最新投稿マップ

地図をクリックすると
最新投稿 MAP インデックスへ
ジャンプします。

最新投稿画像

Blogとライブ投稿の最新画像が見られます。

Feeds by まっぷるBlog

すべてのまっぷる Blogの中から最新の投稿を表示しています。


2008年4月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

RSSフィード

RSS(XML)フィード

2007年6月12日 (火)

記事タイトル

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.5 --中辺路と玉置山--

 topmap

 

■ほのぼのと楽しめる中辺路のメインコース■

DSC_0304  今回、唯一それなりに歩いて熊野古道を楽しむ中辺路コース。といっても、 トータルで40kmあまりある和歌山から熊野本宮までの道のりのほんの一部、 近露王子から継桜王子までの片道3kmあまりの道のりを往復するだけですが……。

 近露王子近くの駐車場に車を止めて、歩き出したのもつかの間、同行のM嬢のシューズのソールが剥がれるという珍事が……。 だいぶ草臥れていたジョギングシューズを今回で履きつぶすつもりが、最後まで持たなかったというわけで、 ちょうどぼくがキャンプサイトで楽なようにと用意していたクロックスのサンダルを提供。しかし、かなりなオーバーサイズで、 ポックリを履いた舞妓さんか、小さな子供がお父さんの靴を履いたような感じで、いかにも歩き辛そう。トレッキングはシューズが命。 道具の点検は、努々怠りなくといった教訓でした(笑)。

DSC_0313 熊野古道の中でも中辺路はもっとも人気があり、この近露~継桜王子はコースが明るく、 起伏も少なくて手軽なため、熊野古道の雰囲気を初めて味わうには最適です。実際、このルートを辿るハイカーは多く、 近露から継桜へのルートを辿る人も多く、また逆コースを来るハイカーともたくさんすれ違います。

 年齢層は、やはりシルバーエイジが多く、夫婦やグループを多く見かけます。また若者の一人旅もちらほらと。

 こうした巡礼ルートとしては、四国の遍路が有名ですが、宗教的色彩が強く、どこか悲壮さが漂ったり、「プロ遍路」 のようなおかしな現象が起こっている四国と比べると、熊野の巡礼路を辿る人は、もっと気楽で明るく、スポーツ的であり、 良い形でエコツーリズムのモデルになりつつあると感じました。

  道標も整備され、すれ違う地元の人たちも明るく挨拶してくれるし、こうした『巡礼』が、 アウトドアアクティビティの一つとして定着していくような気がします。熊野古道と同様に巡礼の道として世界遺産に登録されている 『サンチャゴ・デ・コンポステーラ』も辿ってみたいと、ほんの触りとはいえ熊野古道を辿ることで思わせられます。

DSC_0309 やはり、自分の足で歩くと、 このゴールデンウィークの気候の良さがほんとうに良くわかります。新緑のトンネルを抜けて、様々な花に出迎えられ、 地面にはタケノコや山菜が目につきます。

  近露王子や継桜王子の「王子」とは、熊野の神の分社という意味で、熊野古道全体で99の王子が配されています。  古道を辿りながら、休憩所の役割も持つ王子で一休みし、同時に、安置された熊野の分社に向かって、旅の安全を願う。 そんな場所だけに、王子には、熊野古道を辿ってきた人たちの思いが刻み込まれているように感じさせられます。

 山間の狭い舗装路から樹林の中を行く石畳の古道、そしてまた舗装路と道を縫い、ゆっくり散策しながら1時間あまり辿ると、 ちょうど稜線のようなところに出て、果無の重畳とした山並みが遠望できます。

DSC_0337 ここが、目的地の継桜王子。 藤原秀衡がこの地にここまで突いてきた桜の杖を願掛けのために地面に突き刺したところ、 後で訪れたときにそれが根付いて花を咲かせていたという故事に因んで名付けられたと伝えられています。

  その継桜王子に向かう参道には、「一方杉」 と呼ばれる杉の巨木が林立しています。この巨木たちは、南側だけに枝を伸ばし、 見上げると何かを抱きかかえるように腕を前に伸ばした巨人たちのように見えます。一説には、 その枝を伸ばした先には熊野速玉神社があるとか……。

   この継桜王子の直下には、野中の清水と呼ばれる湧水があります。 一方杉の巨木の根回りに染みこんだ雨水が、地中に張り巡らされたその根によって磨かれて地上に湧き出したその水は、 いかにも森が育んだ柔らかで穏やかな水です。

 その野中の清水の傍らにある茶屋で一休み。ここでは、 野中の清水の湧水を使ったくず餅を食べさせてくれます。 やはり熊野の濃密な自然が育んだ葛とこの水の組み合わせで作られたくず餅を噛むと、熊野の自然が口の中に広がるように感じられます。

 帰路は、野中の清水をキャメルボトルに汲んで、 往路を戻ります。こちらからのルートのほうが下り坂が多く、往路よりも短時間で近露王子に到着。 今回のようにピストンせずにこのコースを歩くのであれば、近露王子近くの道の駅・熊野古道中辺路に車を置いて、 そこからバスで継桜王子まで移動して歩き始めるといいでしょう。

 今回は熊野古道の散策は、波田須の大吹峠と、 この中辺路のさわりだけで終わってしまいましたが、次は、奥駆けか中辺路の全踏破に挑戦したいと思います。

DSC_0336DSC_0322
**継桜王子の北にある『とがの木茶屋』。茶がゆや薬膳定食が有名だが、予約が必要なことを知らずに訪ねて、 残念ながら食事はできず。 代わりに半搗きの餅米に素朴な餡を載せた美味しい餅を振る舞ってもらった**

DSC_0325DSC_0326
**野中の清水横の茶屋で、山の幸の寿司とくず餅を戴く**

DSC_0332DSC_0343
**野中の清水と一方杉。

 

■奥山に響く勇壮な祝詞■

DSC_0360  中辺路の散策を終えて、この日は十津川あたりで泊まる予定でしたが、 宿に電話を入れてみるとどこも満室。キャンプ場も先日の川湯のような様子では落ち着かないだろうと、 一気に五條あたりまで出ることにして、その前にまだ時間があったので、玉置山へと向かいました。

