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2008年7月26日 (土曜日)

ツーリング半島 伊豆へ

[ 03.関東・甲信越, a.風景, b.温泉, c.食べる, e.峠, 著者:瀬戸雅彦]

伊豆半島を久々に巡ってきました。

伊豆ツーリングとひとくちに言っても、おすすめルート、おすすめポイントがありますので、ツーリングマップルをよく見てプランをたてていただきたいところです。

今回はなかでも厳選したおすすめポイントを御紹介しましょう。まず食事処として宇佐美の「ふしみ食堂」(関東P12K-1)があります。ライダーのあいだではもうすっかり有名で特に刺身定食、鯵たたき定食は王道です。朝6時から営業しているので、ここで腹ごしらえしてから伊豆半島INがおすすめ。

伊豆高原はいつも渋滞気味でどうも苦手なので、伊東からは川奈方面の海沿いを選び南下。国道135号沿いの北川温泉・黒根岩温泉はすぐ目の前に太平洋がひろがる混浴の絶景露天風呂。ただし朝630分~930分、夕方16時~23時のみの営業(19時~21時は女性専用)と時間制限があるので注意。大川や熱川にも海沿い露天風呂がありますがやはり北川温泉が一番。

相模灘に沿って国道135号を南下していき、南伊豆へ。爪木崎(関東P13H-5)はバイクで岬近くまで行ける岬らしい岬。灯台までの遊歩道もなかなか旅情があっていいのですが、今は少し暑いかもです。ベストは意外にも12月~2月と冬の時期で、スイセンが一面満開になります。

下田からは南端の石廊崎を目指すか、中伊豆に入っていくか、迷うところ。ここでは中伊豆方面をチョイス。小説「伊豆の踊り子」で有名な宿「福田家」(関東P13G-2)は、伊豆らしさを今なお残す雰囲気ある一軒宿。すぐ近くにはひなびた共同浴場もあって、このあたりは中伊豆でも好きな場所です。6月にはホタルの灯が見られる部屋もあり、なんとも風情があります。

ここからはオフロード派なら伊豆で走れる数少ないダートである大鍋林道で峠を越え、大沢温泉別館・山の家野天風呂(関東P13D-2)へ。昭和29年オープンという歴史ある露天風呂は、森林浴もできそうな自然豊かな湯で自家源泉・掛け流し。つい最近までは敷居が湯船の半分ぐらいまである混浴でしたが、今は完全に敷居で分けられた男女別になっていました。

松崎に抜けたあと、県道59号で再び山間部へ。グングン標高を上げて到達する標高900mの仁科峠(関東P12D-6)は、峠が多い伊豆半島の中でももっとも峠らしい峠のひとつ。今の季節でも爽やかな涼風が吹き、牧場の家のソフトクリームを食べて、しばらくいたくなるほどの快適な絶景地。県道411号で土肥峠へ抜けるとそこからはかつての西伊豆スカイラインであり、現在は県道127号として最高に気持ちがいい達磨山頂をかすめるツーリングルートとなりました。ぜひ走ってみてください。戸田峠に抜けパスハンティング(峠狩り)もここで終了。

県道18号で修善寺へ。「筥湯(はこゆ)」(関東P12F-2)は8年前のオープンですが、かつて川沿いにあった9つの外湯のひとつでした。昭和20年代には「独鈷の湯(とっこのゆ)」のみとなってしまいましたが、最近この筥湯のみリニューアルしたというわけです。総檜の香りがただよう内湯でやわらかい陽が射し込み、最高に気持ちがいい湯なのです。僕は伊豆ツーリングの最後に立ち寄ることが多いです。入口ではバイク好きなおじさん(CB1300に乗っていると言っていた)としばしバイク談義。修善寺全体のおおらかな温泉街としての雰囲気も好きなのです。

海の魅力・山の魅力にあふれた伊豆半島。古くからの伊豆らしさは健在ですよ。

Hakoyu2はこ湯」の外観。番台の御主人がまたいい人

Hakoyu_2 個人的にツーリングの締めは、いつも「はこ湯」

Nisina 「仁科峠」。あいにく霧が発生していましたが涼しい~

Oosawa 「大沢温泉」。山間の素朴な露天風呂もいいね

Fukudaya 最高に趣きがある宿「福田家」

Tumekizaki 「爪木崎」は静岡県絶景100選の第3位

Hokkawa 「黒岩根温泉」は潮騒がBGM

Sirasu 「ふしみ食堂」で。この日は地物の「しらす丼」を頂く

2008年7月23日 (水曜日)

