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2008年7月21日 (月曜日)

メキシコ・「ペンション・アミーゴ」にライダー1名沈没中

[ 99.海外, f.出会い, 著者:滝野沢優子]

 7月19日、ニッポンの梅雨明けと同時に無事、メキシコより帰国しました。

 ニッポンは暑いですねえ。今回のメキシコは主に中央高原を旅していたので、けっこう寒くて震えていました。何しろ、 首都メキシコ・シティでも標高2240mもあるのです。日本同様、今は雨季ではあるものの、 もっと空気が乾燥しているし、爽やかな気候です。それにすっかり慣れていたので、成田に降り立った瞬間、熱くて湿った空気に包まれ、 息苦しく感じたほどでした。

 ところで、今回のメキシコは実に14年ぶりの訪問でした。

 1994年2月から1995年8月にかけて、 私はロサンゼルスで買ったYAMAHAセローでラテンアメリカをバイクで旅をしました。 いろいろあって途中で2度帰国したのですが、そのたびに拠点としたのが、メキシコ・シティにある日本人宿「ペンション・ アミーゴ」だったのです。あれからどうなっているのか気になっていたこともあり、今回も拠点にさせてもらいました。

 「ペンション・アミーゴ」は日本人男性と結婚したメキシコ人女性がオーナーの安宿。 ダンナが亡くなったあともそのまま日本人相手の宿として営業を続けていて、ラテンアメリカでは日本人宿の老舗といえる存在です。
 アメリカから下って来た人にとってはラテンアメリカ最初の日本人宿でもあるし、シティの中心部、 地下鉄駅からもすぐという便利な立地にありながらドミトリー1泊60~70ペソ(600~700円) という、おそらくメキシコでも一番安い価格のため、いつも20~30人ほどの旅人で賑わっています。 前回と大きく雰囲気は違っていないけれど、旅人の多くはかつて私がそうだったように、20~30代前半。 自分が確実に年齢を重ねているのを実感しました。でも同年代や、ぐっと上のシルバー世代も来ていますよ!建物は老朽化しているけれど、 居心地の良さは相変らずでうれしくなりました。

 ラテンアメリカには、こうした日本人宿が少なからずあり、料金の安さと居心地のよさから、予定外に長期滞在(= 「沈没」)してしまう人が後を断ちません。
 実際に北米からメキシコに下ってきて、南米を旅行する前にここに寄り、 そのまま宿の管理人となって1年以上を過ごして旅を終えた人もいるし(大倉直。 「メキシコホテル」 という著書に当時の旅人の話が詳しく書かれています)、現在の管理人代理、タケバ氏もバイク旅の途中でここに寄ったが最後、 旅を止めてバイクを売り、10年以上もここに住み着いて日本とメキシコを往復しながら生活をしています。

 また、現在二輪雑誌のカメラマンとして活躍する「ひげ大王」こと河合宏介も、 世界一周ツーリング中、なんと7ヶ月も滞在していたそうな。しかも宿代を安くしてもらうため、 屋上にテントを張っていたというから、すごすぎます。

 たしかに、ここはシティの中心部にありながら、広いパティオ(中庭)があってバイクも安全に止められるため、 私や河合氏だけじゃなく、ラテンアメリカを旅するライダーの多くが利用しています。今回も、やっぱりライダーが居ましたよ。
 なんと、14年前の私と同じく、ロサンゼルスで新車のXT250(セロー)を購入し、 これから8ヶ月かけて南米をツーリングするという榎戸さん

 しばらく前に海外ツーリングライダーのサイト、「WTN-J (ワールド・ツーリング・ネットワーク・ジャパン)」の掲示板で、 「アメリカでバイクを買って中南米を旅できるのか?」という彼の質問に、私が答えていたのでしたが、 最初はお互いにそれと知らず、話しているうちにそれが判明したのでした。

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**榎戸さんとまだピカピカのXT250。「ペンション・アミーゴ」のパティオにて。 キレイに見えますが建物はけっこう老朽化しています**

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**「ルチャ・リブレ」を見に行った翌日、 マスクを被ってルチャごっこをする榎戸さんと同宿のアミーゴ**

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**(左)「ペンション・アミーゴ」の食堂。 管理人代理のタケバ氏のスペイン語教室も開催されていました**
**(右)長期旅行者同志、食事をシェアして作る風景も相変らずでした**

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**(左)「ペンション・アミーゴ」はパティオを囲むように部屋が並んでいます。2、3階がドミトリー (一部個室あり)、1階はオーナーの住居とキッチン、リビング、図書室、洗濯場となっています**
**(右)ドミトリールームは男女別で、わりと広めの部屋に3~4ベッド&机があります。トイレ、シャワーは共同。 右奥は韓国人のヒョンちゃん。日本語ペラペラ。スペイン語を取得するべくここで長期滞在中**