 玉置山は、熊野三山の奧宮とされ、果無山脈の最奧部に位置しています。

 十津川側からつづら折れの山道を車で2時間あまり、果無の山並みを見渡す山上の駐車場に着きます。ここから鳥居を潜って、 巨木が林立する参道を進むこと15分あまり。深い森に抱かれた玉置神社の社殿が現れます。

DSC_0350 その本殿への階段を上り始めたとき、ふいに、境内を揺るがすようなかけ声が。 思わず階段を踏み外しそうになる気合いの籠もったかけ声は、本殿の中から周囲の深い森に向かって響き渡ります。

 そのかけ声に続いて聞こえてきたのは、迫力のある祝詞でした。祝詞といえば、神前結婚式や御祓いの際に、 神主が御幣を振って謳うように唱えるのが普通ですが、ここでは、同じ文言を腹の底から吐き出すように、声を限りに振り絞って唱えています。

 それは、周囲を埋め尽くす濃密な果無の自然に向かって、その巨大さに怯むことなく、自らの存在を遍く響かせ、 圧倒的な自然を言祝いでいるかのようです。果無の神々の山に響き渡る祝詞に聞き惚れて、しばらく足が止まってしまいました。

 境内を一回りして、社殿の裏手に回ると、そこには、樹齢3000年と伝えられる巨大な御神木があります。 その胴回りの太さと高さに見とれていると、先ほど本殿で祝詞を唱えていた神主がこの木の袂にやってきて、そこに正座すると、 今度は御神木に向かって、祝詞を唱え始めました。

DSC_0375 御神木と一対一で向き合い、その大きさに圧倒されることなく、大迫力でありながらも、 その太い幹に染みこんでいくような朗々たる祝詞。それを聴いているうちに、自然に涙が溢れ、止まらなくなってしまいました。

 それは、神社という「器」ができる以前、太古の人たちが自然と向かい合って、それを崇め讃え、 そして自分たちもその一部であるとはっきりと自覚して、自然から富を収奪するのではなく、 共に生かし合っていた頃の姿をそのままそこに映しだしているかのようでした。

 この玉置神社がある玉置山は、吉野から熊野へと紀伊半島を縦断する「奥駆け」の修行のクライマックスに当たります。ここで、 修験行者は、熊野のもっとも濃密な自然に取り巻かれ、それと一体となった自分を意識して、修行の本当の目的を悟るのです。

DSC_0385  この祝詞の光景に出くわして、ぼくは、近いうちに再び熊野を訪れようと心に誓いました。 熊野の自然が、ぼくたちに、もっと奥深く、懐に入ってこいと、誘っているように感じられたのです。

 

 

 

nakahechi

tamaki

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

0030010000152  読み物としても充実した内容の「にっぽんの旅」 シリーズ

0040050000102まっぷるマガジン『南紀 伊勢志摩』

0040050000142 まっぷるマガジン『和歌山 熊野古道』

 0010160000562 山と高原地図『大峰山脈』…奥駆けルートの詳細

0010160000532 山と高原地図『大台ヶ原 高見・倶留尊山』… 紀伊半島を象徴する幻想風景の山

0100030000112 まっぷるマガジ『安くて良い宿 関西』

0010090000122 ツーリングマップルR『関西』… 大判のツーリングマップルはドライブマップに最適

 

<<< 世界遺産・熊野古道を巡る Vol.4 --那智大社と熊野本宮--

2007年6月 1日 (金)

記事タイトル

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.4 --那智大社と熊野本宮--

topmap

 

■捨身修行が行われた那智の滝■

DSC_0230  熊野には主要な神社が三つあり、それを熊野三山と呼称します。      三山の中心ともいえる本宮大社、前回紹介した速玉大社、そして那智大社。

 次に向かったのは、那智大社。ここは滝をご神体とする神社で、まさに自然信仰をそのまま残しています。

 山道を登り詰めていくと、山を埋め尽くす濃密な緑の中に、一筋の白い線が見えます。近づいていくと、 それは信じられないほどのスケールとなり、滝の下に立つと、そのスケールとともに優美な姿に言葉を失ってしまいます。

 緑一色の中に、熟練の画工が全身全霊を込めて一筆で描き下ろしたような、見事な筆筋の白。     かつて熊野の果無しの深山に分け入り、長い困難な旅の末にここにたどり着いた人たちは、この光景を前にして、「神」    がこの風景を描いたと思ったに違いありません。

DSC_0191  遠景でも、近景でも心を打つ「絵」を見せるこの滝は、      まさに自然の造形の妙であり、あまりにも完成されたその美しさには、やはり神の存在……      滝そのものが神の化身であると信じさせずにおかなかったでしょう。

 かつて、吉野から熊野に抜ける「奥駆け」と呼ばれる山岳修験者(山伏)たちの修行では、「捨身修行」 がこの滝で行われたと伝えられています。捨身、つまりこの滝の上から身を投げて、即身成仏を図るというものです。

 もっとも最近は、明治17年に実利上人が千日篭りの修行を満願成就した後、那智の滝に捨身入定したという記録が残されています。 その後は、捨身修行の禁止令が出て行われなくなりました。

 しかし、捨身といったあからさまなものではなく、命を掛けた修行が最近まで行われてもいました。

 1995年の夏、実利上人と同じように、一人の山岳修験者が熊野の山奥に篭り、孤独な断食行を行っていました。熊野の山は、 夏の初めはいつも厚い雲に閉ざされ、人を寄せつけない独特の霊気が山を覆って此岸と彼岸の境目に位置するような幽玄さをたたえています。 ところが、その夏は眩しい蒼天の元で果無く続く山襞が輪郭を際立たせ、まるで行者を胸襟を開いて受け入れたかのようでした。

