森下紀行 その2
[ 03.関東・甲信越, a.風景, c.食べる, 著者:賀曽利隆]
森下の昭文社制作本部でひと仕事
森下の昭文社制作本部で若林さん、大久保さん、坂口さんと「300日3000湯」の単行本の打ち合わせ。桑原課長は出張中で電話をもらったが、すごく元気そうな声。課長、出張に出ると元気になるようだ。
(左)小名木川と隅田川の合流点から富士山の方向を眺める
(右)小名木川を中心とした江戸末期の古地図。中央の青線が小名木川
ひと仕事を終え、みなさんに別れを告げると、しばらくは昭文社前の小名木川を眺めた。この川は隅田川と中川を結ぶ全長5キロの運河。その歴史はきわめて古く、徳川家康が江戸に入るとすぐに開削し、天正18年(1590年)に完成した。昭文社前の右手には萬年橋がかかっているが、葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「深川萬年橋下」はここで描かれたもの。大きく弧を描いた萬年橋の橋下に見える富士山を描いている。つまりは昭文社前から描かれた絵ということになる。
『富嶽三十六景』は全部で46枚の絵からなっているが、そのうち「神奈川沖浪裏」(神奈川)と赤富士の「凱風快晴」(静岡)の2枚は圧倒的に有名だ。だが46枚のうち18枚が江戸で描かれた。エリアでいえば江戸の絵が一番、多い。その18枚を見ると、この「深川萬年橋下」の絵が一番いい(と思う)。力の込め方が違う。北斎は萬年橋周辺からの眺めがきっと好きだったのだ。北斎は72歳のときに世界的名画の『富嶽三十六景』を刊行したが、そのあと76歳のときに萬年橋の近辺に移り住み、80歳までの4年間を萬年橋ですごしている。つまり北斎は晩年の4年間、毎日、萬年橋を見ていたのだ。
そんな萬年橋からわずかに歩き、小名木川が隅田川に合流する地点まで行き、下流の富士山の方向を眺めた。残念ながら富士山は見えなかったが…。
さて、森下紀行の第2弾目の開始。清澄通りと新大橋通りが交差する森下の交差点まで行き、今回はそこから清澄通りを門前仲町に向かって歩く。右手にわずかに入ったところには「深川神明宮」。境内には「神明幼稚園」がある。末社の「和合稲荷神社」や「深川七福神」の「寿老神」もまつられている。ここはまさに「深川発祥の地」。慶長年間(1596年~1614年)に摂津の国の深川八郎右衛門ら6人がこの地で新田を開発し、八郎右衛門の姓をとってこの一帯は深川村になった。八郎右衛門は自分の土地に神明宮を勧請してまつった。ここは深川の精神文化の中心地なのだ。
高橋のバス停留所を過ぎると、高橋で小名木川を渡る。地下鉄の清澄白河駅前を通り、前回にひきつづいて「清澄庭園」を歩いたあと、さらに清澄通りを行く。仙台堀川を海辺橋で渡ったところには「採茶庵跡」。ここは芭蕉の門人、杉山杉風の下屋敷。芭蕉は「おくのほそ道」にはここから旅立った。「草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家」の句を残して…。そんな旅立ちの芭蕉さんと一緒に記念撮影する。
法乗院の閻魔像
そのあと心行寺と法乗院の2寺を参拝。心行寺の境内には「深川七福神」のひとつ、「福禄寿」がまつられている。法乗院は「深川の閻魔堂」で知られているが、迫力満点の閻魔さまがまつられている。そして深川の中心、門前仲町へ。ここには地下鉄の門前仲町駅があるが、なんともいえないなつかしさを感じる町だ。
(左)昔なつかしい「玄米パン」の露店
(右)これが「玄米パン」
ぼくの父は東京・芝の増上寺の近くで生まれ、深川で育った。「日比谷」を「しびや」と発音し、「秋葉原(あきはばら)」を「あきば」とか「あきばはら」といっていた。そんな東京人の父の匂いを門前仲町でかぐような思いがした。
門前仲町の交差点で清澄通りと別れ、永代通りで「深川不動」と「富岡八幡宮」へ。ともに門前仲町駅からわずかな距離。まずは「深川不動」へ。ここは成田山新勝寺の東京別院。江戸の町民の「成田不動」の信仰は厚かった。その名残を今にとどめ、参拝者はあとをたたない。
深川不動の「不動明王」像
次に「富岡八幡宮」へ。参道には毎年の例大祭でかつがれる日本一の大神輿が展示されている。日本の地図づくりの大先駆者、伊能忠敬の旅立ちの像も建っている。55歳になった伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝し、全国測量に旅立った。寛政12年(1800年)4月19日(太陽暦の6月11日)の早朝のことだったという。伊能忠敬の家は富岡八幡宮の近くにあった。
富岡八幡宮の伊能忠敬像
参道ではいろいろな露店が出ている。それらを見ながら富岡八幡宮に参拝。そしてさらにその奥の「横綱力士碑」を見る。江戸時代最後の横綱、第12代の陣幕らが中心になって建てたもの。富岡八幡宮は江戸幕府公認の勧進相撲発祥の地なのだ。目を引かれたのは「超五十連勝力士碑」。そこには初代横綱梅ヶ谷の58連勝、第4代横綱谷風の63連勝、第22代横綱太刀山の56連勝、第35代横綱双葉山の69連勝、第58代横綱千代の富士の53連勝が記されている。そのあとには5力士分の余白があるが、朝青龍や白鵬の名が記される日が来るのだろうか…。
富岡八幡宮を最後に森下に戻った。「深川神明宮」に近い銭湯「ときわ湯」(入浴料430円)の熱い湯に入り、清澄通りに面した「大衆酒場 魚三」に入る。そこで「焼きはまぐり」(390円)を食べながら冷たいビールをキューッと飲み干す。つづいて「ぶりかま焼」(480円)と「ぶりの照焼き」を肴に2本目のビールを飲む。ハマグリにしてもブリにしても、安くてうまいものだった。それが森下なのだ。
(左)「焼きはまぐり」でビールを飲む!