  榎戸さんは、この旅の前には、XR250で日本からロシアへ渡り、 ユーラシア横断&アフリカ縦断ツーリングも果たしているので、 見かけによらずかなり旅慣れています。今回はテントも自炊道具も持たず、バイクの改造も何もせず、いたってシンプルな装備。 海外ツーリングだからとやたらに改造したり、荷物を山盛りに持っていく(タイヤまで運んでいる人も!)ライダーが多いのですが、 実際はそんなに気負う必要はありません。ノーマルセローでアフリカだって一周できたんですから。

 ラテンアメリカの場合、 バイクは北米で簡単に購入できるのでオススメです。榎戸さんのXT250は諸経費込みで4200US$程度だったというから、 日本で買うのとほとんど変わりないですよね。旅が終わったら南米で売ることができるうえ、 ラテンアメリカの国境越えではカルネも必要ないので、日本からバイクを持ち出すよりもずっとラクだし経済的です。 

 そんな旅慣れた榎戸さんも、あっという間にアミーゴ生活2週間が過ぎ、マージャン三昧の日々を送って沈没しかかっていました。 アメリカからナンバープレート(アメリカで新車登録をすると、ナンバーが来るまで1ヶ月以上かかるので)が届くのを待っているだけなので、 まあいいのでしょうが、前例がたくさんあるだけに、ちょっと心配。無事に出発してくれることを祈っています。

 それにしても…、「ペンション・アミーゴ」、恐るべし。旅人をそこまで堕落(?) させる理由とは、一体何なのでし ょうか? 言葉で説明するのは難しいので、興味のある方、一度沈没生活をしてみたいという方、 ぜひ滞在してみることをオススメします。

 なお、メキシコシティには後発の日本人宿「サンフェルナンド館」もあります。 個室が中心なので短期旅行者がメインらしいのですが、なんと、そこにはしばらく亀田一家も滞在していたそうです。 興味津々で見に行ったのですが、現在は市内のアパートに移ってしまったとか。残念でした。

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**私の著書「来て見てラテンアメリカ」 (1998年 凱風社)にも「ペンション・アミーゴ」 のことが書かれています**

2008年7月14日 (月曜日)

世界遺産と犬

[ 99.海外, 著者:滝野沢優子]

 先日、世界遺産に落書きした事件がありました。大学生やコーチなど、いい大人がどうして? と思いますが、旅先での高揚感も手伝って、軽い気持ちで書いてしまうんでしょうね。熊野古道の牛馬童子の頭部を盗むことに比べれば悪意はないとはいえ、困ったものです。

 その世界遺産ですが、6月後半に「世界遺産と犬(ときどき猫)」というテーマに添った写真を、ということで膨大な量の写真を整理していたら、私が今までに行った世界遺産は、なんと193ヶ所だということがわかりました! 我ながら驚いてしまいましたが、世界遺産とは意識せずに行ったところや、行ったあとで登録されたところなどもけっこうたくさんあり、残念ながら写真がイマイチだったり、全く印象に残っていないところも多かったので、193のうち、しっかり覚えているのは半分くらいでしょうか。

 ツーリングライダーにしてはかなり観光に重点を置いていると自負している私ではありますが、世界遺産の存在を知らずに通りすぎてしまっていたり、入場料が高いからと入らなかったりしたところもあって、なんてもったいないことをしたんだろう、と今になって後悔したりしています。やっぱり、何でも見ておくもんだ、と痛感しました。

 「世界遺産と犬(ときどき猫)」はバイクとはまったく関係ない方面の企画ですが、どちらも私の旅の目的であります。日本では「温泉」というテーマも加わったし、ますます旅がおもしろくなりそうです。

 ところで、9月28日には世界遺産検定も行われるそうです。ご当地検定の一種かもしれませんが、何の勉強もしない状態で模擬試験をやってみたら、けっこういい感じだったので、受験してみようかなと思っております。みなさんもいかがですか?

