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2008年1月15日 (火)

記事タイトル

白馬スノーフィールド2

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 この時期、平日の白馬は、海外のスキーリゾートかと錯覚するほど「外人率」が高くなる。そのほとんどは、 オーストラリアとニュージーランドからの客で、通りを歩いていても、居酒屋へ行っても、共通語は英語というくらい密度が濃い。

 ぼくがお世話になっているペンション 「ミーティア」でも、オーストラリアからの家族連れが賑やかに団らんしていたり、 ニュージーランド人のスキーとスノーボードのガイドがお客さんとツアーの打ち合わせをしている光景が、当たり前の日常のようになっている。

 海外客の多いスキーリゾートといえば、ニセコが思い浮かぶが、ニセコは香港資本が入り、その主導で開発が動き出したために、 南半球の客をたくさん送り込んでいたカンタス航空の直行便がなくなり、成田から便利な送迎タクシーが使えたり、新幹線で長野まできて、 そこから30分あまりの白馬へとシフトしてきたのだという。

 もっとも、最大の魅力は、ダイナミックな3000m峰をバックにした多彩なゲレンデと、高度によって変わる雪質で、それは、 海外のスキーリゾートでも他に類をみないもので、それに気づいたスキーファンの間で、評判が広がっているというのが実情のようだ。

 わざわざ海外のスキーリゾートに行かなくても、白馬へ行けばそんなリゾート気分が味わえるというのは、ちょっとお得な感じだ(笑)。

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2008年1月13日 (日)

記事タイトル

白馬スノーフィールド

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**スノーシューコースのクライマックス。圧巻の大雪原**

 白馬といえば、八方尾根や五竜遠見といった大規模スキー場を擁する二本でも屈指のスキーリゾートのイメージがある。でも、今は、 スキー人口そのものがかつてに比べて激減し、一頃の賑わいはない。

 今は、白馬といえば、オーストラリアやニュージーランドからのスキー客のほうが多いような現状で、実際、ホテルやペンションも、 さらに飲食店でも、街角でも、外国人客が目に付く。

 ぼくは、高校時代から登山は楽しんできたが、どうもスキーには縁がなく、 ゲレンデスキーを楽しむために白馬を訪れるといった発想はもともとなかった。

 それが、数年前からスノーシューで雪山を巡るようになって、もっと冬のバックカントリーを楽しみたいと思うようになった。 そんなところへ、白馬と不思議な縁ができて、地元のペンション「ミーティア」にご厄介になり、 オーナーの福島氏にテレマークの教えを請うこととなった。

 今回は、まず「クラシカル」と呼ばれる細い板と革のブーツの組み合わせで、足慣らしをすることに。 10年前の長野オリンピックのクロスカントリーコースとして使われて、今は一般に開放されている「スノーハープ」で、 基礎から教えてもらった。

 さらに、その後、スノーシューに履き替えて、GPSを片手に雪原、樹林を縦横無尽に縫っていくコースを設定。

 テレマークは、今後、白馬に通いつめて、しっかりバックカントリーを滑れるようになりたいと思っている。

 また、スノーシューは、昨年から取り組んできた「ツリーイング」と合わせて、雪山で木に登り、 スノーキャンプを楽しみたいと思っている。

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**はじめは、クラシカルテレマークで歩くスキーを楽しむ。序盤はわりと快調だったのに、 緩い斜面でコントロール効かず、転倒を繰り返す(笑)。写真は、マンツーマンでコーチしてくれたペンション「ミーティア」 のオーナー福島さん**

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**午後はスノーシューフィールドの開拓**

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**グリセードならぬ「尻セード」で、急斜面を駆け下りる**

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記事タイトル

白馬スノーフィールド

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**スノーシューコースのクライマックス。圧巻の大雪原**

 白馬といえば、八方尾根や五竜遠見といった大規模スキー場を擁する二本でも屈指のスキーリゾートのイメージがある。でも、今は、 スキー人口そのものがかつてに比べて激減し、一頃の賑わいはない。

 今は、白馬といえば、オーストラリアやニュージーランドからのスキー客のほうが多いような現状で、実際、ホテルやペンションも、 さらに飲食店でも、街角でも、外国人客が目に付く。

 ぼくは、高校時代から登山は楽しんできたが、どうもスキーには縁がなく、 ゲレンデスキーを楽しむために白馬を訪れるといった発想はもともとなかった。

 それが、数年前からスノーシューで雪山を巡るようになって、もっと冬のバックカントリーを楽しみたいと思うようになった。 そんなところへ、白馬と不思議な縁ができて、地元のペンション「ミーティア」にご厄介になり、 オーナーの福島氏にテレマークの教えを請うこととなった。

 今回は、まず「クラシカル」と呼ばれる細い板と革のブーツの組み合わせで、足慣らしをすることに。 10年前の長野オリンピックのクロスカントリーコースとして使われて、今は一般に開放されている「スノーハープ」で、 基礎から教えてもらった。

 さらに、その後、スノーシューに履き替えて、GPSを片手に雪原、樹林を縦横無尽に縫っていくコースを設定。

 テレマークは、今後、白馬に通いつめて、しっかりバックカントリーを滑れるようになりたいと思っている。

 また、スノーシューは、昨年から取り組んできた「ツリーイング」と合わせて、雪山で木に登り、 スノーキャンプを楽しみたいと思っている。

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**はじめは、クラシカルテレマークで歩くスキーを楽しむ。序盤はわりと快調だったのに、 緩い斜面でコントロール効かず、転倒を繰り返す(笑)。写真は、マンツーマンでコーチしてくれたペンション「ミーティア」 のオーナー福島さん**