歴史国道 白銀坂

[ 07.九州・沖縄, a.風景, e.峠, 著者:坂口まさえ]

連日、猛暑が続きます。
この暑さのせいか?先日、炭酸飲料をバックにしのばせ、炎天下を散歩。
途中で、「あーー、喉が渇いたー」と炭酸飲料のフタを開けたところ、
ブシュわぁーーー!!
と、ものすんごい音を立てて、噴水のような炭酸シャワー降ってきました。
こんな日照りの日に・・・なぜか私だけビショ濡れ状態・・・
くれぐれも、炎天下の炭酸飲料持ち歩きは気をつけてくださいっ!!

さてさて、NHKの大河ドラマもとうとう、家定さんの時代が終わり、篤姫様も天璋院へと落飾し、いよいよ幕末の騒がしい時代へと突入しそうです。
さて、今回はそんな歴史話題にちなんで、歴史国道「白銀坂」(51L-7)の紹介で
す。その前に、歴史国道ってなんぞや?ってことですが、「歴史国道」とは、人の往
来によって生まれた文化と歴史をもつ道路を主軸に、その沿道に残る遺跡や町並
みを活かした魅力ある町づくりを目指す、建設省と沿道市町村による整備事業。
歴史上重要な幹線道路として利用され、国として特に重要な歴史的文化的価値を
有する道路を称しています。
九州・沖縄エリアでは、大分県日田市の「 日田往還」、長崎県長崎市の「長崎街
道「日見峠」」    、鹿児島県姶良町の「大口筋(白銀坂)」、沖縄県恩納村の「国頭
方西街道」が歴史国道とされています。

で、今回はその中の一つ、「白銀坂」ですが、この白銀坂は、鹿児島県、姶良町
脇元から吉田町牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。この白銀坂は、参勤交代での主
要道である大口筋の難所として、多くの人に知られていたそうです。 現在、白
銀坂の下を海沿いに走る国道10号線の道が、明治に開通して以来、この白銀坂は
主要道路としての役目を終え、利用者もなくなり、次第に忘れ去られていったよ
うです。
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しかし、先に述べたように、「歴史国道」としての整備事業が行われたことで、
風雨にさらされて痛んだ石畳を復活させ、現在では坂の全長4Kmのうち約2.7Kmが
残っています。ということで、私も難所に挑戦。
鹿児島市内から加治木町に向け、海と桜島を横目に国道10号線を走らせると、姶
良ICへ分岐する県道57号線の案内板の手前左手に「白銀坂」の案内板があります
。そのまま、県道57号に左折して、またすぐ左折。と、そこが公共の駐車場にな
るので、ここでバイクを降りて、歩いていざ白銀坂へ。
白銀坂の上り口、「大口筋白銀坂」の支柱のところに到着すると、いきなりの急
坂。
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「ああああー、上っているーー。」と、とにかく上へ。上へ。 難所と言われて
いただけあって、急坂の連続です。最後まで・・・と思ったけど、思いのほかの
急坂で日が暮れてきたので、この日は途中までで引き返しました。(さすがに夜
道は歩きたくない・・・) なので、次回はもっと余裕をもって来よう!と思う
ことでした。
それにしても、この同じ山道を薩摩のお殿様や、西郷さんや大久保さんたちも通
ったのんでしょうね。人や時代は変わっても、見ている風景は一緒なんだなーー
ーと思うと、なんだか不思議な感じがしました。
51l7_010こんな石畳が延々と続きます

ここまで、来たのなら、ちょっと足をのばして、日本一の「蒲生の大楠」へはい
かがでしょう?ここ、蒲生八幡神社にある楠は、樹齢約1500年、根周り33.5m、
目通り幹囲24.22m、高さ約30m。環境庁が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査
で、正真正銘日本一に認定されています。ほんとーーーに大きくて毎度見る度に
、「おおおお!」と言ってしまいます。お気に入りは、幹には扉がついていて、
鍵があって中には入れないのですが、神主さんに話を聞いてみると、な、なんと
8畳ほどの空間が内部に広がっているそうです。 なんか、トトロみたいなのが
住んでそうでそうな大樹。 オススメですー。
52k6_029 蒲生八幡神社
52k6_019 気になる扉
52k6_007 これが日本一の楠です!

