昭文社K課長の席で『ツーリングマップルマガジン』(第3号)の表紙の色校
東京・森下の昭文社・制作本部で若林さん、大久保さんと「300日3000湯」の単行本で打ち合わせ。今日(5月19日)もK課長は外出中なので、課長の許可もとらず、無断で机を使わせてもらった。そのあとは若林さんとの雑談だ。おおいに盛り上がったテーマは、なんと『ツーリングマップル』の第8巻目。みなさん、出ますよ~(笑)
賀曽利・・・「若林さん、第8巻目の江戸編、はやくやりましょうね!」
若林・・・・「カソリさん、現地調査で使う馬や駕籠の手配がちょっと難しそうなんで…」
賀曽利・・・「GウィンかMベルでいきましょうよ!」
若林・・・・「う~ん…」
そんな若林さん、大久保さんに別れを告げ、いよいよ「森下紀行」の最終回に出発だ。いつものように清澄通りと新大橋通りが交差する森下の交差点に立つ。交差点にはシンボル「まとい」のモニュメントと「深川散策絵図」。「深川散策絵図」には清澄通りの説明が書かれていた。
森下交差点のシンボルの「まとい」
清澄通りはもともとは二ツ目通りだったという。明暦の大火後、幕府は万治2年(1659年)から寛文元年(1661年)にかけて市街地の区画を大整理し、堅川の掘削後、それには5本の橋がかけられた。隅田川に近い方から一之橋、二之橋、三之橋、四之橋、五之橋と名づけられ、それぞれの橋を渡る通りは堅川一之橋通り、堅川二之橋通り、堅川三之橋通り、堅川四之橋通り、堅川五之橋通りと呼ばれるようになった。それが今の三ツ目通りや四ツ目通りになっている。一之橋通りは昭文社の脇で萬年橋を渡る万年橋通りに、二之橋通りは清澄通りに、五之橋通りは東京の環状5号の明治通りになっている。
森下交差点から新大橋通りを菊川方向へ
さて、森下の交差点からは新大橋通りを菊川方向へ。
まずは森下の交差点にも近い長慶寺へ。そこには「芭蕉時雨塚」があった。江戸時代には広い境内の相当な寺であった長慶寺も、今では森下の町並みに埋もれてしまったかのようで、探すのも大変だった。
(左)長慶寺
(右)かつての長慶寺はこんな大寺
五間堀、伊予橋跡の小公園のモニュメント
埋立てられた五間堀の伊予橋跡には小公園。そこを過ぎると菊川になる。
「菊川」…。
この地名を聞くと、ぼくはいまだに動揺してしまう。菊川には家庭裁判所があったのだ。当時、20歳前の交通違反は都内の場合、すべて菊川送りにされた。当時の免許証にはピラピラピラと折りたたみ式の紙がついていて、違反をするたびに、そこに朱色の違反印が押された。あわれ、カソリ、そのピラピラが真っ赤かだった。何度、菊川に足を運んだことか…。「あー、また菊川かよ…」。白バイと勝負して捕まったあとは、いつもこの台詞をはくのだった。
東京法務局墨田出張所
40年以上も前の記憶をたどり、家庭裁判所を探したが、よくわからない。なんとなく見覚えのあるのが、今の「東京法務局墨田出張所」だった。そのまわりには何軒もの司法書士の事務所が建ち並んでいる。「おそらくここに家庭裁判所があった(と思う)」ということで自分を納得させた。通行人やその近くの人に聞いてみたが、「さー」という答えばかりだった。
(左)菊川の天然うなぎの店
(右)菊川の居酒屋
(左)菊川の交差点
(右)大横川
新大橋通りで菊川の交差点へ。そこで交差する道が三ツ目通り。
さらに新大橋通りを行き、大横川にかかる菊川橋を渡る。橋のたもとには地蔵がまつられている。この大横川は堅川や小名木川、仙台堀川と交差する掘割だ。
(左)住吉銀座
(右)住吉交差点
四ツ目通りの四之橋。堅川は見えず
住吉銀座の入口を通り、住吉の交差点へ。そこでは交差する四ツ目通りで、今度は錦糸町に向かった。堅川を四之橋で渡ったが、川の流れはまったく見えない。
錦糸町の交差点
JR総武本線の錦糸町駅前に出ると、そこでは国道14号の京葉道路と交差する。駅前の交差点角には「東京楽天地」。その9階には「楽天地温泉」(入浴料2300円)がある。ここは東京の大深度温泉のハシリ的存在だ。さっそくひと風呂、浴びる。ここにはありがたいことに60分料金(1000円)がある。茶褐色の天然温泉と白濁色の人工温泉の湯につかった。ひと歩きしたあとの温泉はたまらん!!
(左)東京楽天地
(右)楽天地温泉
「北斎通り」を行く
錦糸町からは「北斎通り」を歩いて両国に向かった。
この「北斎通り」沿いには「北斎ギャラリー」がある。歩きながら葛飾北斎の「富嶽三十六景」を1枚1枚、見ていける。何という贅沢。「神奈川沖浪裏」からはじまり、赤富士の「山下白雨」、「江戸日本橋」、「深川万年橋下」…と見ていく。北斎はこの「北斎通り」沿いの本所割下水で生まれたという。宝暦10年(1760年)9月23日のことだった。
北斎の「富嶽三十六景」
上段(左)神奈川沖浪裏 (中)山下白雨 (右)江戸日本橋
下段(左)深川万年橋下 (中)両国橋 (右)佃島
「北斎通り」の尽きるところには、両国の「江戸東京博物館」。先日は休館日で残念なことをしたが、今日はしっかりと見ることができた。「武士のくらし」の展示では紀州藩士の例をあげ、武士の1ヵ月間の行動をしめしている。これはおもしろい。「町のくらし」では江戸の町屋が再現されている。三井越後屋江戸本店もある。ぼくの目を一番引いたのは当時の両国橋の模型。その西詰めの、江戸一番の繁華街、両国広小路のにぎわいがよ~くわかる。そんな「江戸東京博物館」を最後に森下に戻った。
「江戸東京博物館」
(左)「三井越後屋」の江戸本店
(右)江戸歌舞伎
(左)両国橋
(中)両国広小路
(右)関東大震災で倒壊した浅草のシンボル「十二階」
まだ日は高かったが、昭文社のK課長が戻ったとのことで、森下の「とり満」にK課長のほかに若林さん、大久保さん、坂口さんも駆けつけてくれ、「森下紀行」の盛大な打ち上げをやった。ちょっと胸にジーンとくるシーン。昭文社のみなさま、「森下紀行」ではずいぶんと楽しませてもらいましたよ。
若林さん、カソリは『ツーリングマップル』(江戸編)の準備はもう十分にできていますよ!
(左)森下の「とり萬」の「盛りあわせ」
(右)「乾杯!」。これにて「森下紀行」、終了!
『森下紀行』ガイド
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