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**午後はスノーシューフィールドの開拓**

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**グリセードならぬ「尻セード」で、急斜面を駆け下りる**

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2008年1月 5日 (土)

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東国三社巡り その2 香取神宮

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 剣道や柔道の道場には神棚があって、「鹿島大明神」、「香取大明神」などと墨書された軸が掛けられていることが多い。それは、 先に紹介した「国譲り神話」で、オオクニヌシの次男であるタテミナカタを打ち破って、 天津神の地上支配の礎を築いた鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチと、それが手にした刀の神である香取神宮のフツヌシにあやかったものだ。 ちなみに、三社のもう一つ息栖神社は二神が乗った舟の神アメノトリフネ(天鳥舟)として知られる。

 じつは、このように、記紀神話に基づいた神を祭り、しかも記紀神話に語られる物語を大地に配置した神社というのは数多い。

 神社単体として見たら、「古くさい信仰」のような気がするが、ぼくがレイラインハンティングで実践しているGPSを使った神社巡りをすると、 古代の人たちが恐ろしく正確に神社や遺跡を配置して、太陽や星の運行を観測したり、 聖地どうしを有機的に結びつけていたことがわかって面白い。

 本当は、今回は自転車にGPSを装備して三社を回るつもりだったのが、準備不足ためにかなわなかった。もう少し暖かくなったら、 三社とともに、三社が位置する風光明媚な水郷地帯をサイクリングして巡ってみたいと思っている。

 さて、今回は、東国三社も二つめ、香取神宮を紹介してみよう。

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**千葉県の佐原市にある香取神宮。ここも広大な鎮守の森に囲まれている。 佐原は日本で初めて正確な地図を作った伊能忠敬の生地でもあり、街の中心部に記念館がある**

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**取材したときは、もう年の瀬だというのに紅葉の絨毯で、晩秋の趣。冬至の日差しも春のような温もり。 しかし、これは、麗らかに感じることはできない。自然のバランスが狂ってきていることの証だからだ**

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**境内には、年末らしく、大祓のための茅の輪が据えられていた。国津神=出雲系の神社は茅の輪を潜ったら、 まず右方向に回って八の字を書くが、天津神=伊勢系の神社では左回りから始める。香取神宮は天津神なので左周り。 このあたりにも、日本神話の面影が残っていて面白い**

 

2008年1月 3日 (木)

記事タイトル

東国三社巡り その1 鹿島神宮

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 未だに2007年の元旦の記憶が鮮明に残っているというのに、気がつけば2008年が明けてしまった。……まったく、毎年毎年、 時間の流れがどんどん加速していくように感じてしまうのは、やはり歳を取ったということだろうか。

 それはともかく、明けましておめでとうございます!!

 年が明けて、さっそく初詣を済ませた人も多いとは思うが、今回は、『東国三社』 と呼ばれる千葉県と茨城県に点在する三つの神社を紹介してみたいと思う。初詣がまだという方は、ぜひ、候補に!!

 さて、本題に入る前に、まず一言。アウトドアのblogで神社を取り上げるというのも、おかしなことに思えるかもしれないが、 ぼくは、昔から、アウトドアのフィールドとしての神社の森と、そこに古来から伝わる自然信仰は、日本人の感性のコアにある「自然と共生する」 という感覚を端的に示すもので、まさに「日本的アウトドア」の原点ではないかと思っている。

 神聖であり不可侵である神社の森には、人を癒し、元気を取り戻させてくれる精気が満ちている。そして、 太陽の運行に沿った折節の祭りは、人が自然のリズムの中で生きていくことこそ、健康で幸せな生き方であることを思い出させてくれる。

 そんなわけで、ぼくは、日本的アウトドアの代表的なフィールドの一つとして神社を位置づけているのだ。

 さて、東国三社だが、これは記紀神話の中で語られる「国譲り神話」にちなんだものだ。

 太古、神々は、天に住む『天津神』の一族と、地に住む『国津神』の一族に別れていた(もっとも、神道では、 それを峻別しているわけではなく、間を繋ぐ神々や、どちらにも属さない神々もあるとしているのだが)。

 天を統べるアマテラスは、国津神の支配する地上をも統一しようと、その頂点にいたオオクニヌシの元に、「国を譲れ」 と迫る使者を送る。その使者が、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三神だった。この三神を祀っているのが東国三社だ。

 タケミカヅチを祀る鹿島神宮、フツヌシを祀る香取神宮、そしてアメノトリフネを祀る息栖神社が、東国三社と呼ばれて、 東関東の一角に大きな二等辺三角形を描くように配置されている。

 この天からの使者である三神を迎えたオオクニヌシは、国譲りを了承する。しかし、 それに反対する次男のタテミナカタがこれに抵抗して戦いとなる。

 武神の頂点にあった鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチとタテミナカタは壮絶な戦いを繰り広げた後、タテミナカタは敗走して、 今の諏訪地方にたどり着く。そこまで追撃したタケミカヅチは、タテミナカタが諏訪の地に永遠に留まるのなら許しを与えると約束する。

 そして、天と地は統一され、アマテラスがその頂点に立った。

 鹿島神宮は、堂々とした鳥居と山門を構え、それが不思議なことに西を向いている。ほとんどの神社は、 鳥居と本殿の向きは南を向いている。ごくまれに参道が東を向く神社もあるが、西を向いているというのは、鹿島神宮以外にほとんど例がない。