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**(左)グルジア・コーカサス山脈の麓にあるスワネティ地方。「搭状の家」が見られます**
**(右)ギリシャ・デルフィ遺跡。この犬がずっと案内してくれました**

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**(左)ウズベキスタン・サマルカンドのレギスタン広場にいるノッキー**
**(右)スペイン・バルセロナのグエル公園。アントニオ・ガウディの作品です**

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**マリ・ドゴンの村。暑すぎて食堂で昼寝する犬**

 

 

2008年7月 8日 (火曜日)

チリ紀行その4

[ 99.海外, c.食べる, 著者:博田 巌]

意外にあっさり梅雨明けした四国に続いて、九州・山口も梅雨明けしましたね。梅雨明け当日は夏が来たーという強烈な日差しが照りつけました。せみの声も聞こえ始め、徐々に夏本番を感じるようになってくることでしょう。

チリ紀行その4

旅先でのもう一つの楽しみは買い物、といってもスーパーやホームセンターなど地元の人がいくところが多いのですが。日本と同じように町の郊外には何でも揃う大型店があり日曜日も開いていて、日曜日には閑散とする町の中心部とは対照的に沢山の人で賑わっていました。

スーパーの中で人が集まるところといえばチーズと肉売り場。量り売りでいろんな種類の物が選べるのでいつ行っても行列ができていました。一度並んでサラミとハムを手に入れましたがこれはビックリするほどおいしかったです。なるほど並んででも手に入れたいわけですね。

なんでも揃うスーパーも楽しいですが路上の青空市場みたいな所を散策するのも楽しいひととき。ここでは服や雑貨などが多い中、目を引いたのが携帯電話をバラバラにした部品ばかり並べた一角。やっぱり自分で直すのかな?ずいぶんと安くサッカーチリ代表のユニフォームを手に入れることが出来満足。

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スーパーで見なかった鮮魚はコキンボの町の魚市場にありました。見たこともないような魚があちこちに。またこの辺りは貝類が豊富、茹でた貝が沢山あり小分けにされたその場で食べられるものを頂きましたがこりこりとした貝がとてもおいしかったです。ちょっとバジルが利きすぎでしたね、やっぱり魚には日本の醤油が一番合うようですね。買って帰った貝をホテルで醤油で食べると最高でした。

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雄大な土地に囲まれ人もとても親切なチリ、またいつの日か沢山の笑顔に会いに訪れたいです。

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2008年7月 1日 (火曜日)

チリ紀行その3

[ 99.海外, c.食べる, 著者:博田 巌]

今日から7月、早くも今年も折り返しですね。今年は梅雨入りが早かったですが梅雨明けは例年通りだということです。中国・四国では720日前後の予報。たまに青空が見えるとすっかり夏のようですがもう少しの我慢。夏を待ち切れないひまわりがもう咲いていました。

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チリ紀行その3

旅の楽しみの大きな部分を占めるのがやはり食事。町中の賑やかなレストランや国道沿いの小さな食堂等々、言葉があまり通じない外国だと料理が出てくるまでの時間がとても愉しみ。期待通りの物が出てくれば大成功ですが、そうではなかったとしてもこれはこういうものだったのか、などと感心しながら楽しい時間が過ごせますね。

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海に沿って縦長のチリ、新鮮な魚介類が豊富なところです。肉より魚が好きな私にとって毎回とても嬉しい食事の時間が過ごせました。CERVEZAセルベッサ(ビール)と共に最初に覚えたのがPESCADOペスカード()、ちなみに肉はCARNEカルネ。意味が分かれば発音はあまり難しくないスペイン語、笑顔とボディランゲージを交えながら何とか注文をすると後は待つだけ。PESCADOSOPAソパ(スープ)ともう一皿、肉か魚にライスの盛り合わせが定番になりました。時には魚のソパの後に肉のソパが続けて出てきたりもしましたが。ソパはお店によって中身や味が全然違って、こりこりとした貝が沢山入っていたり白身魚の身が多かったりします。ここではどんな物が出てくるのだろうと楽しみな時間が多かったです。国道沿いのトラックがよく止まっているドライブインのような小さな食堂は値段も安くボリューム満点なのは万国共通。時には日本人と驚かれて一緒に記念撮影なんてこともありました。

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豊かな食事をすると、なるほどチリ人が明るく親切なのは豊かな食材に囲まれているからなのかな、などと頭を巡らせたりしました。

2008年6月24日 (火曜日)

チリ紀行その2

[ 99.海外, b.温泉, 著者:博田 巌]

今年は梅雨らしい日が続いていますね。あまりジメジメしていないのが幸いですがそろそろ太陽が恋しくなってきました。沖縄はもう梅雨明け、気持ちのよい夏空が広がっていることでしょう。