2008年7月11日 (金曜日)

東北四端紀行 北端編(その1)

[ 02.東北, a.風景, b.温泉, e.峠, g.林道・ダート, h.泊まる, 著者:賀曽利隆]

「東北・北端編」の出発点は八戸道の終点、八戸北IC(高速道はそのまま百万石道路→第二みちのく道路となって三沢まで通じている)。そこから国道338号で三沢へ。スズキDR-Z400Sを走らせる。

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八戸道の八戸北ICに到着!

「米軍三沢基地」で知られる三沢は、知られざる温泉の宝庫。市内の何ヵ所にも温泉銭湯があり、何軒かの温泉旅館がある。そんな三沢の温泉を1日かけてまわり、太郎温泉でひと晩、泊まった。ここには温泉銭湯に隣りあって温泉旅館があるが、朝食つきで3825円という安い宿泊費で泊まれた。

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三沢の太郎温泉を出発

翌朝、三沢から太平洋岸の国道338号を北上。三沢の淋代海岸には「太平洋無着陸横断記念碑」。「ミスビードル号記念広場」には「ミスビードル号」の実物大の模型が飾られている。

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「ミスビードル号」の模型

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(左)淋代海岸
(右)国道338号を北上

昭和6年(1931年)10月4日午前7時01分、アメリカ人クライド・E・バングボーンとヒュー・ハーンドン・ジュニアの2名の乗ったベランカ単葉機、朱色の「ミスビードル号」は425馬力のエンジン音を響かせ、この地からアメリカ・ユタ州のソルトレークシティーを目指して飛び立った。

その2日後の午前0時14分、シアトル東方のワシントン州ウェナッチ飛行場に胴体着陸し、人類史上初の太平洋無着陸横断飛行を成しとげた。飛行距離は7910キロ、飛行時間は41時間13分、平均飛行速度は192キロ(毎時)だった。

淋代海岸は今も、その名の通りの淋しげな海岸だが、この地は劇的な歴史の1ページを飾った舞台でもあるのだ。

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(左)小川原湖の出口
(右)小川原湖から流れ出る高瀬川

小川原湖から流れ出る高瀬川を渡り、さらに国道338号を北上し、下北半島に入っていく。「原燃」の原子燃料サイクル施設群や石油備蓄基地の巨大タンク群を見、六ヶ所温泉の湯に入り、県道179号のダート区間を走ったりしながら物見崎に到着。白糠漁港出口の岬には白い灯台が立っている。

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(左)六ヶ所温泉に入る
(右)県道179号のダート区間(6.0km)を走る

何年か前に灯台の真下で野宿したとこのことが鮮やかに思い出される。夜が明けてさて、出発しようかというときに、地元のおばちゃんがやってきた。
「よく、ここで寝られたねえ」

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(左)物見崎の灯台
(右)物見崎の海岸

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物見崎の吸い込まれそうな海

その何日か前に、若い母親が小さな娘2人を道づれに海に飛び込んだという。母親と娘さん1人の遺体は収容されたが、もう1人の乳飲み子はいまだに発見されていないという。物見崎の海はすばらしくきれいだし、岬から眺める風景もじつに美しい。そんな岬で…。国道338号から県道248号→県道172号→県道6号で下北半島北西端の尻屋崎へ。

岬への入口にはバーが下りている。その手前でDRを停め、「二輪車用押しボタン」を押し、バーを上げて入っていく。岬周辺の草地では「寒立馬」で知られる骨太の馬や牛が放牧されている。

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(左)尻屋崎入口のゲート
(右)尻屋崎の海岸線の道。正面に灯台

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尻屋崎は自然の花畑!

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(左)尻屋崎の寒立馬
(右)寒立馬の親子

松林を走り抜け、海岸に出る。白っぽい石灰岩の道が岬突端の灯台へとつづいている。そこには「本州最涯の地」碑が建っている。岬と灯台は切っても切れない関係にあるが、ここの灯台は日本に数ある灯台の中でも一番、絵になる(と思っている)。

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尻屋崎の灯台

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(左)「本州最涯地」碑
(右)尻屋崎周遊道路を行く寒立馬

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(左)「絶景路」の尻屋崎周遊道路
(右)海に落ちる山並み。その向こうは「尻労」の集落