 じつは、この鹿島神宮の鳥居が向いている遙か先にはタテミナカタを祀る諏訪大社がある。鹿島神宮は、今でも、諏訪大社を睨み据えて、 牽制しているというわけだ。

 それ以外にも、鹿島神宮にまつわる面白い逸話はたくさんあるのだが、 それは神話学の話やレイラインと呼ばれる古代の工学の話になってしまうので、ここでは触れずにおこう(詳しく知りたい方は、レイラインハンティングへ)。

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**西を向く鹿島神宮の参道。この先には諏訪大社がある**

DSC_0072
**本殿は北を向いている。これも他に例を見ない配置で、鹿島神宮が朝廷の東国支配の拠点であり、 ここより北に住む「エゾ」をにらみ据えていたことを物語る**

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**鹿島神宮に伝わる七不思議**

DSC_0086 
**奈良の春日大社は、鹿島神宮を勧請したもので、神の使いとされる鹿は、ここから連れて行かれた。 奈良公園の鹿は、元々、ここの鹿の地殻引いている**

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**2000年以上守られてきた広大な鎮守の森は、精気に溢れ、 心身とも癒してくれる**

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**鹿島七不思議の一つ「要石」は、この土地の地下に棲む大ナマズの頭を押さえていると伝えられている。 水戸黄門は、この石を掘り起こそうとたくさんの人足を使ったが、七日七晩かけても、ついに掘り起こせなかったという。 巨石信仰という一つの原始自然信仰の名残りを伝えるものでもある**

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**鹿島神宮の本来の参道は北から始まっていた。その起点にある御手洗池。ここも鹿島七不思議の一つで、 大人が入っても子供が入っても、その深さは乳の高さで一定していると伝えられる**

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**散策の仕上げは、御手洗池の畔にある茶屋で、名物の甘酒と団子を**

その2へ続く

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東国三社巡り その1 鹿島神宮

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 未だに2007年の元旦の記憶が鮮明に残っているというのに、気がつけば2008年が明けてしまった。……まったく、毎年毎年、 時間の流れがどんどん加速していくように感じてしまうのは、やはり歳を取ったということだろうか。

 それはともかく、明けましておめでとうございます!!

 年が明けて、さっそく初詣を済ませた人も多いとは思うが、今回は、『東国三社』 と呼ばれる千葉県と茨城県に点在する三つの神社を紹介してみたいと思う。初詣がまだという方は、ぜひ、候補に!!

 さて、本題に入る前に、まず一言。アウトドアのblogで神社を取り上げるというのも、おかしなことに思えるかもしれないが、 ぼくは、昔から、アウトドアのフィールドとしての神社の森と、そこに古来から伝わる自然信仰は、日本人の感性のコアにある「自然と共生する」 という感覚を端的に示すもので、まさに「日本的アウトドア」の原点ではないかと思っている。

 神聖であり不可侵である神社の森には、人を癒し、元気を取り戻させてくれる精気が満ちている。そして、 太陽の運行に沿った折節の祭りは、人が自然のリズムの中で生きていくことこそ、健康で幸せな生き方であることを思い出させてくれる。

 そんなわけで、ぼくは、日本的アウトドアの代表的なフィールドの一つとして神社を位置づけているのだ。

 さて、東国三社だが、これは記紀神話の中で語られる「国譲り神話」にちなんだものだ。

 太古、神々は、天に住む『天津神』の一族と、地に住む『国津神』の一族に別れていた(もっとも、神道では、 それを峻別しているわけではなく、間を繋ぐ神々や、どちらにも属さない神々もあるとしているのだが)。

 天を統べるアマテラスは、国津神の支配する地上をも統一しようと、その頂点にいたオオクニヌシの元に、「国を譲れ」 と迫る使者を送る。その使者が、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三神だった。この三神を祀っているのが東国三社だ。

 タケミカヅチを祀る鹿島神宮、フツヌシを祀る香取神宮、そしてアメノトリフネを祀る息栖神社が、東国三社と呼ばれて、 東関東の一角に大きな二等辺三角形を描くように配置されている。

 この天からの使者である三神を迎えたオオクニヌシは、国譲りを了承する。しかし、 それに反対する次男のタテミナカタがこれに抵抗して戦いとなる。

 武神の頂点にあった鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチとタテミナカタは壮絶な戦いを繰り広げた後、タテミナカタは敗走して、 今の諏訪地方にたどり着く。そこまで追撃したタケミカヅチは、タテミナカタが諏訪の地に永遠に留まるのなら許しを与えると約束する。

 そして、天と地は統一され、アマテラスがその頂点に立った。

 鹿島神宮は、堂々とした鳥居と山門を構え、それが不思議なことに西を向いている。ほとんどの神社は、 鳥居と本殿の向きは南を向いている。ごくまれに参道が東を向く神社もあるが、西を向いているというのは、鹿島神宮以外にほとんど例がない。

 じつは、この鹿島神宮の鳥居が向いている遙か先にはタテミナカタを祀る諏訪大社がある。鹿島神宮は、今でも、諏訪大社を睨み据えて、 牽制しているというわけだ。

 それ以外にも、鹿島神宮にまつわる面白い逸話はたくさんあるのだが、 それは神話学の話やレイラインと呼ばれる古代の工学の話になってしまうので、ここでは触れずにおこう(詳しく知りたい方は、レイラインハンティングへ)。

