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2008年3月 6日 (木)

記事タイトル

16年振り!!

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 昨日、16年振りに、旧友と再会!!

 さて、けっこう出来上がっている左のこの方は……そう、サイクリングナビゲーターの丹羽隆志さん。

 じつは、丹羽さんがモンタナでのアウトドア修行から帰国された1992年、とあるアウトドア関係のプロダクションで会って、 意気投合。その後は、彼の数々の活躍をテレビやWEBで拝見していて、時々、メールを交換することがあった。

 それが不思議な縁で、このBlogWorldで同じナビゲーターとして仕事をすることに……そして、念願かなって、 じつに久しぶりに再会となったわけ。

 お互い、多少は老けた(笑)とはいえ、フィールドが好きで、いろんなアクティビティが好きで、 いつも風や光を感じていたいという若い頃からの志向は一緒で、この再会を機会に一緒にフィールドに飛びだそうと盛り上がった。

 アウトドアには、境界はない。これからは、ぼくも度々、丹羽さんのツアーに参加してサイクリングを楽しんでいきたいし、 ぼくのほうのアクティビティにも、丹羽さんにどんどん参加してもらおうと思っている。

 また、4月から刊行されはじまる『ツーリングマップルマガジン』でも、 サイクリングの楽しみや自転車のインプレッションをお願いしたいと思っている。

 楽しい仲間と一緒に、アウトドアシーンを盛り上げていきますゾ!!

2008年1月31日 (木)

記事タイトル

江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界

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 竹中平蔵氏が主催するライフスタイルサロンで、江戸時代を題材にした小説や文化論、 エネルギー論で知られる石川英輔氏の講演を聞いた。

 「ダモクレス」 、「earth」 でも触れたように、地球温暖化による人類存亡の危機が刻々と迫る中で、江戸時代の洗練されたリサイクル社会についての石川氏の紹介は、 とても刺激を受ける内容だった。

「ハイブリッドにしようが、電気にしようが、クルマほど無駄な移動手段はありません。だって考えてもみなさい、 私は体重68kgですけど、その自分の体と、ちょっとした荷物を運ぶために、1tとか2tの『物体』を動かさなければならないんですよ。 電気だろうがガソリンだろうが、2000kg-68kg分のエネルギーは、まったくの無駄になっているわけですからね」

 といった調子で、身近なものの事例をたくさんあげて、現代がいかに非効率な社会で、 リサイクルやサステイナブルからいかに遠いかを教えてくれる。

「昭和35年くらいまでは、江戸率は70%くらいだったんですよ。この当時は、 日本人一人当たりのエネルギー消費率は1万キロカロリー/日で、今の10分の一以下。それが大阪万博の頃には、5万キロカロリー/日で、 今の半分のレベルになる」

杉の風呂桶」 でも書いたように、ぼくが子どもの頃は、ペットボトルなどなくて、市販の飲料は、すべて使いまわしできるガラス瓶に入っていたし、 着るものは天然素材のものがほとんどだった。小さな畑で祖母と野菜を育てていたが、 それだけで一家五人が食べる野菜の半分以上はまかなえていた。手漕ぎの井戸から溢れる水はとても冷たくて、旨いミネラルウォーターだった。 田んぼや畑には、下肥が使われ、畑に踏み込んで遊んでいると肥溜めに落ちたりしたものだった。

 子どもの頃の朝のぼくの日課は、味噌汁に入れるためのニラやらほうれん草やらを畑に取りに行き、鶏小屋に入って、 けたたましく威嚇してくる雌鳥を半泣きになって追い散らして、生みたてのタマゴを強奪してくることだった。

 あの頃は、たしかに石川氏が言うように、「江戸率=リサイクル率」がとても濃い時代だった。

 便利になったようで、逆に、物事の意味が希薄になり、いつも気ぜわしく追い立てられている今に生きていると、一つの理想郷として、 子ども時代が思い起こされる。

 今と比べて、何か不自由だったかという、とくに思い至らない。あの頃は、もっと季節感がはっきりしていて、人の生き方も、 季節の変化との一体感があった。

 江戸時代に逆戻りして、質素で穏やかな暮らしができればいいとは思わないし、それが可能だとも思わない。 車がここまで普及した世の中では、それを一気に公共交通機関や自転車に切り替えようというのも現実的ではないし、 より燃費のいい車に切り替えたり、代替燃料を使ったりすることもとても大切だと思う。

「私が住んでいる家は、もうだいぶ古くて、この前、タイル張りの風呂が壊れてしまったんですけど、昔の家は、 最初に風呂を作ってから周りを造作していくから、今までの大きさの風呂は入らない。

 そこで、建物を壊さずに入れられる風呂にしたら、これがもう、座棺のように膝を曲げないと入れなくてね。最初は、 風呂で足を伸ばすこともできなくて情けないと思ったんですけどね。

 使う水が少ないから、風呂はすぐ沸いて、ガス代も浮くし、もちろん水道代も安くなった。洗濯機に残り湯を移すと、 風呂桶の1/3くらいは使うので、水を有効利用している満足感もあってね、逆に楽しくなってきたんですよ」

 『風呂は、手足を伸ばしてゆったりと浸かりたい』といった、価値観というには大げさだけれど、 当たり前のように思っているイメージをいったん払拭して、小さい風呂ならではの利点を見つけ出して楽しむように、生活の様々な局面で、 『足るを知る』といった視点でライフスタイルを見直していけば、案外、楽しく生きていけるし、それが波及すれば、今、 人類にとって差し迫った課題になっているサステイナブルな世の中というのが、実現できるのかもしれない。

2007年12月 2日 (日)

記事タイトル

遅ればせながら……

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 最近、何故か、様々な場面で「星野道夫」に出くわす。それは、ただの偶然なのか、それとも、今、 日本で星野道夫というナチュラリストへの関心が高まっていて、出くわす頻度が高くなっているせいなのか?

 いずれにしても、亡くなってから10年が経って、星野さんと「出会いなおし」ているように感じている……。

 夏に浅草のデパートで開催された写真展が発端だった。

 大井町で開かれていた「バンフ山岳映像祭」を目当てに出かけていったのだが、「マイナーな映画だし、当日券があるだろう」 との当てが外れて一日だけの機会を逃してしまい、それに代わるものが何かないかと考えて、ふと思い出したのが、 数日前に何かで見て手帳に日程を記しておいた星野道夫写真展だった。

 星野さんといえば、昔、SEGAで一緒に仕事をしていて、後に"Think the Earth"を立ち上げた上田壮一さんが思い出される。上田さんが、SEGAのプロジェクトを離れて、 ガイアシンフォニー第三番の助監督として星野さんを取材しようとしていた矢先、当の星野さんはカムチャッカで帰らぬ人となってしまった。

 星野さんと打ち合わせを進め、監督の龍村仁さんとガイア3の具体的な構想を進めていた上田さんは、 明日から星野さんに密着取材するためにアラスカに行くという日に訃報に接し、途方に暮れてしまっていた。

 結局、ガイアシンフォニー第三番は、主人公である星野道夫の過去の映像と写真、文章を散りばめながら、 彼の周囲にいた人たちに綿密に取材することで、星野道夫の生き様と精神を蘇らせたものだった。