DSC_0201  伊富喜秀明行者は、そんな熊野には珍しい乾いた夏の初めに山に入り、      秋を迎える60日後に満願成就を果たして下山する予定でした。

 ところが、満願までもうわずかという55日目、師は絶命入定してしまいます。

   伊富師は、    初めから入定するつもりで山に入ったのではありません。 60日間の満願成就の後には下界に降り、    再び俗世に身を置いて普通の暮らしに戻る予定でした。でも一方で、 自分の修行が命を掛けたものであることをよく理解し、もし    「その時」が訪れれば、それに従う覚悟もできていました。

 伊富師のもっとも尊敬する修行者は、ほかならぬこの実利上人でした。師が山篭した堂には 「実利行尊者」 の文字が掲げられ、伊富喜行者を見守っていたそうです。 自分が尊敬する実利上人と同じく熊野に入定した師の最期は至福だったのかもしれません。

 奈良、平安の昔から、現代まで、熊野にその身を捧げて仏となった人間は数知れません。捨身入定した者、 補陀洛舟に乗って大海原へ漕ぎ出していった者、あの空海が入定した高野山も、熊野に連なる土地です。

 この世とあの世の境界に位置する、そんな熊野の雰囲気が、 人の彼岸への憧憬をどうしようもなく掻き立ててしまうのでしょうか? 必死で救われたいと願って遍路をする四国に対して、人間であること、 肉体という制約を超越したいと願い、潔く実践してしまう熊野……同じ「巡礼」でも、対極にあるように思えます。

DSC_0224
**那智の滝を見下ろす高台に位置する「那智大社」。隣の「青岸渡寺」       と一対を成している**

DSC_0217 DSC_0222
**境内の片隅にあるタブノキの巨木。中が洞になったこの巨木の胎内を通り抜けることで、       生まれ変わりを象徴する。この胎内巡りも熊野古道のルートになっている**

 

■熊野本宮■

DSC_0255   那智大社からいったん新宮に戻り、熊野川沿いのR168を北上。      蕩々とした清流の熊野川は、筏下りやカヌーツーリングが盛んですが、今の時期は水量が少なく、      広々とした白い河原のほうが目につきます。

 和歌山市でトレッキングやシャワークライミング、カヌー、    シーカヤックのガイドを主とするアウトフィッターを立ち上げた友人がちょうどこの川を下っているところなのですが、    本当は熊野本宮のあたりからエントリーしたかったのに、艇が底をついてしまうので、少し下ったところからエントリーしたとのこと。    

 和歌山から「中辺路」の熊野古道メインルートを辿り、さらに本宮から新宮までをカヌーで下る、 なかなか魅力的なコースです。

DSC_0258  さて、R168は北上するにつれ、なお一層山深くなり、      果無山脈の中心に向かっていることを実感させます。その最奥部ともいえる場所に、熊野本宮が鎮座しています。

 今では、サッカー日本代表の守護神としてポピュラーな八咫烏が出迎える参道を登っていくと、 落ち着いた趣の社殿が現れます。熊野三山の他の二社が竜宮城を思わせるような鮮やかな朱が印象的なのに対し、 こちらはモノトーンの落ち着いた雰囲気で好対照を成しています。

 じつはこの社殿は明治22年に十津川から本宮を総ナメにした大洪水までは熊野川の中州にありました。今では、 大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中州の旧地には大鳥居と社殿の跡が残るだけとなっています。

 現在の社殿は、参道のすぐ横を熊野古道が走ることでもわかるように、    かつての熊野古道上に新たに創建されたものです。

DSC_0259   明治の洪水では、      上流の十津川村では村の半数以上の世帯が田畑やいえる場所押し流され、住むところを無くして、北海道へ移住しました。      今の新十津川村が、その移住先で、洪水から北海道移住後の苦難は『新十津川物語』という長編小説にまとめられています。

 さて、この日は熊野本宮に詣で、その後は河原に湯が噴き出していることで有名な川湯温泉のキャンプ場に泊まる予定だったのですが、 だいぶ陽も傾いてからキャンプ場まで言ってみると、もうそこはテントが軒を接する「難民キャンプ」状態。さすがに、 ゴールデンウィークの最中で、人気のキャンプ場となると、避けられないものなのでしょう。

 さすがに、この人混みの中に分け入っていく気力は起きず、この日は熊野川中流の道の駅まで引き返して、 その片隅で車中泊ということにしました。

DSC_0244
**満員御礼の川湯キャンプ場。これでは落ち着かない**

DSC_0283 DSC_0286
**川湯の隣にある湯の峰温泉は小栗判官の物語でも有名。       源泉に卵や芋などを浸して茹でて食べることができる。我々もさっそく、キャンプ用に持っていた食材を使って、       源泉で昼食を調理**

 

honguu

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

 

0030010000152 読み物としても充実した内容の「にっぽんの旅」      シリーズ

0040050000102まっぷるマガジン『南紀 伊勢志摩』

0040050000142 まっぷるマガジン『和歌山 熊野古道』

 0010160000562 山と高原地図『大峰山脈』…奥駆けルートの詳細

0010160000532 山と高原地図『大台ヶ原 高見・倶留尊山』…      紀伊半島を象徴する幻想風景の山

0100030000112 まっぷるマガジ『安くて良い宿 関西』

0010090000122 ツーリングマップルR『関西』…      大判のツーリングマップルはドライブマップに最適

 

<<< Vol.3 --自然信仰が色濃く残る熊野灘沿いの聖地--

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.5 --中辺路と玉置山-- >>>

2007年5月25日 (金)

記事タイトル

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.3 --自然信仰が色濃く残る熊野灘沿いの聖地--

topmap

 

■鬼ヶ城と花の窟■

DSC_0084  大吹峠へのピストンで熊野詣の雰囲気を少し味わった後、鬼ヶ城へ。 ここは紀伊山地が海と出会い、打ち寄せる波とぶつかって、まさに鬼が棲むかのような凄まじい景観を見せる場所です。