DRを停めると、岬の涯っぷちに座り、海を眺めた。左手には下北半島の山々が重なりあって見える。その山並みはストンと海に落ちている。目の向きを変えると、北海道の山影が津軽海峡の水平線上に霞んで見える。その右端が恵山岬だ。

尻屋崎からは県道6号で下北半島の中心、むつの田名部へ。

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(左)宇曽利山湖畔にDRを停める
(右)宇曽利山湖


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宇曽利山湖の風車

田名部からは県道4号で恐山に行く。入山料の500円を払い、「日本三大地獄」の恐山を歩く。そのあと恐山温泉の湯に入る。境内には4湯の湯屋があるが、4湯とも素朴感の漂う木造りだ。「古滝の湯」→「冷抜の湯」→「薬師の湯」→「花染の湯」という順番で4湯をまわった。女性専用の「古滝の湯」以外の3湯に入ったが、「冷抜の湯」と「薬師の湯」は男性専用、「花染の湯」は混浴になっている。

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恐山温泉「花染の湯」

どこも木の湯屋、木の湯船、木の洗い場。総木造りの温泉なんて、今の時代では最高の贅沢。白濁色の湯には酸味があり、強い硫黄臭がある。駐車場には観光バスがズラズラズラッと並ぶような恐山なのだが、3湯とも入浴客はぼく一人だった。

恐山温泉に大満足し、田名部へと下る。その夜は田名部に近い斗南温泉の「むつグランドホテル」に泊まり、翌日、「東北最北端」の地を目指した。






2008年7月 4日 (金曜日)

東北四端紀行 南端編(その5)

[ 02.東北, b.温泉, c.食べる, d.道, e.峠, 著者:賀曽利隆]

「東北南端編」の最後は国道121号での山王峠越え。前回と同じように東北道の宇都宮ICが出発点。日光宇都宮道路で今市まで行き、そこから国道121号を北上。国道352号と重複している。スズキDR-Z400Sを走らせ、鬼怒川温泉川治温泉と通り、関東北部の山中に入っていく。この道は古くからの関東と会津を結ぶ街道の「会津西街道」。上三依で塩原温泉郷から尾頭峠を越えてくる国道400号と合流するが、このルートが昔の「会津東街道」に相当する。関東から会津への会津街道はもう1本、「会津中街道」があって、那須連峰の最高峰、三本槍岳(1916m)西側の大峠を越え、下郷に通じていた。「会津東街道」は尾頭峠のトンネルの完成で蘇ったが、「会津中街道」は廃道同然の山道になっている。

 

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山王峠。峠のトンネルを抜け、東北(会津)側に入った!

こうして国道121号は国道352号、国道400号と、3本の「重複国道」となって山王峠を越えていく。この「重複国道」だが、きちんと3本の国道のルートナンバーが表示されている。エライ。日本中の「重複国道」が一日も早く、そうなることを期待する。

さて、栃木・福島県境、というよりも関東と東北(会津)の境となる山王峠は前回越えた帝釈山脈の一番、東側の峠になる。冬だとこの峠を境にして関東側は晴天、会津側は雪ということがよくある。冬ツーリングでは痛い目にあっているところで、カチンカチンのアイスバーンに何度、転倒したことか。中央分水嶺の峠で関東側の川は鬼怒川→利根川となって太平洋に流れ出る。東北側の川は大川→阿賀川→阿賀野川となって日本海に流れ出ていく。
山王峠のトンネルを抜け、福島県側に入ったところでDRを停め、

「さー、東北だ~!」

と、雄叫びを上げるのだ。
山王峠を下ったところで、国道352号が分かれ、中山峠を越えて前回の檜枝岐へと通じている。さらに南会津の中心、田島で国道400号が分かれ、舟鼻峠を越えて会津川口に通じている。そして田島から下郷までの間は国道289号との「重複国道」になる。

下郷では国道289号が分かれ、全長4345メートルの「甲子トンネル」で甲子峠を抜け、白河にまもなく通じる予定だ。今年度(2008年)中には開通し、通行できるようになるとのことだが、まだその日時は決まっていない。この甲子トンネルが通れるようになると、我々の東北ツーリングもさらにルートの選択が増すというもの。おおいに期待しようではないか。

下郷から湯野上温泉までの間が、「今市→会津若松」間で唯一、国道121号単独のルートになる。

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湯野上温泉の混浴露天風呂。うれしい無料湯!