 とてつもなくピュアで、人を愛し、自然を愛し、人からも自然からも愛される人間、そんな彼の姿が、はっきり浮かび上がってきた。 ソローは、『ウォールデン』という名著をものしたが、彼は、結局、都市に戻った。一方、星野道夫はずっと自然の中にあって、 そこを自らが生きる社会とし、そこで家族を持ち、そして、自然へと召還されていった。その意味では、 星野道夫はソローよりももっとずっとソローらしい一生を生きたのではないかと思えた。

 それまでも星野道夫の名は知っていたし、アウトドア雑誌などで、その作品を観たことはあった。でも、正直言って、ガイア…… を観るまでは、さほど自分にとって関心を掻き立てる人ではなかった。

 そして、ガイア……で、あらためて星野道夫という人、その人となりを知って関心は持った。だが、 ゲーム開発というパラノイアな時間を過ごす中で、次第にその関心も薄れ、星野道夫という名は記憶の中に埋没していってしまった。

 今年の夏、浅草の写真展で「出会いなおした」ともいえる星野道夫は、一気に、10年前の記憶をよみがえらせると同時に、 彼の写真から伝わってくる自然をみつめる優しい視線と、 大自然の中に一人ぽつねんと佇み続けたことで生み出された洞察に満ちたエッセイの断片が、深く心に染みこんできた。

 そして、生前にどうして出会う機会がなかったのか、その後ガイア…… を観た後にどうして彼への関心が自分の中で持続しなかったのか不思議に思うと同時に、「そうか、ようやく、自分は、 星野道夫という人が表現しようとしていたことが、今になって理解できるようになったんだ。だから、ようやく、今、彼への関心が、 自分の中で確かなものになったんだ」と感じた。

 それからだ、星野道夫との出会いが続き始めたのは。

 今年完成した、ガイアシンフォニーの最新版である6番を観に行くと、そこでは、 主要なモチーフとして再び星野道夫が取り上げられていた。さらに、何気なく手に取った雑誌のいくつかにも、星野道夫が特集されていた。

 そして、ぼくは、今になって彼の著作を読み、かつて上田さんが助監督を務めた「ガイアシンフォニー3」を見直した。

 出会いなおした星野道夫は、とても新鮮だった。

『私たちは、千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、 現実としてやはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。 つまり正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出していく責任はあるのではないかと』

『ぼくは、ドンが好きだった。どこか、一つの人生を降りてしまった者が持つ、ある優しさがあった』

『ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もう一つの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、 心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい』

『政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や、人々の文化だけがしたたかに残ってゆく』

『誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。 それは自分の生まれもった川の流れの中で生きていくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。 「だれだってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」』

 これらは、星野道夫の代表的な著作、「旅をする木」に記された言葉だ。

 あらゆる場面で行き詰まりを感じ、目標が見当たらない現代という時代、彼のこうした言葉は、 途方もない安心感を与えてくれると同時に、生きる上での希望や方向性を示してくれる。

 「旅をする木」とは、星野道夫が敬愛した動物学者で、アラスカに核実験場を作る計画が持ち上がった際に、敢然と反対を唱え、 アラスカ大学の教員の職を追われたビル・プルーイットの"Animals of North"の第一章のタイトルだった。

 早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、この鳥が啄ばみ落としてしまった種が辿る物語。 トウヒの種は様々な偶然を経て川沿いの森に辿りつき、そこで一本の大木に成長する。

 そして長い年月の後、その大木は川の浸食によって流れに押し流され、ユーコン川からベーリング海へと運ばれていく。

 海を渡ったトウヒは北のツンドラ地帯に流れ着き、木のないその世界で唯一のランドマークとなる。これに狐がテリトリーの匂いをつけ、 やがて、その狐の足跡を追っていたエスキモーに見つけられて、彼の原野の家のストーブの燃料となる。

 ストーブの中で燃え尽きたトウヒは、大気の中に拡散してゆき、そこからまた、新たなトウヒの旅路が始まる。

 そんな、「生の循環」への賛歌が、星野道夫の一貫した姿勢だった。

 20代の頃、親友を山で失い、人生の儚さを痛感するとともに、一度限りの人生を悔いなく生きなければと決心する。そして、 アラスカの風景と出会った彼はその風景に導かれるままに彼の地に渡る。

 旅をする木のトウヒのように、流れに逆らわず、自らの周りをピュアな眼差しで真っ直ぐに見つめ続け、そして、あのトウヒのように、 生の循環の一つの節目として、彼はいったん去っていく……。

 たぶん、カムチャッカで彼岸に召された彼の魂は、また新たな生の循環の中に下りてきたのだろう。それが、今、 星野道夫が再注目され始めたということなのだろう。

 ぼくは、遅ればせながらでも、星野道夫という人の魂に触れることができて幸せだったと思う。

記事タイトル

遅ればせながら……

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 最近、何故か、様々な場面で「星野道夫」に出くわす。それは、ただの偶然なのか、それとも、今、 日本で星野道夫というナチュラリストへの関心が高まっていて、出くわす頻度が高くなっているせいなのか?

 いずれにしても、亡くなってから10年が経って、星野さんと「出会いなおし」ているように感じている……。

 夏に浅草のデパートで開催された写真展が発端だった。

 大井町で開かれていた「バンフ山岳映像祭」を目当てに出かけていったのだが、「マイナーな映画だし、当日券があるだろう」 との当てが外れて一日だけの機会を逃してしまい、それに代わるものが何かないかと考えて、ふと思い出したのが、 数日前に何かで見て手帳に日程を記しておいた星野道夫写真展だった。

 星野さんといえば、昔、SEGAで一緒に仕事をしていて、後に"Think the Earth"を立ち上げた上田壮一さんが思い出される。上田さんが、SEGAのプロジェクトを離れて、 ガイアシンフォニー第三番の助監督として星野さんを取材しようとしていた矢先、当の星野さんはカムチャッカで帰らぬ人となってしまった。

 星野さんと打ち合わせを進め、監督の龍村仁さんとガイア3の具体的な構想を進めていた上田さんは、 明日から星野さんに密着取材するためにアラスカに行くという日に訃報に接し、途方に暮れてしまっていた。

 結局、ガイアシンフォニー第三番は、主人公である星野道夫の過去の映像と写真、文章を散りばめながら、 彼の周囲にいた人たちに綿密に取材することで、星野道夫の生き様と精神を蘇らせたものだった。

 とてつもなくピュアで、人を愛し、自然を愛し、人からも自然からも愛される人間、そんな彼の姿が、はっきり浮かび上がってきた。 ソローは、『ウォールデン』という名著をものしたが、彼は、結局、都市に戻った。一方、星野道夫はずっと自然の中にあって、 そこを自らが生きる社会とし、そこで家族を持ち、そして、自然へと召還されていった。その意味では、 星野道夫はソローよりももっとずっとソローらしい一生を生きたのではないかと思えた。

 それまでも星野道夫の名は知っていたし、アウトドア雑誌などで、その作品を観たことはあった。でも、正直言って、ガイア…… を観るまでは、さほど自分にとって関心を掻き立てる人ではなかった。

