我が愛車、『スズキDR-Z400S』
[ 00.全国, 99.海外, j.バイクインプレッション, 著者:賀曽利隆]
「南米・アンデス縦断」1万2500キロを走った我が愛車、スズキDR-Z400Sがまもなく日本に帰ってくる。アルゼンチンのブエノスアイレス港から船で大西洋を越え、アフリカのケープタウンからインド洋を越え、シンガポール経由で日本へ。来週の火曜日(4月2日)に横浜港の本牧埠頭で引き取れることになったのだ。2ヶ月あまりの長い船旅、ほんとうにお疲れさま。
このDRで初めて海外を走ったのは2002年のことだった。ぼくの長年の夢だった「シベリア横断」を一番の目的とした「ユーラシア横断」1万6000キロを走ったのだ。出発点はロシア極東の港町のウラジオストック。シベリアを横断し、欧亜を分けるウラル山脈の峠を越え、モスクワ、ワルシャワ、ベルリンを経由し、ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬をゴールにした。ロカ岬に立つ十字架の塔には「ここに地果て、海始まる」と、ポルトガルの有名な詩人、ルイス・デ・カモエンスの詩の一節が刻み込まれている。それが胸にしみた。
(左)富山県の伏木港からロシア船の「ルーシー号」でウラジオストックへ
(右)バイカル湖で
(左)ポルトガルの大西洋岸を南下
(右)ユーラシア大陸最西端のロカ岬に到着!
2004年には地中海からギニア湾へとサハラ砂漠を縦断した。チュニジアのチュニスを出発点にし、サハラ砂漠中央部のホガール山地を越え、ガーナのアクラまで6700キロを走った。長年、治安の悪化で外国人はほとんど通れなかったアルジェリアのホガールルートでの「サハラ縦断」。ぼく自身にとっては13度目の「サハラ縦断」になった。
(左)サハラ縦断路の道標
(右)サハラ砂漠中央部のホガール山地
2005年には東京から下関まで走り、関釜フェリーで韓国の釜山へ。バイクの持ち込みが出来るようになって間もない時期。釜山を出発点に北朝鮮との国境の「高城統一展望台」まで走り、そこでは朝鮮半島の名峰、金剛山を眺めることができた。「釜山→釜山」の「韓国往復縦断」は3000キロだった。
(左)「高城統一展望台」から北朝鮮を眺める
(右)「高城統一展望台」から金剛山を眺める
2006年には「シルクロード横断」の1万3000キロを走った。出発点は中国の天津。シルクロードの玄関口、西安から西へ。中国最西端の町、カシュガルからパミール高原のトルガルト峠を越えてキルギスに入り、カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタンと中央アジアの国々を走破。イランからトルコに入った。欧亜を分けるボスポラス海峡を見たときは胸が熱くなった。「シルクロード」、それはぼくの子供の頃からの憧れで、小さいころは「中央アジアの探検家」を夢みていたほど。その子供の頃の夢を40何年目で成し遂げたのが「シルクロード横断」だった。
(左)シルクロードを西へ。西安から蘭州に向かう
(右)タクラマカン砂漠縦断。大砂丘群が際限なくつづく
(左)天山山脈の雪山群。キルギスで
(右)ボスポラス海峡に到達。対岸がイスタンブール!
そして今回の「南米・アンデス縦断」1万2500キロへとつづく。パタゴニアを縦断し、マゼラン海峡を越えてフェゴ島に渡り、世界最南の町、南緯55度のウシュワイアまで行った。ウシュワイアからは大西洋側を北上。ゴールはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスだった。
(左)パタゴニアの分岐点
(右)マゼラン海峡に立つ。対岸はフェゴ島
ここまでのDRZ-400Sの全走行距離は7万2000キロだ。何としてもあと2万8000キロを走り、10万キロを達成させようと思っている。頼むぞ、DRよ!!












































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