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**西を向く鹿島神宮の参道。この先には諏訪大社がある**

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**本殿は北を向いている。これも他に例を見ない配置で、鹿島神宮が朝廷の東国支配の拠点であり、 ここより北に住む「エゾ」をにらみ据えていたことを物語る**

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**鹿島神宮に伝わる七不思議**

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**奈良の春日大社は、鹿島神宮を勧請したもので、神の使いとされる鹿は、ここから連れて行かれた。 奈良公園の鹿は、元々、ここの鹿の地殻引いている**

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**2000年以上守られてきた広大な鎮守の森は、精気に溢れ、 心身とも癒してくれる**

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**鹿島七不思議の一つ「要石」は、この土地の地下に棲む大ナマズの頭を押さえていると伝えられている。 水戸黄門は、この石を掘り起こそうとたくさんの人足を使ったが、七日七晩かけても、ついに掘り起こせなかったという。 巨石信仰という一つの原始自然信仰の名残りを伝えるものでもある**

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**鹿島神宮の本来の参道は北から始まっていた。その起点にある御手洗池。ここも鹿島七不思議の一つで、 大人が入っても子供が入っても、その深さは乳の高さで一定していると伝えられる**

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**散策の仕上げは、御手洗池の畔にある茶屋で、名物の甘酒と団子を**

その2へ続く

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東国三社巡り その1 鹿島神宮

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 未だに2007年の元旦の記憶が鮮明に残っているというのに、気がつけば2008年が明けてしまった。……まったく、毎年毎年、 時間の流れがどんどん加速していくように感じてしまうのは、やはり歳を取ったということだろうか。

 それはともかく、明けましておめでとうございます!!

 年が明けて、さっそく初詣を済ませた人も多いとは思うが、今回は、『東国三社』 と呼ばれる千葉県と茨城県に点在する三つの神社を紹介してみたいと思う。初詣がまだという方は、ぜひ、候補に!!

 さて、本題に入る前に、まず一言。アウトドアのblogで神社を取り上げるというのも、おかしなことに思えるかもしれないが、 ぼくは、昔から、アウトドアのフィールドとしての神社の森と、そこに古来から伝わる自然信仰は、日本人の感性のコアにある「自然と共生する」 という感覚を端的に示すもので、まさに「日本的アウトドア」の原点ではないかと思っている。

 神聖であり不可侵である神社の森には、人を癒し、元気を取り戻させてくれる精気が満ちている。そして、 太陽の運行に沿った折節の祭りは、人が自然のリズムの中で生きていくことこそ、健康で幸せな生き方であることを思い出させてくれる。

 そんなわけで、ぼくは、日本的アウトドアの代表的なフィールドの一つとして神社を位置づけているのだ。

 さて、東国三社だが、これは記紀神話の中で語られる「国譲り神話」にちなんだものだ。

 太古、神々は、天に住む『天津神』の一族と、地に住む『国津神』の一族に別れていた(もっとも、神道では、 それを峻別しているわけではなく、間を繋ぐ神々や、どちらにも属さない神々もあるとしているのだが)。

 天を統べるアマテラスは、国津神の支配する地上をも統一しようと、その頂点にいたオオクニヌシの元に、「国を譲れ」 と迫る使者を送る。その使者が、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三神だった。この三神を祀っているのが東国三社だ。

 タケミカヅチを祀る鹿島神宮、フツヌシを祀る香取神宮、そしてアメノトリフネを祀る息栖神社が、東国三社と呼ばれて、 東関東の一角に大きな二等辺三角形を描くように配置されている。

 この天からの使者である三神を迎えたオオクニヌシは、国譲りを了承する。しかし、 それに反対する次男のタテミナカタがこれに抵抗して戦いとなる。

 武神の頂点にあった鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチとタテミナカタは壮絶な戦いを繰り広げた後、タテミナカタは敗走して、 今の諏訪地方にたどり着く。そこまで追撃したタケミカヅチは、タテミナカタが諏訪の地に永遠に留まるのなら許しを与えると約束する。

 そして、天と地は統一され、アマテラスがその頂点に立った。

 鹿島神宮は、堂々とした鳥居と山門を構え、それが不思議なことに西を向いている。ほとんどの神社は、 鳥居と本殿の向きは南を向いている。ごくまれに参道が東を向く神社もあるが、西を向いているというのは、鹿島神宮以外にほとんど例がない。

 じつは、この鹿島神宮の鳥居が向いている遙か先にはタテミナカタを祀る諏訪大社がある。鹿島神宮は、今でも、諏訪大社を睨み据えて、 牽制しているというわけだ。

 それ以外にも、鹿島神宮にまつわる面白い逸話はたくさんあるのだが、 それは神話学の話やレイラインと呼ばれる古代の工学の話になってしまうので、ここでは触れずにおこう(詳しく知りたい方は、レイラインハンティングへ)。

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**西を向く鹿島神宮の参道。この先には諏訪大社がある**

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**本殿は北を向いている。これも他に例を見ない配置で、鹿島神宮が朝廷の東国支配の拠点であり、 ここより北に住む「エゾ」をにらみ据えていたことを物語る**

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**鹿島神宮に伝わる七不思議**

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**奈良の春日大社は、鹿島神宮を勧請したもので、神の使いとされる鹿は、ここから連れて行かれた。 奈良公園の鹿は、元々、ここの鹿の地殻引いている**

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**2000年以上守られてきた広大な鎮守の森は、精気に溢れ、 心身とも癒してくれる**