 そして、ガイア……で、あらためて星野道夫という人、その人となりを知って関心は持った。だが、 ゲーム開発というパラノイアな時間を過ごす中で、次第にその関心も薄れ、星野道夫という名は記憶の中に埋没していってしまった。

 今年の夏、浅草の写真展で「出会いなおした」ともいえる星野道夫は、一気に、10年前の記憶をよみがえらせると同時に、 彼の写真から伝わってくる自然をみつめる優しい視線と、 大自然の中に一人ぽつねんと佇み続けたことで生み出された洞察に満ちたエッセイの断片が、深く心に染みこんできた。

 そして、生前にどうして出会う機会がなかったのか、その後ガイア…… を観た後にどうして彼への関心が自分の中で持続しなかったのか不思議に思うと同時に、「そうか、ようやく、自分は、 星野道夫という人が表現しようとしていたことが、今になって理解できるようになったんだ。だから、ようやく、今、彼への関心が、 自分の中で確かなものになったんだ」と感じた。

 それからだ、星野道夫との出会いが続き始めたのは。

 今年完成した、ガイアシンフォニーの最新版である6番を観に行くと、そこでは、 主要なモチーフとして再び星野道夫が取り上げられていた。さらに、何気なく手に取った雑誌のいくつかにも、星野道夫が特集されていた。

 そして、ぼくは、今になって彼の著作を読み、かつて上田さんが助監督を務めた「ガイアシンフォニー3」を見直した。

 出会いなおした星野道夫は、とても新鮮だった。

『私たちは、千年後の地球や人類に責任を持てと言われても困ってしまいます。言葉の上では美しいけれど、 現実としてやはり遠すぎるのです。けれどもこうは思います。千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。 つまり正しい答えはわからないけれど、その時代の中で、より良い方向を出していく責任はあるのではないかと』

『ぼくは、ドンが好きだった。どこか、一つの人生を降りてしまった者が持つ、ある優しさがあった』

『ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もう一つの時間が確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、 心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい』

『政治も、社会も、何もなかったように変わってゆく。そして個人の夢や、人々の文化だけがしたたかに残ってゆく』

『誰もが何かを成し遂げようとする人生を生きるのに対し、ビルはただあるがままの人生を生きてきた。 それは自分の生まれもった川の流れの中で生きていくということなのだろうか。ビルはいつかこんなふうにも言っていたからだ。 「だれだってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。ただみんな驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」』

 これらは、星野道夫の代表的な著作、「旅をする木」に記された言葉だ。

 あらゆる場面で行き詰まりを感じ、目標が見当たらない現代という時代、彼のこうした言葉は、 途方もない安心感を与えてくれると同時に、生きる上での希望や方向性を示してくれる。

 「旅をする木」とは、星野道夫が敬愛した動物学者で、アラスカに核実験場を作る計画が持ち上がった際に、敢然と反対を唱え、 アラスカ大学の教員の職を追われたビル・プルーイットの"Animals of North"の第一章のタイトルだった。

 早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、この鳥が啄ばみ落としてしまった種が辿る物語。 トウヒの種は様々な偶然を経て川沿いの森に辿りつき、そこで一本の大木に成長する。

 そして長い年月の後、その大木は川の浸食によって流れに押し流され、ユーコン川からベーリング海へと運ばれていく。

 海を渡ったトウヒは北のツンドラ地帯に流れ着き、木のないその世界で唯一のランドマークとなる。これに狐がテリトリーの匂いをつけ、 やがて、その狐の足跡を追っていたエスキモーに見つけられて、彼の原野の家のストーブの燃料となる。

 ストーブの中で燃え尽きたトウヒは、大気の中に拡散してゆき、そこからまた、新たなトウヒの旅路が始まる。

 そんな、「生の循環」への賛歌が、星野道夫の一貫した姿勢だった。

 20代の頃、親友を山で失い、人生の儚さを痛感するとともに、一度限りの人生を悔いなく生きなければと決心する。そして、 アラスカの風景と出会った彼はその風景に導かれるままに彼の地に渡る。

 旅をする木のトウヒのように、流れに逆らわず、自らの周りをピュアな眼差しで真っ直ぐに見つめ続け、そして、あのトウヒのように、 生の循環の一つの節目として、彼はいったん去っていく……。

 たぶん、カムチャッカで彼岸に召された彼の魂は、また新たな生の循環の中に下りてきたのだろう。それが、今、 星野道夫が再注目され始めたということなのだろう。

 ぼくは、遅ればせながらでも、星野道夫という人の魂に触れることができて幸せだったと思う。

2007年11月13日 (火)

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2008年カレンダー

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 1996年、アラスカを舞台に野生動物を追い続けてきた写真家、星野道夫氏がカムチャッカで熊に襲われて亡くなった。

 ちょうど、その頃、SEGAで一緒に仕事をしていた現Think the Earthの上田壮一さんが、 ガイアシンフォニー3の助監督を務めることになっていた。 ガイアシンフォニー3では、メインの登場人物に星野道夫さんを据えて、彼の視点を通した自然、地球というものを表現しようとしていた。

 上田さんは、ガイアシンフォニーの監督龍村仁さんと一緒に何度も星野さんと会って、内容について打ち合わせをしていた。そして、 映画がクランクインするという直前、あの悲劇が起こった。

 当時、地球環境保護に関わる仕事にシフトしようと、ガイアシンフォニーの仕事に情熱を傾けていた上田さんが、 星野さんの悲報に接して肩を落とした姿を今でもよく覚えている。

 まだ残暑の厳しい9月、浅草で星野さんの写真展が行われることを知って出かけていった。

 そして、先日、ガイアシンフォニーの最新版が上映されるので観に行き、 その中で、星野道夫が再び印象的に取り上げられているのに接した。

 そんなことがあって、これも先日紹介したが、ガイアシンフォニーシリーズのDVDを購入して、懐かしくバックナンバーを観て、 3の中に登場する星野さんと対面した。

 自然の中に、優しさや調和、そして人と自然との共生をテーマに写真を撮り続け、文章を記した彼の仕事は、今だからこそ、 求められているのだという印象を強くした。

 そんな星野さんの魂を忘れないようにと、来年のカレンダーは、彼の「悠久の大地」にきめた。

2007年11月 1日 (木)

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アウトドアガイドとインストラクター

 昨夜、ニュージーランドから来日している日本人シーカヤックガイドのRyu Takahashi氏と、 ツリーイングインストラクターの梅木智則氏、それから、アウトドアツアーに積極的に参加しているO嬢と四人で楽しい酒を飲んだ。

 もともと、二年ぶりに来日したRyu氏と「久しぶりに飲もう」と約束していて、先日のツリーイング講習会に参加したときに、 梅木氏にそんな話をすると、「本場のガイディングについてぜひ知りたいので、ぜひ一緒に」となり、 いつもはお客さんの立場のO嬢に声を掛けると、「みんなと楽しく酒が飲みたい」と合流したというわけ。

 日本でもアウトドアアクティビティは多彩で、盛んになってきているけれど、 ガイドしたりインストラクションしたりといったことを生業としている人は少ない。しかも、今のところ、 山岳ガイドのように資格認定機関が認める資格というのはほとんどなく、「正式なアウトドアガイド」となると、もっと少なくなってしまう。