湯野上温泉では大川の河原にある無料湯の混浴露天風呂に入った。湯につかりながら目の前を流れていく大川を眺める。ここは脱衣所もないので女性ライダーのみなさんにはちょっと厳しいかも。それともうひとつ、夏の間はアブの猛攻を受ける。夏の東北の露天風呂、アブさえいなかったら…。

湯野上温泉で国道118号と合流。会津若松に向かっていく前に、この国道118号で奥羽山脈の鳳坂峠まで行き、その間の温泉に入っていく。

まずは二岐温泉。下郷町から天栄村に入ったあたりで国道118号を右折し、5キロほど南に行ったところにある。かつてはダートだったが、今は舗装路なのでロードバイクでも問題なく行ける。ここでは「湯小屋」(入浴料500円)の内風呂と露天風呂に入った。源泉掛け流し、飲泉可。なかなかの湯だ。

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(左)「湯小屋」の内風呂
(右)「湯小屋」の露天風呂

国道118号に戻り、何軒かの温泉宿のある岩瀬湯本温泉へ。そこでは、茅葺屋根の古風な温泉旅館「湯口屋」(入浴料500円)の湯に入った。内風呂のみで熱めの湯。昔ながらの東北の湯治場を感じさせる岩瀬湯本温泉だ。

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国道118号沿いの「清水」で昼食。「しょうが焼き定食」を食べる

国道118号沿いの食堂「清水」で昼食にし、「しょうが焼き定食」を食べ、奥羽山脈の鳳坂峠へ。標高882メートルの峠上にDRを停め、記念撮影。鳳坂峠を含めた奥羽山脈の一連の峠は福島県を「会津」と「中通り」に分けている。なお、『ツーリングマップル』(関西編)を担当している滝野沢優子さんは、この鳳坂峠を下った中通り側の天栄村に住んでいる(優子さん、いいところに住んでいますねえ!)。天栄村は奥羽山脈をまたいで会津、中通りの両側に村域が広がっている。

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国道118号の鳳坂峠奥羽山脈の中央分水嶺の峠だ

 

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(左)芦ノ牧温泉「芦ノ牧グランドホテル」の大浴場
(右)「芦ノ牧グランドホテル」の露天風呂

鳳坂峠で折り返し、湯野上温泉に戻ると、北へ。会津盆地の手前に大川沿いでは最大の温泉地、芦ノ牧温泉がある。ここでは「芦ノ牧グランドホテル」(入浴料700円)の湯に入った。大浴場と露天風呂。露天風呂からは大川の渓谷を見下ろした。ここを最後に広々とした会津盆地に入っていく。水田の向こうに眺める南会津の山並みが印象的。会津若松の街並みを走り抜け、会津若松ICで高速道に入り、磐越道→東北道で東京に戻った。

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会津盆地の稲田越しに南会津の山々を眺める


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(左)会津若松の市内に入っていく
(右)会津若松の中心、鶴ヶ城公園で

2008年6月30日 (月曜日)

熊野古道・「牛馬童子」の頭部破損事件に思う

[ 05.関西, d.道, e.峠, 著者:滝野沢優子]

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**読売新聞の記事**

 6月18日、牛馬童子の頭が切断されている、というニュースが放映されました。

 牛馬童子といえば、世界遺産・熊野古道で一番人気のある中辺路のシンボル&アイドル的存在。その名の通り、牛と馬を従えて2頭に跨る童子の像で、高さ50cmほどの小さなものです。早くに出家した花山天皇がモデルとも言われていて、箸折峠の深い林中に佇む愛らしい姿は、昔も今も人々の心をなごませてくれていたのに…。
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**在りし日の牛馬童子。 熊野古道を歩く人の休憩スポットでもありました**
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**とがの木茶屋(右)と裏手にある牛馬童子のレプリカ。名物の古代だんごを食べたら、ぜひ見学を! **

 地元では現在頭部を必死の捜索中ですが、 峠までは国道311号沿いの「道の駅牛馬童子パーキング」 から徒歩15分(もっと近くまでいける道もあり)、歩いてしか行けないだけに人目につきにくく、目撃者はいません。なので犯人逮捕の可能性は残念ながら少ないでしょう。
 胴体だけになった像は、破損した部分の劣化を防ぐために無粋なブルーシートを掛けられてしまっています。しばらくは本物を拝むことはできませんが、「とがの木茶屋」の裏手にレプリカがあったので、熊野古道を歩く方、忘れずに見ておきましょう。いずれにしてもひどい話です。早く発見されるなり、復元されるなりして牛馬童子の復活を願っています。