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**鹿島七不思議の一つ「要石」は、この土地の地下に棲む大ナマズの頭を押さえていると伝えられている。 水戸黄門は、この石を掘り起こそうとたくさんの人足を使ったが、七日七晩かけても、ついに掘り起こせなかったという。 巨石信仰という一つの原始自然信仰の名残りを伝えるものでもある**

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**鹿島神宮の本来の参道は北から始まっていた。その起点にある御手洗池。ここも鹿島七不思議の一つで、 大人が入っても子供が入っても、その深さは乳の高さで一定していると伝えられる**

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**散策の仕上げは、御手洗池の畔にある茶屋で、名物の甘酒と団子を**

その2へ続く

2007年11月28日 (水)

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葉山シーカヤッキング その2

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 シーカヤックで海に漕ぎ出して、いつも新鮮に感じるのは、馴染みのある陸上風景が海から見るとまったく違った場所に見えることだ。

 鄙びた日本の漁村も、どこか南仏あたりのリゾートに見えたり、南海の島にいるように思える。とくに、 ドライブやツーリングでよく訪れる伊豆や、今回の三浦半島などでは、陸上のイメージがごったがえす観光客やら渋滞する道なので、 このギャップがことさら大きい。

 そして、いつもは海の綺麗さなど気にかけないのに、澄んだ水と魚影の多さ、磯の生物の多様さなどに驚かされる。

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 単にボートを漕いで気晴らしするのではなく、大自然の中に身を置いて、 その息吹を全身で味わえるのがシーカヤックというアクティビティの素晴らしいところでもある。

 ぼくたちは、まるで天に祝福されているかのような小春日和で凪いだ海をのんびりと漕ぎ進んでいく。

 葉山御用邸横の海水浴場を出発して、まずは西に向かう。

 この日は釣り船に、ヨット、ぼくたちと同じシーカヤックも多く、やや気を使いながら進んでいく。それでも、 陸上の混み具合とはまったく違い、それぞれの「領分」が十分に確保できているので安心だ。こんなところも、広い「海」 というフィールドのいいところ。マリンスポーツを楽しむ人は、大らかな人が多いが、 それはこうした茫洋とした環境にいつもいるからかもしれない。

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 小さな岬の突端に差し掛かると、浅瀬で波が立っている。先導する木下氏は、岩と岩との間の波が高いところをわざと越えていく。 こちらも、それに続いて、波に正対するように方向を定めて、岩の間を抜けていく。

 べつにたいした大きさの波ではないが、全長5mのタンデム艇がいとも簡単に持ち上げられてしまうその力に、自然の威力が垣間見える。 これが少しでもうねりが入ったりすると、「なかなかスリリング」などと軽口など叩いていられなくなってくる。

 小一時間漕いで、岬を越えた先の森戸海岸に上がり、トイレ休憩。そして、すぐに艇に乗って、 江ノ島のほうを向いた赤い鳥居が印象的な沖の菜島に上陸した。ここでランチタイム。

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 木下氏たちがランチの準備をしている間、Oさんとぼくは水が引いてできたあちこちの磯だまりを覗いて歩いた。どこも 「ヤドカリの楽園」といえるほど、ゴソゴソと彼らが動いている。ぼくたちが近づいて行くと、はじめのうちはどいつも必死で「貝」 を装っているのだが、一匹がついに我慢できなくなって逃げ出すと、それがパニックを呼び起こして、 一気にすべてのヤドカリがコケつまろびつしながら逃げていく。中には、ひっくり返しになって身動き取れなくなり、また慌てて「貝」 のふりに戻るやつもいて、笑わせてくれる。

 他にも小魚や透明の海老の幼生など、よく見ると、小さな磯に命が溢れかえっている。

 今日のメニューはハムとキノコのパスタ。アルマイトの大なべ一杯のボリュームを四人でいとも簡単に平らげてしまった。最後に、 「もったいない、もったいない」と言い訳のような独り言を呟きつつ、なべがピカピカになるまで平らげたのは、 見かけによらない大食漢のOさんだった。 

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 ゆっくりとランチを楽しんだ後は、再び海へ。

 菜島に上陸するときは潮が引いていたので楽に上陸できたが、1時間ほどの間にだいぶ満ちてきて、上艇するのに、 半身を海に浸かった木下氏と楠氏に艇を支えてもらわなければならなかった。引き潮のときには陸続きで、 満ちてくると島になるようなところがけっこうあるが、こんな短時間で潮が満ちたら、取り残される人も出てしまうだろう。その点、 シーカヤックは自由が利いて安心だ。

 午後は、午前中よりもさらに凪いで、まるで鏡の上を漕いでいるようだ。南の島で漕いでいると、何十mも下の海底まで見通せて、 ふいに高所恐怖症に襲われることもあるそうだ。いちど、そんな海にも浮かんでみたいものだ。

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 いったん出艇した葉山海岸を左に見送り、長者ガ崎の東に浮かぶ尾島を回り込む。このあたりは、ウニやアワビ、サザエの宝庫で、 偏光グラスで海を覗き込むと、白い海底にびっしりとウニが張りついているのが見える。

「むこうの岸辺の山並みから長者ガ崎にかけて、竜の背中のように見えるでしょ。長者ガ崎のあたりが尻尾で、その大半は海の中にあって、 先っぽが出ている。竜の尾の先だから尾島って呼ばれるんですよ」