 Ryu氏は10年前にニュージーランドに渡って、現地のアウトフィッターに就職し、その後、 現地の試験を受けて正式なシーカヤックガイドとなった。梅木氏はアウトドアアクティビティ全般を教える「アウトワードバウンド」のプログラムを終了した後、 様々な遠征をこなして、アウトドアガイド・インストラクターとなった。二人とも、その道の「プロ」と呼べる数少ない人材だ。

 ツリーイングもシーカヤックも、アウトドアアクティビティの中でも、とくに敷居が低くて、誰でもすぐに楽しめるものだが、 だからこそ、奥行きが深いともいえる。

 さほどテクニックが必要でない分(もっとも、突き詰めていけば、どちらも「エクストリーム」 と呼べるほど高度な技術を要するものもあるのだけれど)、楽しみをどこに見出せばいいのかということが課題になる。

 ただ漫然と技術を教えただけでは、ユーザーはすぐに飽きてしまう。普段とはまったく違う視点から世界を見るといっても、 ただそれだけでは、興味は急速に薄れる。問題は、シーカヤックやツリーイングそれ自体を目的とするのではなく、それを手段として、 何を体験するか。ガイドは、どういった充実した体験をユーザーに提供していくか、そこに傾注しなければならない。

 日本では、まだ今のところ、ガイドとインストラクターとの区分けが曖昧だし、 インストラクションとは違うガイディングの技術であるホスピタリティやエンタテイメント性といったところまで備えているガイドやアウトフィッターも少ない。

 Ryu氏は、自らの経験を生かして、時々来日してはシーカヤックガイド向けのプロガイドワークショップを開催して、 観光産業の本場である、ニュージーランドのノウハウと、自分が積み上げてきたガイドとしてのスキルを伝授している。

 そんな彼のプロガイドとしての知識やスキルはシーカヤックの世界だけでなく、あらゆるアウトドアアクティビティに通用するはずで、 まずは、梅木氏のツリーイングの世界を発展させる契機として導入しようといった話になった。

 また、単一のアクティビティだけでなく、いくつのアクティビティを組み合わせることで、 フィールドを楽しむ視点がより広く立体的になり、フィールドや自然に対する理解も深まるだろうと、 シーカヤックの上からツリーイングにエントリーするようなツアーもどんどん実施していこうと盛り上がった。

 そんなアウトドアプロパーな三人の話を楽しそうに聞いていたO嬢は、じつは保育園に勤める看護士さんで、 O歳児のクラスを受け持っている。じつは、究極のお客さんを相手にしている彼女が、 ガイディングということに関してはいちばんのプロではないかと、最後に、アウトドアプロパー3人は思い至った(笑)

Ryu Takahashi氏のサイト"Ryu's Logbook 別冊"

梅木氏の所属する「ツリーマスタークライミングアカデミー」

2007年8月29日 (水)

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NZ家造り日記

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**写真提供 Mr. Ryu Takahashi**

 アウトドア好きな人なら誰しも自分の好きな山や海の側で暮らしてみたいと思うだろう。

 かく言う自分も、高校時代には白馬に1ヶ月滞在して、「将来はここに住もう」と決心し、 大学に入って年間100日も山に籠もるようになってからは、八ヶ岳や甲斐駒の麓や北上山地の高原やらと、その都度、「将来はここに住もう」 と決心したものだった……結局、思い描いたフィールドの環境とはほど遠い東京の場末に20年以上も住むことになってしまったのだが(笑)。

 しかし、ぼくのように田舎暮らしを単なる夢で終わらせずに、しっかりとビジョンを持って、プランを立てて、実践していく人もいる。

 Ryu Takahashi氏もそんな一人だ。彼は、ニュージーランド(NZ)の南島北端にあるエイベルタズマン国立公園で、 シーカヤックのガイドを生業として、ここに自分の城を着々と築いている。

 アウトドアアクティビティ大国のNZは、クライミング、バックカントリースキー、トランピング(トレッキング)、 シーカヤッキングなどのガイドは、すべて国家資格として定められ、それを取得するためには厳しい試験と実務経験が課されている。今のところ、 日本人としてシーカヤッキングの正式なガイド資格を持つのは彼だけだ。

 彼が資格試験に臨んだときのレポートも、命がけともいっていい実技の様子や、単に自然を紹介するインタープリティングだけでなく、 ユーザーをいかに楽しませるかといった話術やホスピタリティまで内容に含まれていることに驚かされたものだった。

 そんな彼の人となりや、彼の仕事とライフスタイルは、また別の機会に紹介してみたいと思っている…… NZで彼のガイディングツアーに参加するという約束をずっと果たせずにいるので、この冬にはNZを訪問して、その様子を紹介するつもりだ。

 Ryuさんのブログでは、NZでアウトドアガイドという仕事に就き、市民権も取得した彼の夢のコアともいえる「家造り」 の日記が連載されている。

 土地の取得から始まり、地ならし、配管、基礎、棟上げ、外装、内装……当初は先進のエコハウスをセルフビルドでと考えていた彼が、 様々にリサーチして、その都度、現実と折り合いながら、自分のイメージする家を作り上げていく様子が、克明に記されている。

 とにかくマニアックというか凝り性な彼の性格が良く出ていて、大工さんや施工業者が使う道具の一々に目をつけて、 その使い方や日本との違いなどのディテールまで記していく。はたまた家造りに関わる人たちまで克明に観察して、その性格やら、 ライフスタイルまで紹介していて、この日記を追うだけで、NZ人気質がよくわかってしまう。

 じつは、彼の家造りを手伝う約束もしていたのだが、ぼくが訪ねる頃には、すっかり完成してそうだ。

 もっとも、Ryuさん曰く、「この家は、とりあえず今できるものでベストなものとして造ってますけど、ぼくの理想の家は、 また別なんですよ。そっちの家造りのときには、しっかり手伝ってくださいよ。今度はセルフビルドですからね!!」。

 日本的な感覚だと、マイホーム=終の棲家だが、その時々の環境やライスタイルに合わせて家も住み替えていくという発想からして、 もう日本人の枠を越えているのだろうなあ。

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**着々と形になっていくTakahashi邸。今は、内装の仕上げに入っている。 土地の取得やNZ独特の慣習やら、書類の手続きやらと、周辺情報も充実していて、とても面白い。 彼の家造り日記を本にする出版社はないだろうか?**

 Ryuさんは、来月、一時帰国予定。こちらでシーカヤックガイド向けの講習やツアーを企画している。そのどれかに参加して、 久しぶりに一緒に海に出られたらと思っている。

 

Ryu's Logbook別冊
Ryu's Logbook
エイベルタズマンカヤックス

2007年8月 7日 (火)

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乗馬・エンデュランス

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**馬と人が協力し合って、自然の中で長丁場を走りぬく、エンデュランス競技。 早くからこの競技を手がけてきたネイティヴビレッジ代表の宗形郁夫氏(左)と日本を代表するライダー谷邦彦氏。 間に挟まれているのは、谷氏の愛馬・勝太郎**