 波によって深く抉られた巨大な岩屋は、かつて勇名を馳せた熊野水軍が拠点の一つとしたと伝えられ、腹の底を揺さぶるような波音が、 彼らの荒々しさを連想させます。

 この鬼ヶ城に象徴されるように、紀州・熊野の自然は果無の山がいきなり海と対峙して、 あたかも山と海が空間を奪い合ってぶつかっているような、生々しい息吹に満ちています。そんな自然のダイナミズムが、 卑小な人間の介入を許さず、そこに立った人間に、「神」のような大きな存在を連想させるのでしょう。

DSC_0098  波に浸食された岩の一つ一つがまた、猛り狂う獅子や鬼の形相を思わせ、 激しい波音と相まって、畏怖心を掻き立てます。

 しかし、この日の熊野灘の海の色は恐ろしいほど綺麗でした。それは沖縄や海外の南国リゾートにも負けないほどの青さで、 今まで何度もこの地を訪ねていますが、最高の海の色でした。同じ場所でも訪ねる毎に違った表情を見せてくれる。やはり、 それが自然の醍醐味といえるでしょうね。

 鬼ヶ城からはR42を少し南下し、花の窟へ。ここは、 大和の国生みをしたと神話で伝えられるイザナミ命の墓であると伝えられています。

 参道の入口に車を駐めて、鳥居を潜ると、両側から迫る緑がトンネルのようで、涼しい風が吹き抜けて行きます。 まだ5月に入ったばかりだというのに蝉が鳴いて、迎えてくれました。

DSC_0110  緑のトンネルを抜けたその先には、真っ白い巨岩が立ちはだかり、 そこだけスポットライトを浴びたように南天の日が射す広場が、宙に浮いた舞台のように感じられます。 鬼ヶ城の荒々しい海とぶつかり合った岩とはことなり、のっぺりとして優しい曲線を描くこの花の窟は、 たしかに女神をイメージさせます。

 毎年、2月2日と10月2日には、「お綱掛け」と呼ばれる神事が奉納されます。花の窟を見上げるとその岩のてっぺんに綱が渡され、 梯子のように編まれた綱がそこからぶら下がって風に揺れています。

 黄泉の国へ行ったイザナミ命を追って、その夫イザナギ命が冥界へ降りていくという故事に因んだこの綱によって、 イザナミ命との繋がりが未だに保たれていることを象徴しているのでしょうか?

 空中で揺れる綱を見ていると、それが岩から伝えられたメッセージを描いているようにも思えてきます。ちなみに、「お綱掛け」 神事では、花の窟から見渡すことのできる七里御浜で巫女の踊りが奉納されて、その後、浜から引かれた綱が渡されます。

DSC_0114 熊野は、補陀洛渡海として、海の向こうにある彼岸に渡る場所とされましたが、あるいは、 この綱は海の彼方の彼岸と此岸を結びつけて、彼岸にいるイザナミ命の言葉を伝える象徴となっているのかもしれません。

  なんともいえない、柔らかい優しい雰囲気に浸って、ぼんやり止まっていると、 参道を一人の初老の男性が足早にやってきました。ジャージ姿のいかにも地元の人といった感じのその人は、ぼくたちにはまるで目もくれずに、 真っ直ぐ大岩に設えられた祭壇の前まで進むと、いきなり、そこに膝をついて座り、掌を上向きにして肘を地面に付け、さらに額を地面につけて、 祈りを捧げ始めました。

 ぼくはふと、この場所の雰囲気と彼の祈りの作法を見て、未だに古い自然信仰の形が残る、沖縄の聖地「御嶽(ウタキ)」で、 ノロと呼ばれる女性シャーマンが捧げる祈りの姿を思い出しました。

DSC_0118 DSC_0120
**新宮へ向かう途中で見つけた絞りたてミカンジュースの販売所で一服。甘すぎず、酸っぱすぎず、 喉の渇きを癒すには最高の飲み物だった**

 

■熊野速玉大社と神倉神社■

DSC_0125  先に、波田須にある徐福の宮を紹介しましたが、熊野はこの世の果てに位置して、 海の向こうにある補陀洛浄土へと僧侶たちが漕ぎだしていった歴史が、和歌山県新宮の速玉大社、 勝浦の補陀洛山寺に残っされています。

 熊野三山の一つである速玉大社は、朱が鮮やかで目に眩しいほど明るく、どこか竜宮城を連想させます。

 勝浦にある補陀洛山寺には、海の向こうに補陀洛浄土があると信じ、渡海舟と呼ばれる小舟に乗って、帰らぬ旅に漕ぎだしていきました。 渡海舟には小さな屋形が設えられていて、僧がその屋形に入ると、外側から戸が立てられ、内からは開かないように封印されてしまいます。

 じつは、僧たちは海の向こうに補陀洛浄土があると信じていたというわけではなく、 修行の最終形態ともいえる捨身修行を渡海という行為に置き換えていたとも言われます。那智の滝では、 文字通り吉野から熊野まで紀伊半島を縦断する「奥駆け」の修行の仕上げに捨身修行が行われたという記録が残っています。

DSC_0137  速玉大社から南西に2kmほど行った山の上には、神倉神社があります。

 ここは速玉大社の発祥地であるとも伝えられています。文字通り胸突き八丁の急な石段を登っていくと、 巨岩を背後に戴いた社があります。ここからは新宮の町並みとその向こうに広がる青い熊野灘が一望に見渡せます。

 社の背後にある岩は「ゴトビキ岩」と呼ばれています。ゴトビキとはこの地方の言葉でカエルのこと。たしかに、 その形は大きなカエルのようにも見えます。

 花の窟が社を持たず、直接岩を拝むような形になっていたのと同じく、ここではゴトビキ岩そのものがご神体として、 社は拝所の役割を果たしているにすぎません。岩がご神体とされることが多いのは、盤座(イワクラ)といって、 そこに神が降臨したと伝えられるためで、とくにそのように神聖視されるのは花崗岩であることが多く、近年の研究では、 花崗岩に含まれる石英が時計の水晶発振のように、外側から岩に掛かる風などの力を一定の周波数にして還元して、 それが心を落ち着かせるためではないかといった説があげられています。

