森下紀行 その3
[ 03.関東・甲信越, c.食べる, 著者:賀曽利隆]
小名木川の萬年橋脇の昭文社制作本部を出発!
昭文社の制作本部に行くのに、今日(5月7日水曜日)は地下鉄半蔵門線の清澄白河駅で降りた。どうしても寄ってみたい場所があったからだ。駅を出てすぐの学校の入口に立つ「干鰯場跡の碑」(新しい碑は鰯でなくって鰮の字になっているが)を見てみたかったのだ。「干鰯(ほしか)」というのは脂をしぼったイワシを乾かしてつくった肥料。江戸時代から明治にかけてつかわれたが、この干鰯の登場によって江戸周辺の農産物の収量は劇的に増大した。その荷揚げ場が小名木川沿いにあったのだ。
(左)小名木川沿いの遊歩道をあるく
(右)江東デルタ地帯を水害からまもる小名木川の水門
そんな歴史をしのびながら小名木川を高橋(たかばし)で渡り、小名木川沿いの遊歩道を歩き、昭文社まで行った。
この日の編集部は桑原さんも若林さんも坂口さんも外出中で大久保さんが一人、かいがいしく仕事をしておりましたよ。そんな大久保さんとの打ち合わせをすませ、彼を外に引っ張り出し、萬年橋の脇に建つ「昭文社制作本部」の大看板の前で「さー、行くぞ!」のシーンを撮ってもらったのです。
さー、森下紀行の第3弾目のはじまりだ。
いつものように清澄通りと新大橋通りが交差する「森下駅前」の交差点まで行き、今回は清澄通りを両国方向に歩いていく。行きは左側の歩道を通って行く。すぐに目に飛び込んできたのが「黒糖10円饅頭」の看板。さっそく10個入りを買って歩きながら食べたが、薄皮のやわらかさ、たっぷりと入った黒糖のあんの甘さがほどよく調和して、10個をあっというまに食べつくす。これなら20個はいけそうだ。
(左)二之橋から見る堅川。首都高7号の小松川線が通っている
(右)清澄通りと京葉通りの交差点
江東区から墨田区に入り、堅川の二之橋を渡り、国道14号(京葉道路)との交差点に出る。ここまで10分もかからない。そこで左折し、清澄通りを離れ、隅田川にかかる両国橋へ。両国といえば「花火」。「玉屋~! 鍵屋~!」の大歓声とともに夏の夜空を彩る花火は江戸っ子のおおいなる楽しみだった。ちなみに玉屋は両国広小路、鍵屋は日本橋横山町。江戸後期の文化・文政(1804年~1830年)のころが両国の花火の最盛期で、華やかな江戸町民文化を象徴していた。そんな両国の花火の歴史を知ろうと「両国花火資料館」に行くと、残念ながら休館。5月は木曜、金曜、土曜、日曜の12時から16時までのオープンだ。
この京葉道路(千葉街道)に面した「両国花火資料館」の裏手に回向院がある。1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)で焼死した10万8000余人の霊を回向するために建立された。「火事は江戸の花」といわれたが、江戸時代だけで大火は100回以上を数える。その中でも最大の火事が正月の18日、本郷の本妙寺から出火した明暦の大火で、江戸城の本丸を含む府内の6割を焼き尽くした。
境内で目につくのは全部で6基の「海難供養碑群」。これは江戸時代の海難史の貴重な資料になっている。そのひとつに「勢州白子参州平坂溺死者供養塔」がある。伊勢の白子、三河の平坂、2港に属する船の海難溺死者の供養のために、1814年(文化11年)に建立された。それには1782年(天明2年)の大黒屋光太夫の海難から文化11年までの海難の歴史が記されている。大黒屋光太夫といえば、かの『おろしや国酔夢譚』の光太夫。光太夫らはこの天明の海難で漂流し、一命をとりとめ、流れ着いた「おろしや国」(ロシア)で数奇な運命をくり広げることになる。
今では都会の狭い境内になっているが、その昔の回向院はもっともっと広かった。その境内では毎年、勧進相撲が行なわれ、明治になってからは常設の国技館がその一角に建設され、昭和になってからは双葉山の黄金時代を築き上げた。国技館が蔵前に移ったのは昭和29年のこと。その蔵前の国技館がまた両国の地に戻ってきたのだ。ということで回向院の周辺にはいくつかの相撲部屋がある。ぷらぷら歩いていると、自転車に乗ったお相撲さんやコンビニに入っていくお相撲さんたちの姿をよく見かける。部屋内では禁煙なのだろうか、外でプカプカ煙草を吸っているお相撲さんもいた。
国道14号の京葉道路に戻ると両国橋へ。橋のたもとには名所江戸百景の「両国橋大川ばた」の絵がかけられている。隅田川に最初にかけられた橋がこの両国橋だった。江戸幕府の政策で隅田川には一切、橋はかけられなかったが、明暦の大火の際、迫り来る紅蓮の炎に逃げまどう多数の避難民が飛び込み水死したこともあって、1660年(万治3年)にかけられた。当時はこの橋しかなかったので大橋といわれた。隅田川は大川なので、大川にかかる大橋だった。その後、新大橋などがかけられ、「両国橋」にあらためられた。武蔵と下総の両国を結ぶ橋だったからだ。両国橋を渡った西側は火除地の両国広小路。江戸一番の繁華街だったが、今ではそれをしのぶものはない。
(左)両国橋のたもとの「両国橋大川ばた」(江戸名所百景)
(右)両国橋から眺める隅田川
葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「御厩川岸(おんまやがし)より両国橋夕陽見(りょうごくばしのせきようをみる)」は御厩川岸(今の蔵前あたり)から眺めたもので、遠景の両国橋の向こうにシルエットになった富士山が描かれている。手前には御厩川岸の渡し。この絵からは当時の両国橋がよくわかるし、隅田川の渡し舟の様子もよくわかる。すごく心に残る北斎の「御厩川岸より両国橋夕陽見」。広重も『富士三十六景』で「東都両ごく」で両国橋にからんだ富士山を描いているが、北斎の絵の方がはるかにいい。すごいぞ北斎!