 乗馬競技の中に、「エンデュランス」という種目があることをご存知だろうか? 「乗馬」と聞くと、 馬場馬術や障害レースといったものが思い浮かぶが、エンデュランスは、仕切られた馬場の中ではなく、広いオープンフィールドの中で、20、 40、80、120、160kmといった長丁場を駆け抜けるタイムレース。

 タイムレースといっても、ただ早いだけではダメで、コース途中に設けられたメディカルチェックで馬体検査を受けて、そのときに、 馬の体が不調だったり、負荷のために疲労が基準を超えていると失格になってしまうもので、ライダーは、体力と技術が必要なのはもちろん、 いかに馬をいたわりながら、馬と一つになって過酷なコースを乗り越えていかなければならない。

 とくにエンデュランス競技の最高峰である100マイル(160km)レースでは、早朝にスタートしてからゴールするまで丸一日、 あるいは翌日の昼までかかる長丁場で、これは、無事完走するだけでも、高度な技術と知識、そして体力が要求される。

 先日、そのエンデュランス競技に早くから牧場をあげて取り組み、トップライダーも輩出している山梨県富士河口湖町にある 「ネイティブビレッジ」 を訪ねてきた。

 富士山の裾野に広がる朝霧高原の一角にあるこの牧場では、22頭の馬を擁して、乗馬体験からエンデュランスレースへの参戦、そして、 子供たちを主体にした乗馬・牧場体験キャンプなどを実施している。

 そもそも、ぼくはネイティブビレッジを訪ねて、代表の宗形さんから話を聞くまでは、 エンデュランスという競技があることすら知らなかった。ネイティブビレッジの面々は、 ぼくが訪ねた前日に軽井沢の照月湖を中心に行われたエンデュランスレースに参戦して、現地から戻ったばかりだったが、 レースの疲れもまったく見せずに、同じく照月湖で行われた昨年のレースのビデオなどを見せてくれた。

 自然の地形をそのまま利用して、オープンフィールドで繰り広げられるレースは、 ぼくが昔走っていたオフロードバイクのエンデューロレースとほとんど同じロケーションで、馴染み深いものがある。

 しかし、バイクのエンデューロ競技では前方に視線を据えて、エンジン音を轟かせながら、ひたすら突き進んでいくのに対して、 同じロケーションの中を、静かに蹄の音だけが響いて、ゆったりと進んでいくエンデュランス競技とでは、決定的な違いが感じられる。

 バイクのエンデューロでは、「自然と闘う」といったアグレッシヴな雰囲気だが、乗馬のエンデュランスでは、馬と人とか一体となって、 いかに自然と調和してそこに溶け込んでいくかがポイントとなっている。

 馬が疲れてくれば、ライダーは道端の草を食ませ、小川のせせらぎで止めて水をゆっくりと飲ませる。 馬に極度の負担がかかるガレ場の登りなどでは、馬から降りて、ライダーが引き馬する場面などもある。

 そして、馬体検査のときには、馬にマッサージを施したり、サプリメントを摂らせたりと、見ていると、 人よりも馬が主役のレースだということがはっきりとわかる。

「馬に騎乗していると、木の枝の高いところに届くので、ときには、目の前の木の実を取って食べたりすることもあるんですよ」と、 谷選手。

 以前、このブログでも紹介した「ツリーイング」では、近所の公園の景色が木の上から眺めると、 普段目にしているものとまったく違って驚かされたが、馬の上の高い目線から、眺めながら自然の中のトレールを行く気分は、また格別だろう。

 それに、馬という生き物と一緒に、パートナーとして同じ自然を体験するという感覚も新鮮で楽しそうだ。

 これから、機会を見つけて、エンデュランス競技について紹介していこうと思っているが、その前に、自分でも乗馬を練習して、 「外乗=がいじょう」と呼ばれる、馬場から出てフィールドの中を馬でトレッキングする体験をぜひしてみたいと思う。

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**昨年行われた、日本で初めての160kmレースを伝える新聞記事。 このレースにネイティブビシッジの谷選手も参加して、完走を果たした。右の写真は、 そのときのコースマップ**

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**レース中、いくどか行われる「馬体検査」では、非常に細かい検査項目をチェックされる。 これで失格になるケースも多い。ただ早く走るだけでなく、いかに馬をいたわりながら走破するかがポイントとなる、 とても知的な競技だ**

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**ネイティブビレッジの厩舎と馬場。現在、この牧場には22頭の馬がいる**

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**初心者からベテランまで、ネイティブビレッジでは、多彩な乗馬プログラムが用意されている。 また夏休み中は、牧場内で寝泊りして、牧場生活と乗馬を体験できるジュニアキャンプも開催している**

■ネイティブビレッジ■
■乗馬ネット・谷邦彦氏ブログ■

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2007年7月16日 (月)

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シルクロード写真展

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 先日のシルクロード取材をアテンドしてくださった写真家・ 石嘉福氏が昨年シルクロードを舞台に開催した写真撮影ツアーの展覧会が開催される。

 参加者はシルクロード初体験という人もいるが、30年以上もこの地で取材経験を持つ
石氏のレクチャーを受けながら撮られた作品は、大判に引き延ばされ、シルクロードの自然のダイナミズムと繊細な文化を精緻に伝えている。

 中央アジアの雄大な自然とそこに育まれた文化に興味のある方は、ぜひ!!

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写真展 『シルクロードへ』
○2007年7月19日 - 7月31日
○銀座スペース5ギャラリー
 〒104-0061
 中央区銀座2-8-19 SUMIビル1F(日本発色)
 TEL:03-3562-5471
○月-金10:00-19:00 日曜休館 土・最終日は17:00まで
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2007年6月14日 (木)

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「宇宙へのパスポート」、「星空の贈りもの」

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 日本橋に特設されている「日本橋HD DVDプラネタリウム」で「宇宙へのパスポート」、「星空の贈りもの」を観てきました。

 プラネタリウムクリエイターの大平貴之氏が開発した世界最高の投影星数410万個を誇る「メガスター2」の星の映像をベースに、 バーチャル宇宙旅行が展開する「宇宙へのパスポート」、世界中の四季の風景とともに、その瞬間の星空を投影する「星空のパスポート」、 いずれも宇宙の奥行きをしっかり感じさせる映像が迫力です。

 宇宙へのパスポートでは、地球を飛び立った宇宙船が太陽系を離れ、太陽系が属する銀河を遠望し、 さらにその銀河が属する銀河団を見渡し、さらに銀河団が含まれる世界を俯瞰する100億光年彼方の宇宙へと、リアルな映像で、 ぐんぐん飛翔?していきます。

 ミクロからマクロへ、想像もできない宇宙の広がりを体感しながら、そこに存在する我々、「生命」とはなにかを、「宇宙連詩」 が語っていきます。

 星空の贈りものでは、南の島の浜辺の夕暮れから始まった光景が北国のオーロラへと飛び、さらに無数の流星雨が天空を埋め尽くし…… 地球と宇宙のシンフォニーともいえる光景が天界されていきます。

 壮大な宇宙の広がりを前に、なんて人間なんてちっぽけなんだろうと思うと同時に、だからこそ、こうして「生」 を受けたことが奇跡なんだと思え、宇宙の中の小さな小さな星であるこの地球の存在もまた奇跡であり、 だからこそ大切にしていかなければいけないと思い知らされます。