DSC_0142  また、花崗岩に含まれる放射性物質や磁力を帯びた鉱物成分が発する電磁波の影響で、 人の脳が幻覚を見るためではないかといった説もあります。

 まあ、科学的な説明はさておき、見晴らしの良い丘の上に、街を見下ろすように鎮座する大岩に対峙すると、 ゴトビキ岩自体が意志を持って、新宮の町を見守っているように思えてきます。

 ゴトビキ岩でお参りを済ませ、参道を戻っていくと、その参道を掃き清めていた作業着姿の初老の男性が声をかけてきました。

「岩屋には、お参りされましたか?」

「岩屋ですか?」

DSC_0163 「はい。ゴトビキさんの後にある岩屋が、ほんまに神様が降りられた場所なんです。 せっかく見えられたんですから、ご案内します」

と、彼は、箒を傍らに置いて、ぼくたちをゴトビキ岩の背後にある岩屋に案内してくれた。そこには、 花の窟で祭壇の周囲に置かれていたのと同じ白い丸石が敷き詰められていた。

「これから、私が、正式なお参りの仕方を教えてあげますね」

と言うと、丸石を二つ手に取り、それを正座した膝の下に置き、掌を上に向けて、肘をつき……その作法は、花の窟で出会った、 あの男性とまったく同じものだった。

 

DSC_0184 DSC_0169
**ゴトビキ岩を後にして、今日のキャンプ地「潮岬」に向かう途中の橋杭岩。潮の引いた磯は、 小魚やイソギンチャク、ヤドカリなどの小生物の天国だった**

DSC_0165 
**潮岬の突端にある「望楼の芝キャンプ場」。 太平洋を望む広大な芝生が無料のキャンプサイトとして開放されている**

vol3

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

0030010000152  読み物としても充実した内容の「にっぽんの旅」 シリーズ

0040050000102まっぷるマガジン『南紀 伊勢志摩』

0040050000142 まっぷるマガジン『和歌山 熊野古道』

 0010160000562 山と高原地図『大峰山脈』…奥駆けルートの詳細

0010160000532 山と高原地図『大台ヶ原 高見・倶留尊山』… 紀伊半島を象徴する幻想風景の山

0100030000112 まっぷるマガジ『安くて良い宿 関西』

0010090000122 ツーリングマップルR『関西』… 大判のツーリングマップルはドライブマップに最適

 

<<< Vol.2 --波田須・大吹峠--    Vol.4 --那智大社と熊野本宮-->>>

2007年5月23日 (水)

記事タイトル

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.2 --波田須・大吹峠--

topmap

 

■鳥羽水族館から二見浦・夫婦岩■

RIMG2284  伊勢神宮参拝の翌日はあいにくの雨模様。予定では、 一気に南下してキャンプするつもりでしたが、今回の旅は時間に余裕もあることだし、雨の中をあちこち巡るのも難儀だしと、 鳥羽水族館を覗いてみることに。

 これが一人旅なら、わざわざこうしたアミューズメント施設を覗くことはしませんが、今回は同行の女性陣が結構盛り上がって、 数十年ぶりの水族館をけっこう楽しむことができました。

 子供の頃は、魚や海獣についての科学的な知識などは何もなくても、その形や動きや表情にたくさんのものを感じて、 それだけで楽しめたものです。大人になるにつれて、余計な知識がついて、こんな場所に来ても、 知識として魚の名前や生態などを覚えようとしてしまって、説明書きなどばかり熱心に読んで、せっかく目の前に本物がいるのに、 印象が残らなかったりしてしまいます。

RIMG2310  今回は、子供心をもった女性陣と一緒に巡って、 彼女たちが傍らで無邪気に水槽の中の魚や海獣たちと向き合って楽しんでいるのに影響されて、 動物たちの表情やら仕草やらに目を向けて、それが逆に強く印象に残ったおかげで、名前や生態もだいぶ覚えました。

 ゴールデンウィークの家族サービスに訪れて、だいぶくたびれているお父さんたちもかなり見かけましたが、 せっかく子供たちと一緒に来たのなら、自分も童心に返って楽しまないともったいないですね。

 雨をやり過ごすつもりで入った水族館に結局半日以上いて、表に出ると雨もだいぶ小降りになっていました。 日本有数の多雨地帯である紀伊半島は、その雨が生み出した深い森こそが「神々の住む場所」 と形容される独特の景観を生み出しているわけですが、さすがに、篠突く雨の中の散策では、景色を楽しむ余裕などありません。

 でも、小降りの雨の中で山々を見渡せば、重なり合った山の間に取り残された雲が漂い、それが新緑を洗って、 まさに神々しい心に染み入る景色を見せてくれます。このくらいの天気が、もっとも紀伊半島らしさを感じさせてくれます。

P1010007  この日は、キャンプを中止した代わりに、紀北町にある「キャンプinn海山」 にロッジを予約しました。鳥羽から紀北町へ向かう途中、二見浦に寄り道。ここは、夏至の日に二つの岩の間から朝日が昇る「夫婦岩」 が有名です。

 2002年の夏至の日、ぼくは、この夫婦岩で登る朝日を拝み、その朝日を追って京都を抜け、 宮津にある元伊勢でその夕陽を拝みました。

 記紀神話の中に出てくる「国譲り」の話に登場する神々をそのまま風景の中のオブジェクトに移し替えて配置し、 さらに200km以上も離れた伊勢と元伊勢という聖地を線で結んで、 それで近畿に巨大な五芒星を描き出した古代人たちの想像力に感動したものでした(詳細は、「夏至の結界」、「近畿の五芒星を巡る」 をご覧ください)。

 高校時代に登山を始め、山に通い続けるうちに、山岳信仰に興味を持って、 さらに古代の自然信仰と神話の関係などをフィールドワークとして追うようになってから、様々な「聖地」と呼ばれる場所に足を運び、 心に残る光景と出会いました。