 牛馬童子の事件に限らず、こうした事件が最近頻発しているように思います。
 
 子猫を残虐な方法で殺し、それをネットで自慢げに公開したり、先日の秋葉原事件のように無差別に人間を殺してしまったり…。自分勝手な理由で、あるいは理由なんて何もなく生き物の命を奪うことが平気でできてしまうのは、本当に恐ろしいことです。これからの日本は大丈夫なのか、なんて本気で心配してしまいます。

 ネットやゲームばかりに熱中して架空の空間でしか自己実現できないオタク的な若者。その結果、現実の世界では人間関係がうまく築けなくなり、引きこもったり、事件を起こしたりしてしまう。秋葉原事件のあとも同様に犯行を予言したり、犯人を神様扱いしたり、共感する内容の書き込みが多数あるらしく、予備軍が潜在的にいるんだ、という事実にもびっくりしました。怖いことです。

 こうした若者が増えている背景には、格差社会のひずみがあるとも言われていますが、そればかりではないように私は思います。若い人が旅をしなくなったからではないでしょうか。
 日本を、世界を旅して、いろんな人と出会い、違う文化を知り、そして自分を知る。旅をすることで見えてくるものがたくさんあるし、自分も成長できるのではないかと思うのです。人生の時間は限られているのだから、貴重な時間を無為に過ごし、引きこもっているなんて、あまりにももったいないことです。

 つまり、若い世代に旅の楽しさを伝えていくことは、私たちの大事な役目だということです。ツーリングライダーのみなさん、犯罪をなくすために、どんどん旅の布教活動をしようではありませんか!

 蛇足ですが、以前、中部担当の内田さんが書いていたように、ネットなんてなかった時代のほうが、不便だけど健全で楽しかったのだと思います。
 そういう時代に育った世代、たとえば還暦ライダーの賀曽利氏などの熟年組、 75歳でエベレストに登った三浦雄一郎氏など、後期高齢者と呼ばれる世代など、中高年の元気さが目立ちます。あちこちで出会うツーリングライダーの年齢層もかなり高く、若い人は以前よりずいぶん少なくなりました。先日泊った萩のユースホステルでも、宿泊者全員が熟年世代で、私が一番若かったという驚愕の事実がありました。もはや「ユース」という名称はふさわしくないですね。

中辺路

2008年6月27日 (金曜日)

東北四端紀行 南端編(その4)

[ 02.東北, b.温泉, c.食べる, e.峠, g.林道・ダート, h.泊まる, 著者:賀曽利隆]

関東と東北を分ける帝釈山脈の峠を越えようと、スズキDR-Z400Sを走らせ、東京から東北道で宇都宮ICへ。そこから日光宇都宮道路に入っていく。今市ICで降り、国道121号を北へ。鬼怒川温泉、川治温泉と通り、五十里湖畔で県道249号で平家落人伝説の湯西川温泉へ。そこでDRを停めた。

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(左)東北道の宇都宮IC
(右)湯西川沿いの湯西川温泉

温泉街をプラプラ歩き、湯西川にかかる湯前橋のたもとにある共同浴場の湯に入る。湯銭箱に100円を入れて湯につかった。ここは混浴の湯だが、入浴客はぼく一人。泉質自慢の湯を独り占めした。う~ん、たまらん!

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湯西川温泉。左手の手前が共同浴場

ここから東北南端の帝釈山脈の峠越えを開始した。安ヶ森林道、田代山林道、川俣檜枝岐林道と3本の林道で中央分水嶺の帝釈山脈の峠を越えるのだ。

まずは安ヶ森林道。湯西川温泉から来た道をわずかに戻り、安らぎの森キャンプ場への道に入っていく。キャンプ場前を通り、安ヶ森林道に入っていく。そして栃木・福島県境の安ヶ森峠に到着。栃木県側は全線舗装。かつては路面に白砂の浮くスリッピーなおもしろいダートだったのだが…。峠には「林道開通記念碑」が建っている。

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安ヶ森峠の「林道開通碑」

帝釈山脈の安ヶ森山(1353m)の西側の安ヶ森峠は田代山林道の田代山峠、川俣檜枝岐林道の馬坂峠に比べると標高が低いので、積雪時や残雪時など田代山林道&川俣檜枝岐林道が通れないときでも、ここは通れることがよくある。