 でも、素晴らしい星空体験をして、いちばん強く思ったのは、自然の中で「生」の星空を観たいということでした。 南アルプスを臨む峠でキャンプしながら見上げた星空、霧ヶ峰の峠から眺めた地上の街明かりと星空の対比、 ブリザード吹き荒れる真冬の赤城大沼の湖岸に立って観た一瞬の星空……プラネタリウムで宇宙の大きさを勉強した後は、やっぱり、 本物の星空を眺めに行きたいですね。

 今月末からシルクロードを巡ってくる予定ですが、タクラマカン砂漠のど真ん中で眺める星空は、いったいどんなものでしょうか……。

■日本橋HD DVDプラネタリウム■
*今回紹介したプログラムは、今月一杯で終了します。

2007年6月10日 (日)

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『山と高原地図』の著者が大集合

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 6月9日、東京神楽坂の日本出版クラブ会館で、『山と高原地図』企画会議と親睦会が開かれました。

 『山と高原地図』は、登山者にとってはお馴染みの定番山地図で、昭文社の出版物の中でも1966年創刊以来のロングセラー商品です。

 現在、日本全国で59のエリアをカバー、それぞれに実際に踏査取材を行う著者陣がいて、 毎年の踏査結果と周辺情報の変化などを折り込んで、改訂されています。

 今回は、北は北海道から南は屋久島まで40人あまりの著者の方々が集まり、情報交換や、『山と高原地図』 の取材で得られた情報のWEBや他の出版企画への生かし方などを討議しました。

 ぼく自身も、30年以上昔の高校時代から山登りを始め、傍らにはいつも『山と高原地図』があったので、長年、 山岳の踏査取材をされている大先輩たちとお会いできる機会を楽しみにすると同時に、かなり緊張していました。

 著者の方々は50代から70代で半数以上を占め、みなさん現役で精力的に山行をこなしていらっしゃるのは、頭が下がるばかりでした。 登山地図には、コースタイムが記されていますが、健脚の著者陣は、ユーザーの速度に合わせて、 自分のタイムに1.2倍したりあるいは1.5倍したり、中には自分の登りのタイムをユーザーの下りのタイムとして計上したりと、 かなり苦労されているとのこと。

 最近、運動不足で登山地図のコースタイムとほぼ同じ時間をかけて登っているぼくとしては、恥ずかしいかぎりでした。

 長年、『山と高原他図』に関わってこられた方々も、直接交流するのは初めてという方がほとんど。でも、 山を愛するという同じ気持ちを持つ仲間同士で、懇親会は大いに盛り上がりました。

 今後の企画に繋がる意見や提案もたくさん出され、昭文社のアウトドア企画は出版もWEBも今後盛り上がっていきそうですので、 こうご期待!!

 最後に、1966年の『山と高原地図』創刊から関わり、ずっと企画をリードされてきた赤松滋氏(北摂・京都西山、六甲・ 摩耶担当)から締めのご挨拶。

「みなさん、いろいろとご苦労もおありだと思いますが、それぞれの地域の山の素晴らしさを伝えるために頑張っていきましょう。 それから、これだけは、肝に銘じておいてください。自分の担当地域で、けして事故を起こしてはいけないと」

 登山地図もはちろん、日本の登山界もリードされてきた大先輩の言葉が、ズシリと心に響きました。

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**『山と高原地図』著者陣と昭文社スタッフ。みんな、同じ自然を愛する者どうし、 とても盛り上がった会になった**

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**『山と高原地図』の創刊に関わり、 40年以上現場で踏査取材を続けられている赤松滋氏**

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**赤松氏が大切に保存されていた歴代の『山と高原地図』も展示。 昔の六甲山の表紙に掲載された岩が阪神大震災で崩れ今は無いことや、登山ルートの変遷など、見比べると、 そこに様々な歴史が重層しているのが印象深い**

■山と高原地図サイト■

2007年5月31日 (木)

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久高オデッセイ

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 沖縄本島の東、世界遺産の一つである斎場御嶽(セイファウタキ)の沖合に久高島が浮かんでいます。以前、沖縄御嶽探訪記でもご紹介しましたが、 ここは、沖縄創生神話にまつわる「聖地」として知られています。

 女神が拓いたとされる久高島。その女神に仕える「ノロ」と呼ばれる巫女たちが、独特の宗教文化を形作っています。

 恵まれた自然の中にあって、必要なだけのものを戴き、恵みに感謝して、祈りを捧げる生活。それは、 自然と穏やかに共生するための智慧だったことがよくわかります。そして、大量消費社会の現代にもっとも欠けているものであることが……。

 久高島に伝わる「イザイホー」と呼ばれる祭りは、12年に一度、島のノロが総出で行う久高島でもっとも重要な祭りですが、 それが1978年を最後に後継者がいないために途絶されています。

 80年代初頭に500人を越えていた人口が、今ではその半分。ノロの後継者も減り続けています。

 78年の最後のイザイホーを取材し、久高島の歴史と文化を掘り下げることをライフワークとしてきた比嘉康雄さんという方がいました。 この記録映画は、2000年に亡くなられた比嘉さんへのオマージュでもありました。

 今回、ぼくが観た上映では、その比嘉さんの最期の半月あまりを追った『原郷のニライカナイへ』も併映されました。

 末期ガンで余命半月と告げられている比嘉さんは、重病であることなど微塵も感じさせない矍鑠とした姿で、懐かしい久高島を訪ね、 久高島の東にある彼岸=ニライカナイへ向かって、静かに祈りを捧げます。

 自宅の書斎に戻って、淡々と久高島の信仰について語り、最期に監督が「死を目前にして、どのような心境ですか」と、 残酷ともいえるような質問をします。

「不思議なことにね、もうすぐ死ぬということがわかっていても、私は怖さを感じないんですよ。逆に、 自分の人生が久高島とそこに住む人たちに出会えたことで、とても幸せだったと思えるんですね。久高島の信仰では、 肉体は死んでも魂は不滅だとされています。健全な魂はニライカナイへと旅立ち、そして、自分の孫に転生して戻ってくると」

 比嘉さんは、にこやかに笑いながらそう答えます。

51SD2VE5SYL._SS500_   「沖縄でもね、琉球政府が父性原理を持ち込んで、 社会を合理化しようとすると、無駄な争いばかりが増えてしまい、競争社会になってしまった。だけど、 久高島の母性社会に身を置いてみると、自然への感謝の気持ちを持ち続けて生きていれば、 戦争なんて起こるはずがないことがよくわかるんですよ。新しい世紀を迎えて、私たちが滅びずに、幸せであるためには、今一度、 母なる自然に対する感謝の気持ちを取り戻さなければいけないのではないでしょうか……」

 そんな言葉は、まさに辞世となりました。

 比嘉さんは、メッセージとともに、「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 という素晴らしい著作も残されました。

「私は、ジャーナリストでもなければ研究者でもない。私は、人はどうして生きるのか、人が生を受けたことの意味は何か、 ただそれだけが知りたくて、ずっと旅を続けてきただけなんです……」

 そんな言葉も、深く心に残りました。

 『久高島オデッセイ』は、自主上映という形で、全国各地で上映されています。ぜひ、検索で調べて、近くで上映されていたら、 観に行ってください!!