さて、先週に続きチリのお話。

LASERENAラ・セレナの町の郊外に出ると乾燥した荒涼とした台地が広がりますが、西に150km程進むとアルゼンチンとの国境。夏でも雪の残るアンデス山脈からの雪解け水が流れるエレキ川沿いには延々と続くブドウ畑の風景が広がっていました。所々でワイナリー風の建物も見られます。ぶどうの産地としても有名なチリ、なるほどおいしいチリワインはこういう所から出来ているのかと納得。町のスーパーでは安いのではミネラルウォーターと変らない程の値段がついているものもあり、ビックリ。またこの付近ピスコPISCOというぶどうから作る蒸留酒(ちょっと甘めのアルコール度高め)の産地としても有名で農場のサイロにはピスコのメーカーCAPELの看板が多く見られました。

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標高も少し上がりアンデス山脈にも近づくので気温も下がるかと思っていると海からの風が届かない内陸の方が暑くなるという不思議な現象も体験しました。

そんな少し暑い内陸部ラ・セレナから60km程エレキ川沿いの町Vicunaビクーニャ。ラテンアメリカで初めてノーベル賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの生地としても知られています。町の中心に広場と教会があるとても雰囲気のよい町でした。日本人があまり来ることもない所と思っていましたが土産物屋さんで片言の日本語で話しかけられビックリ。日本にも行った事があるんだという様な事を話されていました。

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このビクーニャから少し離れた所にトロロという南半球で最大の天文学研究所があります。一年で300日も晴天に恵まれるという好立地ですが、標高2200mの山の上にありさすがに一般向けとはいえません。その代わりといっては変ですが、ビクーニャの町からすぐの所にママリューカの天文観測所というのがあります。こちらはツアーなども組まれ多くの方が訪れるようです。何か見えるかもしれないと行ってみましたがさすがに昼間行くと建物も閉まっていて、あの山の上がトロロじゃないかなどと天体観測じゃなく周りの風景を眺めるだけになってしまいました。

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2008年6月23日 (月曜日)

女一人で世界2周目! うらんちゃんが日本を北上中!

[ 99.海外, f.出会い, 著者:滝野沢優子]

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**世界一周中のうらんちゃん(WTN-Jのページより借用)**

 2002年から2005年にかけて、女一人で世界一周ツーリングを果たした「うらんちゃん」こと浦野由紀子さんが、またしても世界の旅に出発しました!

 前回は日本→北米・中南米→ヨーロッパ→アフリカ(モロッコ~ガーナ) →ヨーロッパ→ロシア→韓国→日本

というコースだったので、日本からバイクを船で送ったのですが、今回は日本→ロシア(サハリン経由)→中央アジア・アジア→トルコ→中東→アフリカ(エジプト~南アフリカ)→南米

を2年かけて旅する予定です。

 そのため、今回の日本出国は稚内から。 今月26日のサハリン行きのフェリーにバイクとともに乗り込むべく、現在、大荷物を積んだバイクで日本を北上しています。出発の2日くらい前には稚内に到着する予定だそうなので、お近くの方、ヒマな人はぜひ見送りに行ってください。

 うらんちゃんの今回の使用バイクは、前回と同じくSUZUKIジェベル250XC。身長170cm近くある彼女には無理のないポジションで、ジャストフィットという感じです。ジェベルは海外ツーリングライダーに人気があるのですが、現行モデルはキャブレターじゃなくインジェクションになってしまっているので、わざわざ旧モデルを探し回ったとか。ハイテク化してバイクの性能があがるのはいいけれど、コンピューター制御などで素人が修理できないようになるのは困りますね。特に海外の旅では先進国ばかりじゃなく、発展途上の国が多いのだから、どこでも直せるシンプルなバイクのほうがいいのですが。とはいえ、オフロードバイクそのものが少なくなっている現状では仕方がないのでしょうね。

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 私も海外ツーリングから戻って3年。3年9ヶ月と旅の期間が長かったし、行きたいところは行ったという満足感もあって、今のところ次の海外ツーリングを計画する気持ちにはなっていませんが、うらんちゃんのように、これから旅に出る人に会うと刺激されます。人ごとながらワクワク、ドキドキしています。同じ立場で旅したことのある身として、陰ながら応援したいと思っています。

 うらんちゃんは、昨年のスズキミーティングin浜名湖2007でも世界一周したバイクを出展されていましたのでご存知の方もいるかと思いますが、そのときの様子はこちら。

http://www1.suzuki.co.jp/motor/suzukimeeting_2007/furuta_03.html 

 また、海外ツーリングライダーのサイト、WTM-J(ワールド・ツーリング・ネットワーク・ジャパン) でもうらんちゃんが紹介されています。

http://www.wtn-j.com/html/ridersalbum/yukikourano/index.html

 WTN-Jでは、うらんちゃんの旅をブログで紹介していくそうなので、みなさん、注目ですよ!! 

