豪雨の思い出
[ 03.関東・甲信越, d.道, z.その他, 著者:滝野沢優子]
梅雨明けしたというのに、雨続きの毎日で各地で豪雨による水の事故が相次いでいます。そうしたニュースを聞くたびに、私は10年前のできごとを思い出してしまいます。
10年前、1998年の8月末、当時私が住んでいた那須高原一帯が豪雨に見舞われました。1週間ほど降り続いた雨の総雨量は1200mm、那珂川に架かる国道4号線の橋も流され、那須地域は東京方面へのアクセスが途絶えて陸の孤島と化していました。
そんな状況が数日続き、満足に外出もできない中で迎えた8月27日。朝から停電で、電話も通じなければTVもラジオのニュースもまったく見られず、ただ激しい雨だけが降り続いていました。
その日は忘れもしない、我が夫の30歳の誕生日でした。せっかくの記念日だし、何かごちそうでも買いに行こうかと思ったところで、山の中にある我が家から最寄のスーパーまでは10キロ以上もあるので、歩いては行けません。公共交通手段もないド田舎だったので、自分の車かバイクで行くしかないのですが、さすがに躊躇していたところ、すぐ近くの職場から我が夫がご帰還。好物の刺身どころか酒も底をつきかけているのを知り、
「俺の誕生日に刺身もないのか~!」
と言い出し、なんとか買出しに行こうということになったのです。とはいえ、外は大雨。やっと見られるようになったTVのニュースでは、あちこちで洪水被害の画像が映し出されていました。それがすぐ近所だったのでさすがに驚いたけれど、それでも買い物に行くのをやめなかったのは、若気の至りだったか、刺身に対する我が夫の執念だったか、はたまた洪水の現場を見たかったという好奇心だったのか。
「車はマズイ。オフロードバイクなら車高もあるし、まだ安全だろう」
と、バイク2台で出かけたのでしたが、それが甘い考えだったのを知ったのは帰り道のことでした。行きにはまだ問題なく通れた国道4号へと続く4キロほどの道が、帰りには激流となっていたのでした。水かさが膝下くらいのところまでは、それでもなんとかバイクで進めたものの、水位が膝上にまでなると、さすがに無理で降りてバイクを押しながら進んで行ったのですが、登り坂を激流に逆らって進むにはセローはパワー不足だったのと、横からの鉄砲水にハンドルを取られて転倒したあとは、 あっという間にバイクもろとも流され、激流と化した県道の坂道を転がり落ちていたのでした。水位は膝上しかないのに、まったく抵抗できないままゴロゴロと転がるしかない我が身。こんなに浅いところでも立ち上がるどころか水から出て息をすることもできず、
「このまま溺れ死んじゃうかも」
と頭の片隅で思いました。そのうちどこかの窪みにはまって止まり、九死に一生を得たのでした(ちょっと誇張気味?)が、 人間って案外簡単に死んでしまうことを身をもって体験しました。あのまますぐ横の川まで流されていれば、どうなっていたことか。とにかく、このときはバイクの心配よりも自分を守るだけで精一杯でした。
その後は、まだ転倒していない我が夫のバイクを2人で押して小高い場所まで避難させ、激流の中を手に手を取って2キロあまりの帰路をずぶぬれになりながら歩いて命からがら家まで戻ったのでしたが、散々な記念日となりました。それでも背中のザックに入れていた刺身や唐揚げのごちそうは流されることなく死守し、なんとか誕生日の宴を開催できたのでしたが、2人とも終始ボー然。バイクも心配でしたが、それ以上に命が助かったよかった~、と本気で思ったのでした。

**豪雨の中、命からがら家にたどり着き、宴会をしているところ。 ボー然としています**
流されたバイクは翌日、雨が上がってから探しに行きました。
前夜、激流になっていた県道はすっかり水が引き、いつものアスファルト路面になっていて、バイクはアスファルトの窪みにすっぽりとはまっていました。川に流されたら発見できなかったところでしたが、よかったなあ、と思ったのもこのときだけで、結局1万キロも走っていなかった新車同様のセローはよみがえることはなく、短い命を終えたのでした。
あれ以来、大雨が降るたびに流された記憶がよみがえり、「大雨のときはバイクに乗らない」と心に誓っております。みなさんも雨を甘くみることなく、十分に気を付けてくださいね。



















































































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