 そんなふうに地名の由来を教えてもらうと、風景が俄然躍動したものに見えてくる。ナンバリングされた道を辿って、 仰々しい看板ばかり見せられ、さらには人工物の林立する観光地では、土地にまつわる物語も埋没してしまう。

 だけど、こうして、全身で自然に触れ合って、土地に向かい合うと、昔の人たちの生き生きとした想像力と、 それを喚起する自然がそのままに残されていたことが羨ましくなってくる。

 ぼくが生まれ育った田舎もそうだが、かつては「白砂青松」と歌われ、遠浅の海岸線がどこまでも続いていた風景が、今は、 浜はやせ細ってみる影もなくなってしまっている。この葉山も、木下氏が子どもの頃は、ずっと白い砂浜がバンドになっていて、 裸足で歩いていけたのだという。そんな頃に、こうしてゆったりと沖に浮かんで浜を眺めることができたなら、どんなに素晴らしかっただろう…… 。

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 ときに、三艇をくっつけて、そんな話をしながら過ごしているうちに、秋の短い陽は、だいぶ傾いてきてしまった。

 海に浮かぶ心地よさに名残を感じつつ、舳先を長者ガ崎から葉山海岸に向けて、無事上陸。

 浜に近い民宿「大海荘」で風呂を借り、塩を洗い流して浜に戻ってみると、 ちょうど大きな太陽が伊豆半島の向こうに沈んでいくところだった。

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■問い合わせ先■
「オーシャンズ」では、シーカヤックのツアーやスクールを随時受け付けています。詳細は、直接お問い合わせを。
神奈川県三浦郡葉山町一色1821-2
tel&fax : 046-876-3401
blog :  http://blog.ocean-s.jp/
mail : info@ocean-s.jp

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**今回のコース。全長約10km。一日のんびり漕いで、 ちょうどいい距離だった**

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葉山シーカヤッキング その2

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 シーカヤックで海に漕ぎ出して、いつも新鮮に感じるのは、馴染みのある陸上風景が海から見るとまったく違った場所に見えることだ。

 鄙びた日本の漁村も、どこか南仏あたりのリゾートに見えたり、南海の島にいるように思える。とくに、 ドライブやツーリングでよく訪れる伊豆や、今回の三浦半島などでは、陸上のイメージがごったがえす観光客やら渋滞する道なので、 このギャップがことさら大きい。

 そして、いつもは海の綺麗さなど気にかけないのに、澄んだ水と魚影の多さ、磯の生物の多様さなどに驚かされる。

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 単にボートを漕いで気晴らしするのではなく、大自然の中に身を置いて、 その息吹を全身で味わえるのがシーカヤックというアクティビティの素晴らしいところでもある。

 ぼくたちは、まるで天に祝福されているかのような小春日和で凪いだ海をのんびりと漕ぎ進んでいく。

 葉山御用邸横の海水浴場を出発して、まずは西に向かう。

 この日は釣り船に、ヨット、ぼくたちと同じシーカヤックも多く、やや気を使いながら進んでいく。それでも、 陸上の混み具合とはまったく違い、それぞれの「領分」が十分に確保できているので安心だ。こんなところも、広い「海」 というフィールドのいいところ。マリンスポーツを楽しむ人は、大らかな人が多いが、 それはこうした茫洋とした環境にいつもいるからかもしれない。

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 小さな岬の突端に差し掛かると、浅瀬で波が立っている。先導する木下氏は、岩と岩との間の波が高いところをわざと越えていく。 こちらも、それに続いて、波に正対するように方向を定めて、岩の間を抜けていく。

 べつにたいした大きさの波ではないが、全長5mのタンデム艇がいとも簡単に持ち上げられてしまうその力に、自然の威力が垣間見える。 これが少しでもうねりが入ったりすると、「なかなかスリリング」などと軽口など叩いていられなくなってくる。

 小一時間漕いで、岬を越えた先の森戸海岸に上がり、トイレ休憩。そして、すぐに艇に乗って、 江ノ島のほうを向いた赤い鳥居が印象的な沖の菜島に上陸した。ここでランチタイム。

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 木下氏たちがランチの準備をしている間、Oさんとぼくは水が引いてできたあちこちの磯だまりを覗いて歩いた。どこも 「ヤドカリの楽園」といえるほど、ゴソゴソと彼らが動いている。ぼくたちが近づいて行くと、はじめのうちはどいつも必死で「貝」 を装っているのだが、一匹がついに我慢できなくなって逃げ出すと、それがパニックを呼び起こして、 一気にすべてのヤドカリがコケつまろびつしながら逃げていく。中には、ひっくり返しになって身動き取れなくなり、また慌てて「貝」 のふりに戻るやつもいて、笑わせてくれる。

 他にも小魚や透明の海老の幼生など、よく見ると、小さな磯に命が溢れかえっている。

 今日のメニューはハムとキノコのパスタ。アルマイトの大なべ一杯のボリュームを四人でいとも簡単に平らげてしまった。最後に、 「もったいない、もったいない」と言い訳のような独り言を呟きつつ、なべがピカピカになるまで平らげたのは、 見かけによらない大食漢のOさんだった。 

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 ゆっくりとランチを楽しんだ後は、再び海へ。

 菜島に上陸するときは潮が引いていたので楽に上陸できたが、1時間ほどの間にだいぶ満ちてきて、上艇するのに、 半身を海に浸かった木下氏と楠氏に艇を支えてもらわなければならなかった。引き潮のときには陸続きで、 満ちてくると島になるようなところがけっこうあるが、こんな短時間で潮が満ちたら、取り残される人も出てしまうだろう。その点、 シーカヤックは自由が利いて安心だ。