(右)森下の「大衆酒場 魚三」





























カソリさん、
私の居ない間に、森下満喫の旅をしとったんですなぁ~(笑)
私も、再度じっくり深川めぐり、やってみたくなりましたよ!
(江戸っ子のお父様、お近くだったんですね)
投稿: 事務局クワハラ | 2008年5月 9日 (金曜日) 09:26
クワハラさん、
森下はじつにおもしろい!
ほんとうにいいところで、
お仕事していますねえ~!!
よ~し、来年の昭文社の入社試験を受けて、
ぼくも、森下で仕事しよう!
なに、年齢制限?
そこは課長のお力でなんとか…。
投稿: カソリ | 2008年5月 9日 (金曜日) 09:47
リクエストありがとうございました。
その3はあるのかな?
次はと~っても、うるさい(きっとそうだ)「大田道灌」です。
投稿: Tさんでーす | 2008年5月 9日 (金曜日) 16:11
Tさん、「北斎」、ありがとう!
ほんとうにありがとう!!
今回の「森下紀行」では、
まだまだ「北斎さん」には登場願いますよ。
で、次は「道灌」ですね。
道灌の首塚の「道灌塚」は我が家(神奈川県伊勢原市)から500メートルほどのところなのですが…。
投稿: カソリ | 2008年5月 9日 (金曜日) 18:21
銭湯遺産「常盤湯」の章仙作 七福神宝船の九谷焼タイル絵 まで 登場とは・・・
森下 凄すぎ!!
もう、街遺産!!
投稿: Tさんでーす | 2008年5月 9日 (金曜日) 19:41
Tさん、「常盤湯」のタイル絵って、
九谷なんですか。
ここには昭文社の桑原さんとは
よく入りにくるんですよ。
もちろんそのあとは「キューッ!」って
いくんですけどね。
投稿: カソリ | 2008年5月 9日 (金曜日) 20:36
そうですよ!
右下に印が入っています!
「鈴栄堂」と、 拡大してみてください!
番台裏にタイル絵がある銭湯は少なくなったから貴重です。
投稿: Tさんでーす | 2008年5月 9日 (金曜日) 22:17
Tさん、確かに!
拡大してみると、
「鈴栄堂」、それと「谷作」と入っております。
番台裏のタイル絵が貴重ということは、
かつてはこのスタイルが一般的だったということでしょうか?
投稿: カソリ | 2008年5月10日 (土曜日) 00:46
カソリさん
もしや、缶詰状態継続中ですか?
私、そんな昔の生まれではないから・・・
指折り数えるくらいしか拝見してないですよ。
経営者の高齢化で廃業→解体→更地となるから、教育委員会が保存調査してるケースもあるらしいですから。
森下、食文化も凄いですよ!!
その○まで、いきますかね!!
「ことりっぷ」出しちゃってくださいな!
私、富士塚巡礼を始めます。
森下富士塚は消滅していて、残念ね!
投稿: Tさんでーす | 2008年5月10日 (土曜日) 19:21
Tさん、「富士塚めぐり」は
おもしろそうですね。
森下には消えた富士塚があるんですか。
明石町の鉄砲洲神社の富士塚などはよくおぼえてますが…。
それにしても、富士塚は、江戸町民の厚い「富士山信仰」への証明のようなものですね。
投稿: カソリ | 2008年5月11日 (日曜日) 05:33