 もう一人、やはり女一人で世界一周22万キロを走って昨年帰国した「鉄馬B女」こと杉野真紀子氏は、今度は馬でモンゴルを旅するのだとか。スゴすぎます。

2008年6月17日 (火曜日)

チリ紀行

[ 99.海外, a.風景, 著者:博田 巌]

岩手・宮城内陸地震、被害の全容が分かるにつれ地震の揺れの大きさが分かり、被災された方はとても恐ろしかったでしょうね。災害が起きたとき何も出来ないことがもどかしいですがお見舞い、お悔やみ申し上げます。

今回は昨年訪れた南米チリのお話。

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南は南極圏もすぐそこのパタゴニア、北部には広大なアタカマ砂漠が広がる南北4300kmもの距離がありますが、東西はアンデス山脈と太平洋に挟まれ、平均175kmという南米チリ。太平洋を挟めば隣国という言い方も出来なくもないですが、アジアの東端の国に住む我々にとってはなかなか訪れるには遠い場所の一つです。南米を訪れるのは15年ほど前のアルゼンチンに続き二度目。アルゼンチンでは旅行中に盲腸に襲われ入院という大ハプニングに遭いましたが、皆さんにとても親切にしてもらいそれ以来すっかり南米好きになってしまいました。

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さて昨年11月に訪れたチリ中部の町、LA SERENAラ・セレナ。スペイン語で「静かで落ち着いた」という意味のチリの首都サンチャゴから北に470kmの海岸線の町。ヨーロッパの町並みを思い起こさせる町の中心部には多くの教会や石積みの建物の落ち着いた佇まい、植民地時代の雰囲気が残っています。特徴的な灯台Faro Monumentalが目に付く海岸線に出ると南にリゾートホテルやレストランが並び、夏(122月頃)にはチリ各地やアルゼンチンからもやってくる海水浴を楽しむ人々で賑わうようです。日本とは逆の季節11月はちょうど春の終わりから初夏にかけてといったところ、朝は6時ぐらいから明るくなり夜8時ぐらいまで明るく、朝や夕方にはこの海岸線を散歩したりジョギングを楽しむ姿が多く見られました。市民の憩いの場といったところでしょうか。時には気の早い方が泳ぐ姿も。大きなアザラシの死体が打ち上げられていたりもしました。また天気のいい日にはとてもきれいな夕日を楽しむことが出来ました。

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巨大な十字架が目に入る隣町コキンボまでが一つの大きな町といった感じでしたが、町の外に出ると乾燥した荒涼とした台地に青い空が広がりこれぞチリといった風景が迫ってきます。(つづく)

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2008年6月 2日 (月曜日)

走行13万キロでも頑張るセロー225W

[ 99.海外, a.風景, 著者:滝野沢優子]

 すでに入梅したような天気の日が多いですが、昨日は天気もよくて風も爽やかで気持ちのいい一日でしたね。 荷物を積んだツーリングライダーも多く見かけるようになり、いよいよツーリングの季節だなあ、と旅心を刺激されます。 私もなんだかバイクに乗りたくなり、久々に愛車セローに跨って走ってみました。

 現在、所有しているのは2001年~2005年、ロシアから始めた海外ツーリングで使用した2000年式セローW225です。 シベリアの大平原、シルクロードのオアシスも、最北端のノールカップも、サハラ砂漠も、コンゴのジャングル地帯も、 たった225ccのエンジンで走りきってくれました。最後にインド・マドラスから日本に送り返したときは、「お疲れさま」 と思わず声をかけてしまいました。 

 大型バイクが全盛の今日この頃ですが、こんな小さなバイクだって世界の果てまで行けるんですよ。頑張ってくれたセローを見るたびに、 本当にバイクってすごい、と改めて思うのです。

 現在、セローの走行距離は13万キロを越えています。1台のバイクをこれだけ長い距離乗ったのは初めてですが、 意外に走れるものなんですね。 今までにバッテリー、ピストンリンク、クラッチ板、フロントフォークのオイル交換などはしていますが、 エンジンのオーバーホールなどは特別にしていません。現在、若干のオイル漏れはあるものの、まだまだ元気に走ってくれそうです。 一体走行何キロまで頑張れるか、ちょっと楽しみでもあります。 

 とはいいながら、新しいバイクが欲しい気持ちもありますが。

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**こうしてみるとまだまだキレイで13万キロも乗っているようには見えませんね**

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**シベリアの大平原にて。走行15000kmくらいの頃**

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**(左)シルクロードのオアシス、ウズベキスタン・サマルカンド。走行2万キロくらい**
**(右)ヨーロッパ最北端、ノールカップへもうすぐ。走行4万キロくらい** 