 午後は、午前中よりもさらに凪いで、まるで鏡の上を漕いでいるようだ。南の島で漕いでいると、何十mも下の海底まで見通せて、 ふいに高所恐怖症に襲われることもあるそうだ。いちど、そんな海にも浮かんでみたいものだ。

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 いったん出艇した葉山海岸を左に見送り、長者ガ崎の東に浮かぶ尾島を回り込む。このあたりは、ウニやアワビ、サザエの宝庫で、 偏光グラスで海を覗き込むと、白い海底にびっしりとウニが張りついているのが見える。

「むこうの岸辺の山並みから長者ガ崎にかけて、竜の背中のように見えるでしょ。長者ガ崎のあたりが尻尾で、その大半は海の中にあって、 先っぽが出ている。竜の尾の先だから尾島って呼ばれるんですよ」

 そんなふうに地名の由来を教えてもらうと、風景が俄然躍動したものに見えてくる。ナンバリングされた道を辿って、 仰々しい看板ばかり見せられ、さらには人工物の林立する観光地では、土地にまつわる物語も埋没してしまう。

 だけど、こうして、全身で自然に触れ合って、土地に向かい合うと、昔の人たちの生き生きとした想像力と、 それを喚起する自然がそのままに残されていたことが羨ましくなってくる。

 ぼくが生まれ育った田舎もそうだが、かつては「白砂青松」と歌われ、遠浅の海岸線がどこまでも続いていた風景が、今は、 浜はやせ細ってみる影もなくなってしまっている。この葉山も、木下氏が子どもの頃は、ずっと白い砂浜がバンドになっていて、 裸足で歩いていけたのだという。そんな頃に、こうしてゆったりと沖に浮かんで浜を眺めることができたなら、どんなに素晴らしかっただろう…… 。

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 ときに、三艇をくっつけて、そんな話をしながら過ごしているうちに、秋の短い陽は、だいぶ傾いてきてしまった。

 海に浮かぶ心地よさに名残を感じつつ、舳先を長者ガ崎から葉山海岸に向けて、無事上陸。

 浜に近い民宿「大海荘」で風呂を借り、塩を洗い流して浜に戻ってみると、 ちょうど大きな太陽が伊豆半島の向こうに沈んでいくところだった。

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■問い合わせ先■
「オーシャンズ」では、シーカヤックのツアーやスクールを随時受け付けています。詳細は、直接お問い合わせを。
神奈川県三浦郡葉山町一色1821-2
tel&fax : 046-876-3401
blog :  http://blog.ocean-s.jp/
mail : info@ocean-s.jp

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**今回のコース。全長約10km。一日のんびり漕いで、 ちょうどいい距離だった**

2007年11月27日 (火)

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葉山シーカヤッキング その1

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 シーカヤックとの出会いは、かれこれ6年以上前になる。

 日本ではじめて全国的にシーカヤッカーが集結した「シーカヤックミーティング in 牛窓」 に縁あって参加し、広い海原に漕ぎ出して、自由に進むその開放感に感動して、以後、ワンシーズンに二、三回、四国や若狭、 西伊豆などで漕いできた。

 ぼくは、10代の頃からオフロードバイクに乗り、道無き道を走るツーリングやデザートレースを楽しんできた。 シーカヤックに初めて乗ったとき、まず、オフロードバイクに感覚が近いと思った。自由にフィールドを走り回り、 体重移動でターンしていくその運動感覚……そんなところが、ずっと馴染んできたオフロードバイクにそっくりで、じつに取っつきやすかった。

 そして、シーカヤックのほうは、遮るものが何もない海原だけに、オフロードバイクよりもさらに世界は広く、 エンジンに頼らず人力で進むナチュラルさや、デッキに荷物がたくさん積めて、無人島へ渡ってキャンプするツーリングなどでは、 贅沢に食材や酒を用意して、オートキャンプ並みに贅沢な夜が過ごせるのも魅力的だった。

 ぼくは、茨城県の鹿島灘沿いの小さな町で生まれ育ったが、海が近くにはあっても、荒れた外海のため、泳ぐこともできず、 「海は怖いもの」という先入観から、マリンスポーツは敬遠気味だった。

 それが、シーカヤックのおかげで、海がとても身近なものになった。

 先週末、よくアウトドアで一緒にアクティビティを楽しむOさんが、今年から葉山で独立してシーカヤックツアーのアウトフィッター「オーシャンズ」 を立ち上げた木下剛さんのところを訪ねてシーカヤックに乗るというので、ぼくも便乗して、初冬の一日を海で過ごすことにした。

 じつを言えば、一昨年の夏に西伊豆で漕いで以来、二年ぶりのシーカヤックだった。

 当日は、三浦半島の葉山町にある公園の駐車場に集合。

 オーシャンズのツアーでは、艇も装備も全てレンタルで揃い、行動中の食事も用意されているので、身一つで出かけていけばOKだ。 まったくの初心者でも、簡単な講習の後、海へ漕ぎ出し、本格的なツアー開始となる。それだけ、シーカヤックという乗りものは、 敷居が低くて馴染みやすく、しかも、大海原を自分で航海しているという満足感が味わえる。

 艇は基本的にシングル艇とタンデム艇があって、初心者は安定感のあるタンデム艇に乗ることになる。 Oさんもぼくもシングル艇で漕いだ経験も何度もあるが、久しぶりということもあって、今日は二人でタンデム艇に乗ることにした。