 そんなぼくの活動にテレビが付き合い、昨年から一年間に渡っての活動を記録した番組「太陽と古代へのロマン- レイラインハンティング-」が5月28日(月)、NBS長野放送の月曜スペシャルでオンエアされます。

 古代の太陽信仰に興味を一気に引き寄せられたのは、この二見浦夫婦岩を起点とする夏至の太陽を追いかける旅がきっかけでした。 それが発端となって、テレビ番組が出来上がるまでになるとは、当時は想像もしませんでした。

 自然を感じることの大切さ、自然を肌身で感じるからこそ、自分がその一部であり、自然を大切にしなければいけない…… そんなことを古代の人たちから教えられたような気がしています。

 それをはっきり自覚させてくれたのが、この紀伊半島、熊野の自然であったのです。そんな意味でも、ぼくにとって、この神々の土地は、 その名の通りの場所なのです。

 

■大台ヶ原山麓の快適なキャンプサイト■

DSC_0043   二見浦からは、いったん伊勢市内に戻り、伊勢自動車道を大宮大台ICまで。 さらにR42を南下。

 このあたりは紀伊山地の中でももっとも多雨で、もっとも山深い大台ヶ原の山麓にあたり、別名「果無山脈」 と形容される紀伊山地を実感できる。

 「キャンプinn海山」は、 その大台ヶ原から流れ出る沢沿いに、広々したキャンプサイトやロッジが点在して、周囲は果無の山に囲まれて、とても落ち着く場所です。

 今回は、そのうちの5人用ロッジを借りて宿泊。途中のスーパーで買い込んだ食材を調理して、のんびりした夕食を楽しみました。

DSC_0044   翌朝は、ロッジのテラスに備え付けのキャンプテーブルとチェアを設えて朝食。 時折、霧が掛かる山々を眺め、涼しげな沢音と鳥の声をBGMにした爽やかな朝を堪能しました。

 ここは、元々紀北町が整備した施設でしたが、NPOに移管。キャンプサイトもロッジも一区画がゆったりとしていて、 隣が気になったりもせず場内は整備が行き届き、ゴミの分別回収体勢やガイダンスもしっかりしています。

 ロッジは管理棟から200mあまり離れていますが、各ロッジに一台自転車が置かれていて、管理棟への行き来が楽になっています。 こうした心遣いは、とても気持ちのいいものです。

 

■波田須、大吹峠へ■

DSC_0058   キャンプinn海山を出発して、まずは波田須(はだす)へ。ここは、 秦の始皇帝の命を受け、東の国にあるという不老長寿の仙薬を求めてやってきた徐福が上陸した場所(あるいは、 ここからさらに東へと旅立った場所)として伝説が伝えています。波田須は、古く「秦住」と表記されていたという説もあります。

 棚田が続く小さな集落の外れに、どこからでも見える大きな楠があり、その下に「徐福の宮」があります。この波田須の人たちから 「徐福さん」と呼ばれて親しまれているこの宮は、そこだけ空気がひんやりとしていて透明感があり、 まるで森の精気がそこに集約されているような場所です。

 ここから真っ青な海が続く熊野灘を見下ろすと、この紀州熊野が彼岸と此岸の境にあって、彼岸=補陀洛を夢見て、 修行僧を中心とした多くの人たちがこの海へ漕ぎだしていった気持ちがわかるような気がします。

DSC_0071   波田須では、シンセサイザー奏者として知られる矢吹紫帆さんが営まれている 「天女座」を訪ねてみたいと思っていたのですが、残念ながら休館日。ここはまたの機会に。

 さて、波田須からはいったんR311に戻り、少し南に行くと、「熊野古道・大吹峠登山口」の看板が現れます。

 伊勢から熊野本宮へと向かう「伊勢路」の一角、ちょうど全行程の中間点にあたるのが大吹峠です。 国道沿いの駐車スペースに車を置いて、道標に従って山道へ。

  整然とした石畳の道は、熊野古道を辿った古人たちの足跡を感じさせてくれます。朝からぐんぐん気温が上がって、 昼前には真夏日となって、車はエアコンを掛けなければ辛いくらいでしたが、樹林の中の道は空気がひんやりとして、 気持ちよく歩いていくことができます。ときおり、風が樹を揺らし、葉擦れの音がまた涼しく森に木霊しています。

DSC_0073DSC_0080  例年なら混雑を想像して出かける気力が出ないゴールデンウィークですが、こうして、 出かけてみると、一年中でいちばん爽快な季節だということがよくわかります。

  熊野古道は、見所の多い中辺路がいちばんの人気で、この伊勢路のほうはあまり人とも出会わず、 のんびりと散策できるのもいいところです。

 歩き始めてから30分あまり、心地良い汗をかいたところで大吹峠に到着。峠の西側は見事な竹林が続き、そこに踊る木漏れ陽と、 サワサワという竹の葉の擦れる音が、幻想的です。

 本当なら、この峠を越えて西側へと下って行きたいところですが、車での移動のためピストンコース。今回は、 熊野を訪ねるのが初めてというメンバーと一緒の旅なので、とりあえず主要なポイントを巡り、熊野古道歩きはほんの「さわり」 程度の予定としました。でも、やはりこうして森の精気を受けてトレッキングしていると、 本格的に山道を辿って旅がしたいという思いに囚われます。本格的な古道歩きは、次回ということで。

miyama

jofuku

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

0030010000152  読み物としても充実した内容の「にっぽんの旅」 シリーズ

0040050000102まっぷるマガジン『南紀 伊勢志摩』

0040050000142 まっぷるマガジン『和歌山 熊野古道』

 0010160000562 山と高原地図『大峰山脈』…奥駆けルートの詳細

0010160000532 山と高原地図『大台ヶ原 高見・倶留尊山』… 紀伊半島を象徴する幻想風景の山

0100030000112 まっぷるマガジ『安くて良い宿 関西』

0010090000122 ツーリングマップルR『関西』… 大判のツーリングマップルはドライブマップに最適

 

 ●参考リンク●

鳥羽水族館

キャンプinn海山

 