2007年5月14日 (月)

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動物と人が織りなす絶妙なダンス --グレゴリー・コルベール展"ashes & snow"--

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**お台場に出現した巨大オブジェクトの正体は"ノマディック美術館"

 一ヶ月ほど前のこと、首都高速湾岸線を走っていると、お台場のあたりでコンテナを積み上げて、 何やら巨大なオブジェを作っているのが目につきました。大きな船積み用のコンテナを構造材にして柱と梁を渡し、屋根を載せると、 それは巨大テントを思わせる建築物に。

 ロレックスインスティテュートが後援して、世界を巡り歩くこのノマディック美術館。 それはまさにノマディック(遊牧)の言葉が示すように、現代の文化遊牧民がコンテナで作ったユルト(放牧民のテント)を持って、 世界を巡りながら文化発信をするというコンセプトをそのまま体現したオルタナティヴな形の美術館です。

 ここで6月24日まで公開されている"ashes & snow"は、 野生動物と人とが信じられないほど自然な形で寄り添いあい、ダンスを繰り広げるグレゴリー・コルベールの映像が、 通路の両側に置かれたスティルとさらに奧の壁に映しだされる動画で展示されています。

 映像に音や風、ナレーションのインスタレーションで、不思議な空間の効果も相まって、 コルベールの映像世界に自らが没入してしまったような気分になっていきます。

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 海中に漂うコルベール自身の映像は、はじめセピアの画面のためもあって海の中にいるとはわからず、宇宙を漂っているように見えます。 そこにクジラが登場して、それが海中であることが理解できても、息を継がずにクジラたちと戯れるコルベールの姿は、 それはまた見ているぼくたちを現実から引き離して、クジラと同じ海中で生活するほ乳類になったような気分にさせてくれます。

 さらに、世界各地に場所を移し、ときには人が砂漠でチーターと寄り添い、ときにはオラウータンと心を通わせていきます。 また別なシーンでは、北アフリカあたりの城跡の中で鷹の羽根を振って踊る女性ダンサーと鷹との絶妙なコラボレーションが展開されていきます。

 全てのシーンをセピアで統一することで、人と動物、そして登場する様々な人間たちのエスニシティ(人種)といったものを超越し、 全て同じ生き物であり、心を開くことで、互いに自然に交流できるということを実感させてくれます。

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**美術館の周辺には、今、色とりどりの花が咲き誇っている**

 とにかく、今まで出会ったことのない映像世界は、ぼくたちの心の中に眠る無垢な子供を目覚めさせ、 とても落ち着いた優しい気持ちにさせてくれます。

 お台場方面に行楽に行くなら、ぜひ覗いてみてください。

■ashes & snow公式ページ

 

ノマド

 

 

2007年4月19日 (木)

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「特派員ブログ」スタート!!

 4月18日より、「まっぷるnet温泉プラス」の特派員ブログがスタートしました。

 アウトドア、温泉、ツーリングなどの分野で、全国各地で楽しく実践し、活発にブログで情報発信されていた方々を中心に、まずは10名でスタート。

 ユーザー視点で書かれた体験記をベースとして、施設などのスペック情報、旅やアクティビティで辿った、具体的なポイントやルートを示す地図、そしてその分野で経験豊富な特派員ならではの評価情報と、多角的な視点で発信される情報は、ナビゲーターブログと合わせて、みなさんの”旅やアウトドア”のプランニングにとって、とても参考となるでしょう。

 「まっぷるnet温泉プラス」にアクセスすれば、最新記事のヘッドラインが一目瞭然。ぜひ、現場からの「生」の情報をご活用ください!!

[特派員の顔ぶれ]

img_20070416T235856906 ●おか さん[山形県]
休日はドライブ・バイクツーリングで東北の温泉巡り
B級グルメを求めて、プチ旅行を楽しんでおります。
やっぱり田舎はいいですぞ


http://weblog.mapple.net/tokuhain_001/

img_20070416T235900390 ●yoshi さん[福岡県]
ツーリング天国九州の魅力をライダーの視点で皆様へ。
走りだけでなく温泉や地元グルメ情報もお届けします。
少ない休みと小遣いを駆使する庶民派ライダーです。


http://weblog.mapple.net/tokuhain_002/

img_20070416T235901937 ●こうたろう さん[福岡県]
日々探求…皆様の為、そしてもちろん自分の為に、良い
温泉と良いキャンプ場、そして美味しい物を捜し求めて、
九州から全国各地を巡りますよ!


http://weblog.mapple.net/tokuhain_003/

img_20070416T235903468 ●あべ じゅん さん[神奈川県]
少ない休みを最大限有効活用するべく、愛車で一気に
走っては温泉めぐりをしています。鄙び系の掛け流し
共同浴場が大好物です♪


http://weblog.mapple.net/tokuhain_004/

img_20070416T235905140 ●寝太郎 さん[神奈川県]
働くぐうたら主婦の寝太郎が平日の憂さ晴らしに、
家族と共に思いっきり楽しむ休日をご紹介します♪
気分を晴らすドライブと疲れを癒す温泉はたまらんよ


http://weblog.mapple.net/tokuhain_005/

img_20070416T235906718 ●すず さん[富山県]
バイクツーリング、家族キャンプ、温泉、美味しいも
の、カメラ、海釣り、丸ポスト探し(マニアック(汗)
中部・北陸の楽しい情報を発信していきます!! 


http://weblog.mapple.net/tokuhain_006/

img_20070416T235908281 ●ナカムラ さん[長野県]
信州の温泉に恵まれたエリアに住んでいます。
休日は娘とキャンプや温泉、平日は夫と名所めぐりを楽し
んでいます。地元ならではの情報をお届けいたします!!


http://weblog.mapple.net/tokuhain_007/

img_20070416T235909812 ●いわな太郎 さん[兵庫県]
まだまだいっぱい遊びたい!大好きな釣りやキャンプ
そして旅・・・。それをいつまでも楽しむための
「フ リースタイル」 みなさんもお一ついかがですか?


http://weblog.mapple.net/tokuhain_008/

img_20070416T235911375● 味村 さん[千葉県]
4歳の長男を筆頭にフィールドをエンジョイしています。
色々な経験から一緒に学び、一緒に考えています。
少しずつ少しずつたくましくなってもらいたい!!

http://weblog.mapple.net/tokuhain_009/

img_20070416T235912921 ●KUMA. さん[愛媛県]
登山や旅行、キャンプやサイクリング。
それらを通して楽しんだ自然や風景を紹介します。
温泉や隠れた名所・名物の発掘も頑張ります!

http://weblog.mapple.net/tokuhain_010/

■まっぷる温泉プラス

■特派員一覧(詳細)

■特派員ブログについて

2007年4月17日 (火)

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武相荘

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 東京の郊外、町田にある武相荘を訪ねてきました。

 ここは、「かくれ里」や「西行」などの著作で、日本文化の深層を繊細な筆致で描き、また衣、食、住、 芸術などに独自のこだわりを持って実践した白洲正子と、その夫で、戦後吉田茂首相のブレーンとして活躍した白洲次郎が古い農家を買って、 コツコツと自分たちのライフスタイルに合った住まいに仕上げていったところです。