 タンデム艇の場合、前に乗る人がナビゲーター役となり、後はラダー(舵)を操って、艇の方向を定めていく役となる。

 準備が整ったところで、艇を浜へ下ろし、Oさんが前に、ぼくが後に乗り込んだ。

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**葉山公園駐車場に集合。タンデム艇1、 シングル艇2のこじんまりしたツアーになった**

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**海岸に艇を下ろし、さっそく乗り込む**

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**11月下旬としては異例の暖かさで、他にもここを出発するツアーがあった**

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**海も凪いで、ノンビリと進む**

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**本日のぼくのいでたちは、陸上でも着るベースレイヤーの上に夏場のシーカヤックスタイルを纏って、 さらにトレッキング用のソフトシェルジャケットという軽装。木下氏は寒さに備えてドライスーツを用意してくれていたが、 この格好で十分だった**

ツアーの詳細は、次回お伝えします。

 

■オーシャンズ■
http://blog.ocean-s.jp/

 

2007年11月23日 (金)

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白馬巨木巡り その2

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 野平の桂の木を後にして、白馬からR148を北へ10kmほど、山間の秘湯奉納(ぶのう)温泉へと向かう道に入ってしばらく行くと、 見るからに堂々とした杉の巨木が沿道でこちらを見下ろしている。

 巨木の根元には「白山社」という小さな社がある。その社の前に立つと、この木の根元が巨大な洞になっていることに気づく。 高さ42m、目通り幹囲が12mのまさに「そびえ立つ」大杉。人が楽に通り抜けられる洞の大きさも桁違いだ。

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 洞の中はまんべんなく焦がされていて、内側から腐るのを押さえられている。そのせいか、こんな洞を持ちながら、 枯れ枝も苔がついた弱った枝もなく、健康的で清々しい立ち姿をしている。

 地元の年寄りたちは、子供の頃、みんなこの洞の中で遊んだという。時には、この中で眠ったりもしただろう。こうした、巨きく、 人の命の長さなど一瞬に思えるほどの時間を生きた生命に見守られ、それと触れあって育った子供は、どんな心を持つだろう?

 自然環境を守る、持続可能な社会、そんな言葉だけでは言い表せない、自然との共生をどうしたら取り戻せるのか、 それをぼくたちは真剣に考えなければいけないのかもしれない。

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**白山社の周囲にはイチョウの木がたくさんあり、足元を見ると銀杏が。福島さんは、 これをビニール袋にたくさん収穫していた。これも貴重な自然の恵み**

 白山社の大杉からさらに奉納温泉への道を辿り、途中から狭い道へ分け入っていく。車一台がやっと通れるその道の行き詰まりに、 ひっそりと社がある。背後に杉の大木が生い茂るその社にお参りし、本殿の裏の斜面を登ると、巨木たちの中心に、 ひときわ高く抜きん出た木がある。

 縄文土器の火炎模様を思い出させる太い枝が何本も腕を突き上げるように伸び、見上げた先でそれが密集して、 テラスのようになっている。これを地元では「神の腰掛け杉」と呼んでいるというが、たしかに、そこには神か天狗か、 人智を遙かに超えた存在がどっかりと腰を下ろして、下界を睥睨してそうだ。

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 古来、日本ではこうした巨木や岩に神が降臨するとされ、そんな事物を「依代(よりしろ)」と呼んできた……岩の場合は 「盤座(いわくら)」とも呼ばれるが……それは、こうした巨木や岩そのものが、 その存在が人智を越えた大きな意志が働いてできた奇蹟のように見えたせいでもあるだろう。

 巨木は、生物として人より遙かに長く生き、巨大に成長した姿が人を畏怖させる。岩はそれ自体は生物ではないが、地球が「ガイア」 という一つの生命であり、そのガイアが息づいていることの証である。そして、 岩に秘められた悠久の年月もまた人をして畏怖の気持ちをいだかせる。

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 巨木や巨石に出会っていつも思うのは、ぼくたち人間が、こうしたものたちのスケールで世界をイメージできたら、 どれほど世界が平和になるかということだ。逆をいえば、人の一生が儚いが故に、人は生き急いで、 無益な戦いや競争に駆り立てられてしまうのだろうか……。

**白馬周辺の巨木巡りは、この冬、スノーシューと組み合わせたイベントとして実施する予定です。また、詳細が決まり次第、 ご紹介したいと思います**

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2007年11月21日 (水)

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白馬巨木巡り その1

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**今回を含めて、白馬の巨木たちはGPSに位置をインプット。これで、 わかりづらい場所にある木にも会いに行けるし、GPSで巨木を巡るツアーも実現できる**

 先週後半、信州の白馬で、巨木巡りツアーのための下見をしてきた。

 昨年、白馬に伝わる「風切地蔵」の取材をして、その過程で、ここにたくさんの巨木があることを知って、 それを結ぶGPSのツアーを行ったら面白いのではないかと考えたのだ。

 今回は、昨年巡った候補地に加えて新たに個性的な巨木がいくつかあるということで、 ペンションミーティアのオーナー福島さんに案内していただいて、それらを巡ってきた。

 まずは、姫川を挟んで、白馬三山と対峙する絶好のロケーションにある野平の集落へ向かう。ここは、古い善光寺街道が通り、 その鬼無里との境に位置する柄山峠に風切地蔵があって、地元の人たちが、街道を復活させようと道を整備し、地蔵も大切にしている。