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**(左)サハラ砂漠です。走行5~6万キロくらい**
**(右)ガボンからコンゴへのジャングル地帯。走行7万キロくらい**

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**セロー2台で我が家にやってきた古山夫妻。大のセローファンで225cc3台のセローを所有し、 公務員ながら海外ツーリングにも積極的に出かけています**

2008年4月18日 (金曜日)

なつかしのブエノスアイレス(その2)

[ 99.海外, d.道, 著者:賀曽利隆]

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1985年1月17日、ブエノスアイレスに到着。その日はとびきり暑い日だった

南米はぼくにとっては相性の悪い大陸だった。何度か、「南米一周」を計画したのだが、そのたびに失敗…。5度目の正直で旅立ったのは、南部アフリカ・モザンビークのロレンソマルケス(現マプト)港で、アルゼンチンのブエノスアイレス行きのオランダ船「ルイス号」を見送ってから17年後の1984年10月のことだ。コロンビアのアンデス山麓の町、ペレイラを出発点にし、スズキDR250Sを走らせ、反時計回りで南米を一周。ブエノスアイレスに到着したのは1985年1月17日。とびきり暑い日だった。

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ターミナル駅のオンセ駅近くの鉄路

ターミナル駅のひとつ、オンセ駅に近い安宿の「コーラルホテル」に泊まったが、「南米を一周しよう!そのときにブエノスアイレスに行こう!!」という夢を18年目に達成させた喜びで、部屋で一人、「乾杯!」を繰り返した。

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パンパの大牧場

ブエノスアイレスを拠点に、「ブエノスアイレス→ブエノスアイレス」でまわり、チリのサンチャゴを目指した。ブエノスアイレスを出ると、はてしなく広がるパンパを行く。パンパとはケチャ語で「大草原」の意味。ブエノスアイレスを中心とする半径数百キロほどの扇形のエリアで、その面積は日本の2倍以上にもなる。パンパは桁外れの大平原。まるでローラーでならしたかのようにまっ平。いかに平かを証明しているのが、アンデス山脈から流れ出る何本もの川だ。どの川も水量が豊富なのにもかかわらず、1本として大西洋に届かない。あまりにも平なので、パンパの湖に流れ込んだり、パンパの地下にもぐり込んでしまう。それだからパンパは平なだけでなく、水の豊かなところでもある。

 

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パンパのヒマワリ畑
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(左)パンパの大豆畑
(右)パンパの湖に夕日が落ちていく

そんなパンパは世界有数の穀倉地帯。小麦畑やトウモロコシ畑、大豆畑が地平線の果てまでつづいている。大牧場も見られる。夏のパンパはヒマワリの季節。それは見事な光景で、大平原はヒマワリの花の色、一色に塗りつぶされている。風が吹くと、黄色一色の大平原は波立つようにして揺れた。

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アンデス山麓のメンドサの並木道

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メンドサからはアンデスから流れ出る川に沿っていく

ブエノスアイレスから800キロほど走ると、前方にアンデス山脈の山並みが見えてくる。山麓の町、メンドサに到着。枝を広げた街路樹が涼しげだ。メンドサはワインの産地としてよく知られているが、この町の周辺にはブドウ園が多い。メンドサからチリ国境に向かうと、平原からアンデスの山地へと風景は一変。ゴーゴーと音をたてて流れる急流に沿った道を行く。国境の手前では標高6959メートルの南米の最高峰、アコンカグアを見た。堂々とした山の姿。青空を背にした雪の輝きがまぶしい。大空を悠々とコンドルが飛んでいた。

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チリの首都サンチャゴへの道

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(左)南米の最高峰、アコンカグアを眺める。雪の輝きがまぶしい
(右)アコンカグアの登山口でスペインの「南米一周」チームと再会!

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アルゼンチン・チリ国境のアンデス山脈の峠を貫く長大なトンネル

アンデス山脈の峠がアルゼンチンとチリの国境。峠は全長3キロの長いトンネルで貫かれている。トンネルを抜け、チリに入り、首都のサンチャゴまで一気に走った。チリではアンデスの標高4765メートルのアグアネグラ(黒い水の意味)峠まで行った。日本風にいえば「黒水峠」のダートの峠道をおもしろく走った。

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チリ側に入ると一面のブドウ園

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チリの首都サンチャゴ

首都のサンチャゴに戻ると、アルゼンチンのブエノスアイレスへ。アンデス山麓のメンドサから再度、パンパを駆けた。復路では往路とルートを変え、コルドバ→サンタフェ→ロザリオ経由でブエノスアイレスに戻った。10日間で5137キロを走った「ブエノスアイレス→ブエノスアイレス」だった。

