりにするわけにもいきませんね(笑)

 さて、肝心の御嶽探訪の話です。

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**辺戸岬の西に聳える岩峰。この頂上に安須森御嶽がある**

 名護のホテルを後にして、R58をひたすら北上。左手には青い海。沖にはそこに環礁があるのを物語る白波がたち、 岸辺はあくまでも穏やかで、ここが南国であることをよりいっそう実感させてくれます。

 名護を出てからのんびり走って2時間あまりで、沖縄本島最北端の辺戸岬に到着。じつは、今回訪ねる予定の安須森(あすむい)御嶽は、 おおよその場所はわかっているものの、正確な場所とアプローチは不明。それを辺戸岬で聞けばすぐにわかると思っていたのですが……。

 朝食兼昼食のソーキソバを食べた食堂で聞いても、まったく聞いたことがないとの返事。 御嶽は地元の人の大切な信仰の場所だから無闇によそ者には教えないと聞いていたので、はぐらかされているのかとも思いましたが、 食堂のおばちゃんたちはほんとうに知らないようです。

 他に聞こうにも、地元の人は周辺におらず、高い岩峰の頂上ということはわかっているので、周囲を見渡すと、 それらしい岩山が目に入りました。それに狙いをつけて、近くまで行くものの、なかなかアプローチが見つかりません。

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**またもジャングルの中の踏み跡を辿ること10分あまり。ここが御嶽かと思ったが、 じつはここからが大変**

 道をウロウロしていると、ちょうど測量をしている人がいたので尋ねると、「御嶽はわからないけれど、地元の人たちの拝み所は、 この先の細い道を行って、広場から歩いていけば出られるよ」とのこと。

 確かに、小道の先に小広い……といっても車が二台も止まれば一杯の広場があって、そこから岩山へ踏み跡が伸びています。

 例によって、頭上を奇声を上げる鳥が飛び交い、熱帯ジャングル探検そのものの雰囲気の中、辿っていくと、 明らかに人工の石組みと祠のようなものが祭られている一角に出ました。

 ここが安須森御嶽かと思いきや、祠の背後にはロープと鎖を張った、岩登りのルートが……。

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**ロープと鎖を頼って登る急勾配の道を辿る**

 これが本土ならさしづめ厳しい修験の道場といった感じの岩登りが、30分あまり。急に尾根を渡る風の音が聞こえたかと思うと、 切り立ったやせ尾根に飛び出しました。

 そして、見渡すと、先ほどこの岩山を遠望した辺戸岬から、ぐるっと、名護から辿ってきた海岸線沿いの国道も、 そして沖縄北部ヤンバルの原生林も遙か彼方まで見渡すことができます。この風景を拝めれば、ここまで辿ってきた険しい道の苦労も、 一気に吹き飛んでしまいます。

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**ロープと鎖にすがって岩を登ること30分。岩山の稜線に飛び出す。 背後に釣り針方に伸びた岬が辺戸岬**

 岩山の頂上には小さな祠が祭られ、きれいに手入れされています。この祠に手を合わせ、この景色を拝ませてくれたことに感謝。

 麓にあった案内板には、長い琉球の歴史の中で、最重要な御嶽の一つとして、 この安須森御嶽には何百万人もの参拝者が訪れたと記してありました。狭く険しい道を黙々と登る人たちの姿を想像して、 ぼくは熊野古道を思い起こしました。熊野も「蟻の熊野詣」と形容されたように、かつては、 蟻が行列を作るように参詣の人が列を成していたといいます。

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 ふと、今の殺伐とした世の中は、そうした自然と一体になれるような体験をして、 自然が見せてくれる人智を越えた美しさを味わったことのない人が多すぎるためではないかと思わせられました。

……続く

2006年12月10日 (日)

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沖縄御嶽探訪記 その2 --今帰仁城跡、クボー御嶽--

 今回の取材では移動にオートバイを使いました。飛行機で沖縄まで飛び、現地でオートバイをレンタルするフライ&ライドというシステム。 沖縄にはレンタルバイクの店がたくさんありますが、今回はハーレーダビッドソン沖縄のプランを利用しました。

 FLSTC(ヘリテイジソフテイルクラシック)というモデルで、 1.6リッターのビッグツインエンジンをドコドコいわせながら左手にエメラルドグリーンの海を行く気分は、まさにアメリカです。 幹線道路も島のリズムでみんなゆっくりのんびり走っているので、ハーレーののんびり感はぴったりマッチしています。

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**「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つ。今帰仁城跡**

 まずは、那覇から名護に向かい、世界遺産にも指定されている今帰仁(なきじん)城跡へ。 海を望む丘の上に小さな石を緻密に組んで周囲1.5㎞にも渡る石垣を巡らしたこの城は、 2000年12月のユネスコの世界遺産委員会で座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、 斎場御嶽と共に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。

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**今帰仁城から、遠くの島影に向かってお供えをして、祈りを捧げる人たち。       自分の故郷の島の御嶽を拝んでいるのだろうか?**

 北東に真っ直ぐ伸びる参道を辿って石の門を潜ると、石垣に囲まれた城内。今では建物はなく、石垣もところどころ崩れていますが、 往事は栄華を誇っていたことが想像できます。城内のあちこちには小さなウタキや拝所があって、 この日も地元の人たちがお重にお供えの料理を詰めてお参りに来ていました。