<<<<<Vol.1 --東の玄関口・伊勢神宮へ--

2007年5月21日 (月)

記事タイトル

世界遺産・熊野古道を巡る Vol.1 --東の玄関口・伊勢神宮へ--

topmap

 

思い出の土地・ 『熊野』■

DSC_0001 前回熊野を訪れたのは、      4年前でした。大学時代の親友が熊野の出身で、学生時代に初めて訪れてから、       ぼくは何度となく熊野に通っています。

   前回は、春にその友人のお父さんが亡くなったことを知らずにいて、       その新盆の日にふらりと訪れて、友人をびっくりさせたのでした。もちろん、ぼくも不思議な偶然に驚くと同時に、「これは、       彼の親父さんに呼ばれたのだな」と納得してしまいました。18歳のときに父親を失ったぼくを、彼の親父さんはとても気に掛けてくれて、       ぼくにとっても父親のような存在だったのです

 その年、熊野は翌年の世界遺産発表を前にして、緊張したムードに包まれていました。       アプローチが大変で、東京から行くとなるとたどり着くまでに二日はかかるような僻遠の土地であり、観光資源はあっても、       なかなか多くの観光客が集まるというわけにはいきません。       

 それが、世界遺産に指定されれば、一気にメジャーとなって、       国内だけではなく海外からも観光客が訪れるようになってくれるだろうと、地元では「悲願」ともいえる期待を抱いていたのです。       

 20047月、その悲願は叶えられました。そのとき、熊野の友人は、       真っ先にぼくに電話で快挙を知らせてくれました

DSC_0073  今回の指定は、正式には      「紀伊山地の霊場と参詣道」とされ、吉野、高野山、 熊野の主要なポイントと熊野へ詣でる「熊野古道」が指定されました。      ちなみに、現在、 世界中で750件あまり指定されている世界遺産のうち、巡礼路として指定されたのは、      フランスとスペインにまたがる「サンチャゴ・ デ・コンポステーラ」と「熊野古道」の二カ所だけです。

 今回は、世界遺産に指定されてから初めての熊野訪問で、       じつは少し不安がありました僻遠の地だからこそ、昔ながらの風景と自然が残り、人も素朴だったのに、       今では観光客が押し寄せて、俗化されてしまったのではなかろうかと……。

 でも、そは杞憂でした

 

 

■熊野古道、東の入口伊勢神宮へ■

DSC_0024 熊野古道は、中世に天皇が熊野三山に行幸したことで知られていますが、      そのルートは伊勢神宮を起点に熊野本宮へむかう「伊勢路」、同じく高野山を起点にする「小辺路」、      和歌山を起点に東へ紀伊山地を突っ切る形で進む「中辺路」、和歌山から海岸沿いを新宮まで行き、そこから本宮を目指す「大辺路」      の四つがあります。また、吉野から紀伊山地を縦断して本宮に達する修験道の道「奥駆道」も広義には熊野古道に含まれます。     

 関東方面からアプローチしやすいのは「伊勢路」。29日の深夜に東京を車で発って、中央道、 東海北陸道、伊勢道と乗り継いで、30日の午前中には伊勢内宮に到着しました。

 伊勢は高速が通ってアプローチが簡単なので、     さすがにICを降りたところから大混雑。でも、 さすがに大観光地として手慣れたもので、    市が五十鈴川の河川敷を駐車場として開放していて、 さほど待たされずに歩き始めることができました。

 内宮の傍らを流れる五十鈴川に沿って、川面を渡る初夏の風に吹かれ、 素晴らしい新緑に目を潤されながら歩いていると、今のこの季節が旅をするにはもっともいい季節であることを実感します。

 例年なら、ゴールデンウィークの大混雑を敬遠して、家でゴロゴロしているところですが、 時間をやり繰りして遠出してきた甲斐がありました。

DSC_0020 内宮へと向かう参道は、「おかげ横町」と呼ばれ、土産物屋や茶屋、      食堂が道の両側に建ち並んでいます。ここは、さすがに芋を洗うような人波。でも、いかにも伊勢詣といった雰囲気で、      これはこれで許せてしまいます。

 伊勢は天皇家の氏神を祀るところとして知られていますが、 天皇が伊勢に参拝するようになったのは明治以降。 それまでは庶民の憧れの場所で、とくに、江戸時代には伊勢参りがブームとなって、 全国から伊勢講の参拝客が押し寄せました。 おかげ横町の賑わいは、そんな往事の様子を偲ばせます。

 さて、このおかげ横町にはいろいろと名物がありますが、なかでも「赤福餅」 は有名です。 小さな茶屋から出発したこの店は、今では全国的にも名を知られた老舗となっています。

 冬場、初詣の頃には通常の赤福餅の他に、温かいぜんざいが用意され、 初夏の今は宇治金時風に仕上げた赤福氷が用意されます。ちょうど夏日となって、日差しも強い今日は大人気。奧の食券売り場で札をもらい、 縁台に腰掛けて待つこと15分あまり。大盛りの赤福氷が届けられました。抹茶のシロップがかかった氷のしたには、たっぷりの漉し餡。 甘さはあまりくどくなく、スイーツ好きな女性はもちろん、ふだんあまり甘いものを食べない人でも、ペロリと平らげてしまえそうです。

 昔は長い道のりをここまでやってきて、こうした縁台に腰掛けて、ほっと一息つきながら、 甘い餅と渋いお茶で疲れを癒したのでしょう。

DSC_0014 DSC_0012 DSC_0010 DSC_0011
**ボリュームたっぷりの「赤福氷」と、吉野葛を使った目にも涼しい「水饅頭」 **

 

■伊勢神宮の杜■

 ise_naikuu02
**午後の日差しを受けて金色に輝く伊勢内宮。 太陽の神である天照大神を祀る社に相応しい神々しい光景だ**

 おかげ横町を通り抜け、五十鈴川に掛かる宇治橋を渡ると、雰囲気は一変します。 幽玄で神聖な雰囲気の神宮の杜。木漏れ日の下は涼しく、踏みしめる玉砂利の音が静かに響きます。途中、五十鈴川の河原に降りて、 ここで手を清め、本殿へ。