安ヶ森峠を越えて福島県側に入るとうれしいダート。「林道天国」の東北を象徴するかのような峠を境にしての変化だ。峠を下り、渓流沿いを走り、森の中を抜けていく。路面は整備されていて走りやすい。15.3キロのダートを走りきり、国道352号に出た。

そのあと奥会津をめぐり、その夜は木賊温泉の民宿「若松屋」に泊まった。
「若松屋」では美人女将のえみ子さんが地のものをふんだんに使った夕食を用意してくれる。えみ子さんに会いたくて、えみ子さんの手づくりの夕食を食べたくて、「若松屋」に泊まりに来るライダーは少なくない。その夜はえみ子さんにつがれるままに飲み、おおいに語りあい、

「私も放浪の旅に出たい!」

などといわれてよけいに盛り上り、宴は夜中までつづいた。
翌朝は「若松屋」前の岩風呂に入る。混浴の露天風呂。湯につかりながら目の前の西根川の流れを見る。体が火照ると冷たい流れに入って渓流浴。これがいいのだ。体がシャキーッとする。朝食を食べ、食後のコーヒー(「若松屋」では欠かせない)を飲み、またひとしきりえみ子さんと話し、出発。2本目の田代山林道に向かっていく。

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木賊温泉の民宿「若松屋」の夕食

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(左)木賊温泉の混浴露天風呂の「岩風呂」
(右)木賊温泉の「岩風呂」の前を流れる西根川

木賊温泉からは唐沢林道で唐沢峠を越え、湯ノ花温泉へ。トンネルが建設中だが、なかなか完成しない。唐沢林道には2.6キロのダートが残っている。

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唐沢林道の唐沢峠

湯ノ花温泉には全部で4ヶ所に共同浴場があるが、そのうち「湯端の湯」(入浴料200円)に入り、最奥の集落、水引から田代山林道に入っていく。すぐにダート。水引から11.4キロ地点が田代山の登山口。帝釈山脈の田代山は標高1926メートル。山上には「小尾瀬」といわれる田代山湿原があり、花の季節になると駐車場は満杯になるくらい登山者がやってくる。ここから田代山の山頂までは2.0キロだ。

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湯ノ花温泉の共同浴場「湯端の湯」
「湯端の湯」の浴室内

さて、田代山林道だが、田代山登山口の先で通行止め。よくあることなのだ。田代山林道は近年、ひんぱんに通行止めになっている。福島県側はたいてい問題ないのだが、栃木県側が通れない。ということで、田代山近くの田代山峠は越えられなかった。

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田代山林道を行く

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(左)田代山の登山口
(右)田代山林道の通行止め地点

来た道を引き返し、国道352号で尾瀬への玄関口にもなっている檜枝岐へ。尾瀬檜枝岐温泉の共同浴場「駒の湯」(入浴料500円)に入る。

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尾瀬檜枝岐温泉の共同浴場「駒の湯」

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(左)「駒の湯」の大浴場
(右)「駒の湯」の露天風呂に入る

湯から上がると、すぐ近くの「檜枝岐村歴史民俗資料館」(入館料210円)を見学。ここはオススメ。なかなかの展示でみごたえがある。

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「檜枝岐村歴史民俗資料館」

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(左)狩猟用具
(中)農具と木工具
(右)漁労の道具

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(左)檜枝岐で盛んにおこなわれていた「木地」の展示
(中)木地師の道具
(右)曲輪づくり

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(左)檜枝岐の方言
(右)檜枝岐歌舞伎

檜枝岐からは国道352号で新潟県境まで行ってみる。
檜枝岐川沿いに走り、「ぶな坂の清水」前を通り、尾瀬探訪の拠点「村営御池ロッジ」前を通り、ゆるやかな峠を越える。その名無しの峠が檜枝岐川と只見川を分けている。
東北南端の豊かな自然を味わいながら下っていくと只見川にかかる金泉橋に出る。そこが福島県と新潟県の境。そのまま国道352号を行けば、枝折峠を越えて小出に出る。

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(左)檜枝岐の案内板
(右)「ぶな坂の清水」

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(左)福島県と新潟県の境を流れる只見川
(右)只見川にかかる県境の金泉橋