 この今帰仁城跡の西方には、二つの峰をなだらかな尾根で繋いだ特徴的な山があります。 沖縄では城=グスクそのものが政治的な中心を成すと同時に祭祀の中心でもあり、ご神体とする山や岩を拝む形になっています。

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**今帰仁城のご神体となるクボー御嶽の山。麓から細い踏跡がついている。       詳しいアプローチの仕方は今帰仁城のガイドが教えてくれるが、神聖な場所なので、       物見遊山では立ち入らないほうがいい**

 今帰仁城のご神体は、この山で、ここが沖縄七御嶽の一つ、クボー御嶽となっています。クボーとはビロウの木のことで、沖縄方言で 「クバ」と呼ばれています。ヤシ科の常緑高木で、いかにも熱帯らしい樹様をしています。その葉を笠や団扇として使い、 また皮は繊維として履き物などに利用し、まさに神がもたらしてくれた利用価値の高い木として大切にされています。

 さて、そのクボー御嶽への道は、かすかな踏跡はついているものの、鬱蒼としたジャングルの中で、 今にもハブが飛びついてきて足でも噛まれそうな感じです。おそるおそる探りながら前進していくぼくの頭上で、 本土では聞いたことのない甲高い鳴き声の鳥たちが喚いていて、まさにジャングル探検の気分。

 進めば進むほど踏跡が細くなっていって、徐々にこの径でいいのかと不安になってきます。すると、先行する人の影が……。 その後をついてしばらく行くと、ちょうど今帰仁城跡から遠望した山の麓にある開けた場所に出ました。斜面を利用して階段状に石組みされ、 社のようなものが置かれています。

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**ジャングルを掻き分けていった先に現れるクボー御嶽。今帰仁城跡から遠望した山の麓にあって、       その山を拝するようになっている**

 先行していた初老の夫婦連れは、さっそくその社の回りの掃除を始めます。

「すいません、ここは撮影させていただいてもいい場所ですか?」

 おそるおそる声を掛けると、厳つい雰囲気の旦那さんのほうが、こちらをにらみ据えるような眼差しを向けて、 それでも頷いてくれました。

 御嶽巡りを始める前に、地元の友人に注意点などを聞きましたが、いずれも地元の人たちが信仰の場所として大切にしているところで、 よそ者が無闇に立ち入ることは嫌うとのこと。人がいたら、必ず挨拶して、断りを入れろと忠告されました。

 ここは、馴れ馴れしく話しを聞くといった雰囲気でもなく、しばし、ジャングルの中の聖地の雰囲気を味わってから、 静かに帰路につきました。

クボー御嶽

 

……続く

2006年12月 8日 (金)

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沖縄御嶽探訪記 その1

 先日、沖縄に御嶽(ウタキ)を訪ねに行ってきました。

 御嶽とは、沖縄の自然信仰の聖地で、そこに神が降り立つ盤座(いわくら)として崇められ、大切にされている場所です。

 本土のほうでは、山が古くから信仰の対象としてされてきたことはよく知られています。富士山、白山、立山は日本三大聖山と呼ばれ、 他もほとんどの山は修験者や僧の修行の場として開かれました。かつては、「登拝(とうはい)」と呼ばれて、 山に登ること自体が信仰の究極の行為とされたものでした。今でも、山の頂上で御来光を拝んだりしますが、それは、山岳信仰の名残といえます。

 沖縄では、そんな本土では一般の間では廃れてしまった自然信仰がいまだに色濃く残り、御嶽と呼ばれる場所が本土でいえば、 神社のような場所として、多くの参拝者を集めています。

 また、亜熱帯の色濃い自然の中には、大小の拝所があって、やはりたくさんの人がお参りに訪れます。

 沖縄といえば、長い夏と澄んだ海からマリンスポーツのメッカとして連想されますが、 そのあたりのアウトドアアクティビティの紹介はまた別の機会にするとして、今回は、沖縄の「信仰」の世界から見た、 この土地の自然について紹介してみたいと思います。

 沖縄では、ユタやノロという一種の巫女が信仰を支えています。古く琉球王朝の時代には、 聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる女性の神職が王と同等の権力を持っていました。 琉球の精神世界は女性によって支えられていたともいえるわけで、それは、琉球を開いたとされるのが、 アマミキヨという女神であったという創生神話に由来するものでもあります。

 今回、ぼくが訪ねたのは、久高島に降臨したアマミキヨが、沖縄本島に移り開いたとされる七つの御嶽でした。

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**沖縄創生神話に因む七つの御嶽。今回、すべての御嶽を訪ねた**

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**世界遺産にも指定され、多くの観光客を集める齋場御嶽(セイファーウタキ)**

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**険しい岩山の頂上に鎮座する安須森(ヤスムイ)御嶽**

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**鬱蒼としたジャングルの中にたたずむクボー御嶽**

shurimui
**首里城正門の前にある首里森(シュリムイ)御嶽**

amatsuzu
**アマツヅ御嶽では、ちょうど石門の向こうに沈む冬至間近の夕陽に迎えられた**

yabusatsu
**沖縄発祥の地「久高島」を遠望する藪薩御嶽**

kudaka
**女神の島久高島のクボー御嶽は男子禁制。この御嶽だけは、 踏み込むことは控えた**

……続く

 

2006年7月12日 (水)

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