(左)両国駅への道(国技館通り)の横綱像
(右)JR総武線の両国駅
(左)かつてのターミナル駅の面影を残す両国駅
(右)両国駅には「ちゃんこ鍋」の店
両国橋で折り返し、両国駅へ。その道(国技館通り)には力士像が飾られている。JR総武本線の両国駅は今では各駅停車の電車しか停まらないが、かつては房総方面へのターミナル駅だった。内房や外房の海に行くときは、両国で乗り換え、両国駅始発の列車で行った記憶がある。駅舎にはその当時の面影が残っている。両国の国技館は両国駅に隣接しているい。夏場所を前に力士名を染めた華やかな幟が立っている。国技館内には「相撲博物館」(入館無料)がある。そこには谷風や雷電の化粧廻し(複製)や歴代横綱の絵や写真が飾られている。また館内では夏場所の番付(1部50円)。下位力士の名前はほんとうに虫メガネでもないと見えないような小さな字。国技館に隣りあって「江戸東京博物館」がある。「ペリー&ハリス」の特別展をやっていてすごく見たかったが、残念ながら休館日…。
(左)「江戸東京博物館」の「ペリー&ハリス」の特別展示の案内
(右)「江戸東京博物館」は休館日…
国技館から隅田川沿いに行くと「旧安田庭園」(入園無料。ここは日本の四大財閥の中でも最強の金融力を誇った安田財閥の創始者、「日本の銀行王」といわれた安田善次郎の庭園。隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ「潮入り池泉廻遊式」の庭園だ。
その斜め向かいが「横網町公園」。公園内には東京都慰霊堂と復興記念館がある。大正12年9月1日午前11時58分、関東地方南部でマグニチュード7・9という巨大地震があった。「関東大震災」だ。死者行方不明14万2000余人というくう史上空前の被害を出した。とくに被害がひどかったのがこの一帯。全部で5万8000もの霊を供養するために震災記念堂がつくられた。さらに昭和20年3月10日未明、B29などの米軍機130機での焼夷弾爆撃でこの一帯はふたたび焼土と化し、10万余人の犠牲者を出した。この人たちの霊も合祀して「東京都慰霊堂」と名前を変えた。堂内に展示されている震災の絵、戦災の写真のあまりのすさまじさに、思わず目を覆ってしまう。慰霊堂の脇に建つ「震災遭難児弔魂像」は震災で亡くなった小学生たち5000余人の死を悼んで建てられたものだ。
「復興記念館」には震災の被害品や遺留品などが展示されている。外にも震災の残骸が展示されているが、ぼくの目を引いたのはシャーシだけが残った焼けただれた自動車の残骸。この自動車は車両番号が第1号という日本の自動車史に残るような古い歴史を持ち、震災直前まで銀座の「明治屋商店」で使われていたという。
「横網町公園」を出ると、そこは清澄通り。いったん蔵前橋通りとの交差点まで行き、そこから森下の交差点まで歩いた。時間は15分ほど。わずか15分ほどで歩けるエリアの中にこれだけのものがある…。森下に戻ると、小名木川にかかる高橋の手前で左に折れ、高橋の商店街を歩く。そこの居酒屋「やなぎ」に入り、「初ガツオの刺身」を肴に冷たいビールを飲んだ。生姜醤油で食べるカツオの刺身は絶品。思わず店の旦那に「これは銚子からの直送ですか」と聞きたくなったほど。そのあとシマアジの刺身で2本目を飲んだ。森下の魚はうまい!
(左)森下の居酒屋「やなぎ」
(右)「初ガツオの刺身」でビールを飲む























一年前の冬に・・・
ある国の地震防災代表団が、この街に視察に訪れました。
神妙な面持ちで「何度も被災にあいながらも復興している、すごい事だ!!」と
各地方の防災施設も視察して行かれました。
きっと、災害救助に出動しているだろう
横のダンナは政府はハァーブツブツと・・・
投稿: Tさんでーす | 2008年5月21日 (水曜日) 13:49
Tさん、まさにその通りだと思いますよ。
これが江戸&東京のすごさ。
火災、震災、戦災で街が壊滅状態になっても、
それを見捨てるのではなく、
しっかりと復興させているのですね。
日本を除けば、世界でもそうそう例はないですよね。
「横のダンナ」、おもしろすな人ですね。
投稿: カソリ | 2008年5月21日 (水曜日) 16:54