DSC_0018  最近吹き替えられたばかりの茅を載せた母屋と、納屋や離れ、 ガレージが小さな丘を背負って配され、そこが都心近郊のベッドタウンであることをすっかり忘れさせてしまいます。

 ちょうど春の花と新緑に包まれ、風にサワサワと揺れる竹藪の足元を眺めると、あちこちからタケノコが頭をもたげています。

 今は展示館として開放されている母屋に入ると、ほのかに暖かいタイル敷きのの土間にはどっしりとした革張りのソファーが置かれ、 心地よい風と仄かな新緑の香りが吹き込んできます。

DSC_0011  住まいというものを格別意識することなく、 長年の海外経験や日本探訪などで身についてきたモノやコトを自然に配し、自分たちの身を置きやすいように細部を整えていったら、 結果的にそうなったといった、さりげないこだわりの生活感といったものが、白洲家をそのまま物語っているようです。

 昭和18年に、日本の敗戦とその後の混乱を予想して、 当時は寒村だったこの町田市鶴川の地に38歳で隠居を決め込んだ白洲次郎とちょうど30歳の正子。

 結果的に60年間あまり、終の住処となったこの場所は、人に流されず、独自のライフスタイルを貫き通しながら、 でも日本の文化や政治の行く末を見守り続けた白洲夫妻。今、 白洲次郎のダンディズムと白洲正子の日本の自然と文化に対する思い入れが静かな共感を呼んでいます。

DSC_0032  二人が残した著作を読むだけでなく、白洲夫妻の「小宇宙」 ともいえる武相荘を訪れてみると、彼らが伝えようとしたメッセージが、静かに五体と心に染みこんでくるようです。

 四季折々に表情を変える庭は、季節の変わりに合わせて、何度も訪ねてみたい気にさせます。そして、 微妙な季節の移ろいを感じながら生活できることの豊かさが、今の世の中にはもっとも必要なものではないかと感じさせられました。

■武相荘

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2007年3月13日 (火)

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patagonia 2007春カタログ

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 パタゴニアから2007年春もののカタログが届きました。マニラ封筒は、 いつものように手紙用の封筒としてリサイクルできるスタイル。ペットボトルの再利用からシンチラ(フリース)を作り出した、 サステイナブルの先鞭をつけたメーカーらしい配慮が嬉しくなります。

 今回のカタログの表紙は、創業者であるイヴォン・シュイナードの若かりし頃の写真。ロッククライミングの聖地ともいえるヨセミテで、 自ら制作したピトンを並べて準備をしているスナップです。

 イヴォン・シュイナードは、ロッククライマーとして鳴らし、自らの経験を生かしたピトン造りで、今のパタゴニアの基礎を作ります。

 さらに、サーファーでもあった彼は、シュイナードイクイップメントという会社を起こして、 陸からマリンまで幅広いアウトドアライフをサポートする各種のギアを開発して発表、それが現在のパタゴニアとなります。

 自らが愛したヨセミテの岩場がピトンだらけになっているのを見て、この開発を止め、 回収可能なギアやリサイクル可能なギアの開発にスイッチ。さらにはオーガニックなカジュアルウェアで、 アウトドアの清新な息吹を都市生活者も感じられるようなラインナップを作り上げていきます。

 今年からは、カジュアルなシューズもラインナップに加え、パタゴニアがより身近に感じられるようになりました。

 というわけで、春から夏のウェアやギアを物色中です(笑)

■パタゴニアオンラインストア

2007年2月10日 (土)

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地球の旅人

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 1月2日から恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館で開かれている「地球(ほし)の旅人」展を観てきました。

 山岳写真の菊池哲男、動物写真の前川貴行、そして樹林をモチーフにする林明輝の三氏のジョイントとなるネイチャーフォトの世界は、 動物たちが過酷な自然の中で見せる神々しさや人間的なペーソスに始まって、山の雄大さと、昼から夜、 夜から昼への変遷の中で見せる様々な表情、さらに身近な里山で繰り広げられる想像を絶する色彩のページェントと進んで、 ぼくたちの生きるこの地球(ほし)の営みの素晴らしさを教えてくれます。

 地球温暖化とその顕著な影響である暖冬に見舞われて、環境危機の到来を肌身に感じる今だからこそ、 こうしたネイチャーフォトに触れて、自分たちの住むこの星のことを愛しく思う気持ちを育まなければと思います。

 今月18日までですので、ぜひ出かけてみてください。

■東京都写真美術館■
http://www.syabi.com/

2006年11月 5日 (日)

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ラインホルト・メスナー

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 印象に残っている登山家はと聞かれて、今ならさしずめ深田久弥=日本百名山となるのかもしれませんが、 ぼくがバリバリ山に登っていた20代の頃は、百名山ブームなどなく、山は無知な中高年たちの「百名山マニュアル」消化の舞台でもなく、 まだまだ若者のチャレンジの場でした。

 そんな70年代から80年代にかけては、GORE-TEXを始めとした道具の革新の時代であり、 それに支えられた登山自体が革新の時代でした。

 最近届いた「ナショナルジオグラフィック」誌をめくっていたら、そんな時代のスーパースター、ラインホルト・ メスナーの記事がありました。

 当時、「絶対に不可能」と言われた8000m無酸素登頂を人類として初めて成し遂げ、その後、次々に8000m峰を落として、 ついには14座すべてを無酸素で登るという偉業を成し遂げた男……。

 当時は、8000m峰を登るには、アムンゼンやスコットといった極地探検家が採用した「ポーラシステム」 によるアタックしかないと言われていました。それは、人的資源も含めた物量を投入して、 ベースキャンプから徐々にルートとキャンプを延ばしていって、最期に厳選されたアタックメンバーだけが登頂するために、 他のメンバーはサポートに回るというものでした。

 ところが、メスナーが採用したのは、ヨーロッパアルプスを登るのと同様に、 少数のあるいは単独で麓から頂上まで一気にアタックをかけるアルパインスタイルで、それをヒマラヤの高峰に用いることなど「あり得ない」 とされていたものだったのです。

 だからそれまでは何ヶ月もかけて制覇されていた8000m峰をメスナーは数日で登り切り、 連続して二つの峰を制覇するといった神業も披露したのです。

 当時は、そんなふうに、常識を打ち破る出来事とそれを実践する人間たちが大勢いて、とにかくエキサイティングな時代でした。

 日本でも、きら星のごとく、世界的なアルピニスト、クライマーが輝いていました。植村直巳、加藤保男、長谷川恒夫、今野一義…… だが、彼らは、みな山で逝ってしまいました。メスナーの本当に凄いところは、じつは「今生きてある」ということなのかもしれません。

 今ぼくは45歳です。気がつけば、先に挙げたきら星たちの享年をすでに追い越してしまいました。20代の頃のぼくの目には、 いずれも偉業を成し遂げた人生を生きて、最期の瞬間に彼らは悔いはなかっただろうと思いました。でも、今にして思えば、彼らは、 逝くにはまだあまりにも若すぎました……。