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(左)サンチャゴのバイクショップの修理工場で
(右)アンデス山脈のアグアネグラ峠へ

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ブエノスアイレスのオベリスク

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ブエノスアイレスのボカを歩く

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ブエノスアイレス 

ブエノスアイレスに戻ると、ふたたび、オンセ駅に近い「コーラルホテル」に泊まり、汗をたらたら流しながら、1日かけて町を歩いた。なつかしのブエノスアイレス。足はどうしてもラプラタ川のブエノスアイレス港に向かい、オランダ船の「ルイス号」が停泊したかもしれない岸壁に立ち尽くし、海のように広いラプラタ川を眺めつづけるのだった。

 

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ブエノスアイレス港の岸壁から海のように広いラプラタ川を眺める


2008年4月11日 (金曜日)

なつかしのブエノスアイレス(その1)

[ 99.海外, a.風景, 著者:賀曽利隆]

 
 

「南米・アンデス縦断」1万2500キロのゴール、アルゼンチンのブエノスアイレスは、ぼくにとってはなつかしの地。「ブエノスアイレス」と耳にするだけで、胸がキューンとしてくる。そんななつかしさを胸に秘めて町を歩いたのだ。

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(左)ブエノスアイレスの下町、ウルグアイ通りの「オルリーホテル」に泊まる
(右)「オルリーホテル」の部屋からの眺め

ブエノスアイレスで泊まったのは、ウルグアイ通りの「オルリーホテル」。ここを拠点にして町を歩いた。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは人口300万の大都市。まずはブエノスアイレスの中心、大統領府前の「5月広場」へ。ブエノスアイレスの町並みはこの広場を中心にして造られ、広がっていった。大統領府はピンクの建物で、「カサ・ロサーダ」と呼ばれている。アメリカの「ホワイトハウス」風にいえば、「ピンクハウス」になる。

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ブエノスアイレスの中心、大統領府前の「5月広場」

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(左)「歩行者天国」のフロリダ通りを歩く
(右)石畳の道を歩く

次にフロリダ通りを歩いた。「5月大通り」からサンマルティン広場までの約1キロの歩行者専用の通り。「歩行者天国」の通りの両側にはデパートやブティック、レストラン、カフェ、旅行会社など、さまざまな店が並んでいる。ここでは大道芸も見られるし、路上でタンゴを踊る人たちも見られる。数多くの露店も出ている。

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ターミナル駅の「レティロ駅」

サンマルティン将軍の騎馬像が立つサンマルティン広場は市民の憩いの場。大樹の木陰では気持ちよさそうに昼寝をする人の姿。草原ではビキニ姿の女性が日光浴している。そこから近い鉄道のターミナル駅、レティロ駅に行き、その隣のバスターミナルを歩いた。圧倒されるようなバスターミナルの光景。アルゼンチンの各地へ長距離バスが次々と出ていく。アンデスのリゾート地のバリローチェ行きやフェゴ島の玄関口のリオガジェゴス行きのバスも出ていく。全部で75番線までの乗り場があった。バスターミナルはまるで大空港のターミナルを思わせた。

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ボカ港の廃船

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海のように広いラプラタ川

最後はラプラタ川沿いのブエノスアイレス港。「ブケバス」のターミナルでは対岸のウルグアイの首都モンテビデオ行きの白い船が出ていくのを見送った。サッカーの強豪「ボカジュニアーズ」で知られるボカでは廃船の係留された港を歩いた。このボカ港はかつてはアルゼンチン随一の港だった。大西洋を越えてやってくる船はすべてこの港に着いた。当時は造船所もあり、ボカは船乗りや港湾労働者など大勢の人たちであふれかえっていたという。それが「ブケバス」のターミナルや客船のターミナル、延々とつづくコンテナヤードなどがある北港の「ダルセナ・ノルテ」に中心は移り、ボカ港は寂れていった。

ところでぼくが初めて海外に飛び出していたのは今から40年前のこと。1968年4月12日、バイクでの「アフリカ大陸縦断」を目指して友人と2人、スズキTC250ともども、横浜港からオランダ船の「ルイス号」に乗り込んだ。20歳の旅立ちだ。「ルイス号」は日本から出た最後の南米への移民船。釜山→香港→シンガポールから、インド洋を越えてアフリカへ。そしてケープタウンから大西洋を越え、ブラジルのサントス、ウルグアイのモンテビデオを経由し、アルゼンチンのブエノスアイレスまで行く船だった。アフリカまでは40日にも及ぶ長い船旅。そのため船内で一緒になった日本人や韓国人、台湾人の人たちとは家族同様の親しさになった。