 いつ来ても、ここは心を引き締められるような場所です。戦前、 神道は国家神道として政治的に統制され、天皇制と無理矢理結びつけられてしまいました。その後遺症で、神道を毛嫌いする人たちもいます。

 でも、神道の本当の姿は、自然を敬うものであり、「八百万の神」というように、 この世に存在する全てのものに神性を見いだして敬っていこうというものです。濃密な自然が息づいて、 それが誰でも敬虔な気持ちにさせる熊野の山々。そのとば口にあって、背後に広がる果てのない山並みを想像させる伊勢は、 まさに熊野の玄関口として、ぼくたちの心を引き締めてくれます。

 江戸期の伊勢詣では、ほとんどの人たちは伊勢参りを済ませると「精進落とし」といって、 伊勢の周辺にあった花街で遊んで、それぞれの里へと戻っていきました。でも、少数ながら、この伊勢からさらに、 より険しくなる道を辿って熊野を目指した人たちもいました。

 まず、伊勢に詣で、ここからさらに熊野を目指した人たちの思いを想像しながら、 この先の道を辿ってみよう。さらに、この先の旅が天気に恵まれますようにと、天照大神に祈願して、伊勢を後にしました。

 DSCF0361 DSCF0362
**左:五十鈴川に掛かる宇治橋。この橋を渡ると、伊勢の神域に入る。ちなみに、 冬至の日には、この鳥居の真ん中から太陽が昇ってくる。右:伊勢内宮の本殿へ。この先は撮影禁止**

DSC_0030 DSC_0032
**今回は内宮付属の茶室が特別公開されていた。参道からほんの少し逸れただけで、 信じられないほど静謐な空間となる**

 

ise

 

●参考資料●
**写真をクリックすると詳細情報が見られます**

 

0030010000152 読み物としても充実した内容の「にっぽんの旅」      シリーズ

0040050000102まっぷるマガジン『南紀 伊勢志摩』

0040050000142 まっぷるマガジン『和歌山 熊野古道』

 0010160000562 山と高原地図『大峰山脈』…奥駆けルートの詳細

0010160000532 山と高原地図『大台ヶ原 高見・倶留尊山』…      紀伊半島を象徴する幻想風景の山

0100030000112 まっぷるマガジ『安くて良い宿 関西』

0010090000122 ツーリングマップルR『関西』…      大判のツーリングマップルはドライブマップに最適

 

●参考リンク●

・ レストラン麦酒蔵(ビアグラ)
 伊勢の甘味として赤福と並んで有名な「二軒茶屋餅」が運営する地ビールレストラン。 大正ロマンを感じさせる蔵の中で、ゆっくり食事が楽しめる。値段もリーズナブルなのがうれしい。

神宮会館
 内宮の目の前にある宿泊研修施設で、一般の人の宿泊も受け付けている。 職員が早朝参拝の案内もしてくれるので、ここに泊まって早起きして内宮をお参りするのがお勧め。

 

Vol.2--波田須・大吹峠--へ>>>>>>

2007年5月10日 (木)

記事タイトル

石楠花満開の室生寺

DSC_0033

 多武峰の次に、「女人高野」で有名な室生寺を訪ねてみました。

 真言宗の総本山である高野山が女人禁制であった頃も、室生寺は真言宗でも女性の立ち入りを拒まず、 とくに女性の参拝者が多かったことから「女人高野」と呼ばれるようになりました。

 今では、だいぶ開けた場所になっていて、GW中だったこともあり、たくさんの観光客が訪れていましたが、奥の院は、 本殿背後の山の高みにあって、きつい石段を上り詰めなければたどり着きません。

 かつてはこの深山で、多くの密教行者や修験者が修行し、朝廷は仏とともに竜神を祀る寺として、 勅使を度々派遣して雨乞いの儀式を行わせたと伝えられていますが、奥の院への険しい径は、そんな歴史を思い起こさせてくれます。

 ちょうど今は境内の石楠花が満開で、彩り豊かな表情を見せてくれています。

DSC_0090 DSC_0045

DSC_0043DSC_0037
**今、境内は石楠花の花が満開**

DSC_0068 DSC_0064
**奥の院へは、胸突き八丁の石段を延々と登らなければならない**

DSC_0044

DSC_0105 DSC_0107
**昼食には、吉野名物の「柿の葉ずし」をいただく**

今回は 、熊野巡りを速報でお伝えしています。詳細は、後日まとめてお伝えする予定です。

2007年5月 9日 (水)

記事タイトル

新緑眩しい「多武峰(とうのみね)」

 DSC_0001
**奈良・多武峰は、いま眩しい新緑に包まれている。フィトンチッド溢れ、 森林浴に最高!!**

 山深い熊野路を巡った後、そのまま十津川を抜けて紀伊半島を北上。五條市に出ました。

 ここで一泊の後、翌日は吉野を通り過ぎて、多武峰へ。

 奈良の南東に位置する多武峰は、紅葉の美しさで有名ですが、今は眩しい新緑に包まれています。ここにある談山神社の十三重の塔は、 奈良の観光案内では良く登場する定番の朱塗りが美しい塔で、今回は新緑と朱のコントラストが、さぞ綺麗だろうと期待して立ち寄ったのですが、 秋まで改修中とのことで、ネットに覆われ、残念ながら全貌を拝むことはできませんでした。

 多武峰周辺は落ち着いたハイキングコースともなっています。秋には、時間をかけて巡ってみたいと思っています。

DSC_0006 DSC_0017
**談山神社では、奉納の舞に遭遇。巫女の振る鈴が、初夏の風に乗って、 神秘的な音を山に響かせていた**

DSC_0009

DSC_0027
**談山神社名物の焼き饅頭。よもぎ、古代米、トチそれぞれの皮に、餡は小豆とゴマ。 渋いお茶が飲みたくなる**

今回は、熊野巡りを速報でお伝えしています。詳細は、後日まとめてお伝えする予定です。