そして檜枝岐に戻り、3本目の川俣檜枝岐林道に入っていく。国道352号から3.7キロ地点でダートに突入。10.9キロのダートを走ると、帝釈山脈の 福島・栃木県境の馬坂峠に到達。ここは帝釈山脈の主峰、帝釈山(2059m)の登山口で、帝釈山の山頂まではわずか0.9キロでしかない。

馬坂峠を越え、栃木県側を下ったところではクマとの遭遇。いままで林道を横切るクマを何度か見たが、そのクマは林道を横切るのではなく、DRの前を懸命になって走っていく。速い、速い。やがてポーンとジャンプして森の中に消えた。それはクマからは想像もできないようなじつに俊敏な動き方だった。

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川俣檜枝岐林道を行く

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川俣檜枝岐林道の馬坂峠

最後は川俣湖にかかる川俣大橋のたもとに出たが、37.7キロのダート。そこから鬼怒川沿いに川治温泉に出、来たときと逆のルートで東京に戻るのだった。

(※この項の取材は2006年7月10~11日に行なわれたものです)


2008年6月20日 (金曜日)

東北四端紀行 南端編(その3)

[ 02.東北, b.温泉, c.食べる, d.道, e.峠, g.林道・ダート, 著者:賀曽利隆]

栃木県の宇都宮から国道4号を北上。スズキDR-Z400Sを走らせ、東北の入口の福島県境に向かっていく。栃木県と福島県の境は黒川。那須連峰から流れ出る川で、流れ下ると那賀川に合流する。黒川にかかる「栃福橋」を渡り、福島県に入っていく。まずは奥州街道(国道4号)で東北に入ったのだ。

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(左)奥州街道(国道4号)の栃木・福島県境
(右)栃木・福島の県境を流れる黒川

県境から白河へ。ゆるやかな峠を登っていく。1キロほど登ったところが「稗坂」の信号。そこでは那須に通じる県道68号が分岐している。その先が名無峠。あまりにもゆるやかな峠なので、ほとんどの人は峠とは意識しないで白河に下っていく。この名無峠は重要なので仮に「稗坂峠」とでもしておこう。この稗坂峠を越えると、東北の大河、阿武隈川の水系に変わる。つまり稗坂峠は関東と東北を分ける自然の境界線になっている。

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国道4号の稗坂峠(仮称)

県境の栃福橋から4キロほどで東北道の白河IC。その先2キロほどで西郷村から白河市に入る。国道4号の白河橋の下でDRを停め、目の前を流れる阿武隈川をしばし眺めた。 さて、白河だ。東北の玄関口の城下町。町中を走る。江戸時代の城下町がそっくりそのまま残っているようなところで、道幅は狭く、敵の襲撃を防ぐクランク道がいまだに残る。レトロ調のJR白河駅前でDRを停め、駅前の案内板を見て城山公園へ。ここは小峰城址。江戸時代の松平氏の拠城だ。白河の松平氏というと、寛政の改革をおこなった松平定信が有名だが、「森下紀行」のしょっぱなでめぐった深川の霊巖寺が思い出される。松平定信の墓は霊巖寺にある。白河と深川は密接の結びついている。

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(左)国道4号の白河橋の下を流れる阿武隈川
(右)JR白河駅前

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(左)白河の城山公園
(右)小峰城址

次に南湖公園へ。南湖を見て、旧奥州街道の国道294号を南下。ふたたび福島・栃木の県境に向かっていく。国道289号との交差点から5キロほど行くと白坂に着く。そこは奥州街道の奥州側最初の宿場だった。

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(左)南湖公園の南湖
(右)旧奥州街道の国道294号を行く

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旧奥州街道の宿場、白坂

白坂から1キロほど行くと福島・栃木県境の明神峠に到着。ここには境の明神がまつられている。奥州側は住吉神社、関東(下野)側は玉津島神社。両社が国境を境に隣りあっている。またここには「二所ヶ関址」碑もある。明神峠を栃木県側に下ると寄居の集落。そこが奥州街道の関東側最後の宿場。さらに国道294号を下っていくと芦野。ここも奥州街道の宿場町だった。

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旧奥州街道の福島・栃木県境の明神峠

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(左)明神峠の「境の明神」
(中)明神峠の東北側の住吉神社
(右)明神峠の関東側の玉津島神社

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明神峠の「二所之関址」の碑

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旧奥州街道の芦野宿

芦野には「遊行柳」が残されている。西行ゆかりの「遊行柳」。西行を熱烈に慕っていた芭蕉も「奥の細道」で当然のこととして立ち寄っていく