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1968年4月12日、横浜港を出港するオランダ船の「ルイス号」。アルゼンチンのブエノスアイレス行きの船だ。
インド洋を越え、喜望峰を経由して大西洋を越えていく。

ぼくたちは「アフリカ大陸縦断」を目指し、南部アフリカ・モザンビークのロレンソマルケス(現マプト)で下船したが、港でのみなさんたちとの別れは胸をえぐられるほど辛いものだった。夜のロレンソマルケス港を出ていく「ルイス号」をいつまでも見送ったが、そのときぼくにとって「ブエノスアイレス」はどうしても自分のものでなくてはならない存在になり、「必ずや南米を一周する! そのときにブエノスアイレスに行こう!!」と、固く心に決めるのだった。

 
 
 

2008年3月28日 (金曜日)

我が愛車、『スズキDR-Z400S』

[ 00.全国, 99.海外, j.バイクインプレッション, 著者:賀曽利隆]

 

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アンデスの峠で

「南米・アンデス縦断」1万2500キロを走った我が愛車、スズキDR-Z400Sがまもなく日本に帰ってくる。アルゼンチンのブエノスアイレス港から船で大西洋を越え、アフリカのケープタウンからインド洋を越え、シンガポール経由で日本へ。来週の火曜日(4月2日)に横浜港の本牧埠頭で引き取れることになったのだ。2ヶ月あまりの長い船旅、ほんとうにお疲れさま。

 

このDRで初めて海外を走ったのは2002年のことだった。ぼくの長年の夢だった「シベリア横断」を一番の目的とした「ユーラシア横断」1万6000キロを走ったのだ。出発点はロシア極東の港町のウラジオストック。シベリアを横断し、欧亜を分けるウラル山脈の峠を越え、モスクワ、ワルシャワ、ベルリンを経由し、ユーラシア大陸最西端、ポルトガルのロカ岬をゴールにした。ロカ岬に立つ十字架の塔には「ここに地果て、海始まる」と、ポルトガルの有名な詩人、ルイス・デ・カモエンスの詩の一節が刻み込まれている。それが胸にしみた。

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(左)富山県の伏木港からロシア船の「ルーシー号」でウラジオストックへ
(右)バイカル湖で

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(左)ポルトガルの大西洋岸を南下
(右)ユーラシア大陸最西端のロカ岬に到着!

 

2004年には地中海からギニア湾へとサハラ砂漠を縦断した。チュニジアのチュニスを出発点にし、サハラ砂漠中央部のホガール山地を越え、ガーナのアクラまで6700キロを走った。長年、治安の悪化で外国人はほとんど通れなかったアルジェリアのホガールルートでの「サハラ縦断」。ぼく自身にとっては13度目の「サハラ縦断」になった。

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サハラ砂漠の砂丘

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(左)サハラ縦断路の道標
(右)サハラ砂漠中央部のホガール山地

2005年には東京から下関まで走り、関釜フェリーで韓国の釜山へ。バイクの持ち込みが出来るようになって間もない時期。釜山を出発点に北朝鮮との国境の「高城統一展望台」まで走り、そこでは朝鮮半島の名峰、金剛山を眺めることができた。「釜山→釜山」の「韓国往復縦断」は3000キロだった。

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(左)関釜フェリーで釜山港に到着
(右)38度線を越える

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(左)「高城統一展望台」から北朝鮮を眺める
(右)「高城統一展望台」から金剛山を眺める

 

2006年には「シルクロード横断」の1万3000キロを走った。出発点は中国の天津。シルクロードの玄関口、西安から西へ。中国最西端の町、カシュガルからパミール高原のトルガルト峠を越えてキルギスに入り、カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタンと中央アジアの国々を走破。イランからトルコに入った。欧亜を分けるボスポラス海峡を見たときは胸が熱くなった。「シルクロード」、それはぼくの子供の頃からの憧れで、小さいころは「中央アジアの探検家」を夢みていたほど。その子供の頃の夢を40何年目で成し遂げたのが「シルクロード横断」だった。

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(左)シルクロードを西へ。西安から蘭州に向かう
(右)タクラマカン砂漠縦断。大砂丘群が際限なくつづく

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(左)天山山脈の雪山群。キルギスで
(右)ボスポラス海峡に到達。対岸がイスタンブール!

そして今回の「南米・アンデス縦断」1万2500キロへとつづく。パタゴニアを縦断し、マゼラン海峡を越えてフェゴ島に渡り、世界最南の町、南緯55度のウシュワイアまで行った。ウシュワイアからは大西洋側を北上。ゴールはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスだった。

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ボリビアの高地を行く